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幽玄F 佐藤究 感想

帯の宣伝文句はミスリードだ。右派テイストの航空アクションエンタメだと思わせて、『幽玄F』の実態は純文学であった。

主人公、易永透の少年時代を描いた第一部、航空自衛隊の天才戦闘機乗りとなった第二部までを読み進んで気になったのは、易永の感情や思考が欠如しているところ。思想も価値観も容姿すらも、血の通った人間としての姿がまったく思い浮かばない。それでも飽きることなく読み進められたのは、先の見えない物語展開に目が離せなくなったからだ。

易永が本当は何を求めて生きているのかはっきりしないまま「青空」「航空機」「真言宗」「蛇」といったモチーフが象徴する概念の気配だけを感じつつ、この小説の半分ほどが過ぎたところで、第三部『STOVL』に話は移る。

その前、第二部の終盤で小さなエピソードがあり、易永はキドという男と顔見知りになる。この男が思想的なスピーチをするシーンがあり、そこで「水平的」「垂直的」という言葉が出てくる。

(略)キドは笑った。「国ってのは、放っておくと腐るものなんだ。その腐敗は穢れになって国旗をどす黒く染める。その度に誰かが国旗の穢れを落とさなきゃならない。(略)どす黒く染まった日の丸をなにによって祓うのかと言ったら、義によってなんだ。(略)義の行動ってのは水平的じゃなくて、垂直的なんだ。易永さん、あんたもたぶんそう考える人間だから(略)」

(p149)

水平的とは地上的という意味であり、国家間の領土争奪戦のように、人間の欲の炎が燃え盛るさまであるという。そして、水平線を切断し、新たな朝日を大地の上に輝かせる魂のあり方が垂直的だとキドは語る。この講釈は、ほぼ革命のアジテーションと受け取られるから、その時点でこの先の展開を想像したりして楽しんだ。

この「垂直的」という概念に導かれるようにして、全体のほぼ半分のボリュームを用いて描かれるのが第三部の冒険譚である。当人の感情は別にして、物語のトーンは「エリートパイロットくずれ」の主人公の落ちぶれた生活で幕を開ける。居住地であるバングラディッシュの国旗を見上げる易永は、これまでの人生を内省する。この期に及んでようやく、主人公の内面が開示される瞬間が序盤にある。

‥俺には敵の概念が欠けている。
そういう人間が国家の敵を調伏しようとする組織に入ったところで、組織の集合的な意志に順応できるはずもなかった。
だから俺は浮いていたのか。

(p195)

ここからの数ページに易永という人間がある。読了した後に読み返してみると胸が熱くなるほどで、主人公の造形をこれほど短い文章に凝縮させるのは際立って効果的な表現手法だと思う。

この小説のヴォリューム感と、大きなテーマである戦闘機というモチーフ、そして魅力的なアクションシーンを重ね合わせ、エンターテイメントに類する長編だとは思うが、主人公の煩悩を感じさせない人物造形は特異的だ。易永透という一個の物語というより、人間の普遍性を直接描こうとしているように見え、それはやっぱり純文学の手法だよな、と思った。

(佐藤究氏の前作『テスカトリポカ』の直木賞受賞にも「いっさいの感情描写のなされない」「当たり前の人間感情を欠く」という講評が見られる。心象描写を制限して読者に想像の余地を残し、深く感じさせる氏の小説に瞠目した。『テスカトリポカ』読まなくては。)

ChatGPTとの対話

あなた
この小説における主人公の行動の動機、もっと言えば彼の生き方について質問します。彼は、小説の終盤において、自分が何のために生まれてきたのかを知る、という感覚を得ます。このように、自分の人生を目的論的に思考し、自己の存在を強い肯定感と共に確信するような思考について、解説してください。

ChatGPT
主人公の易永透が物語の終盤で自分の存在や生きる目的について深く考え、自らの使命を見出すというテーマ性は、物語全体において感情移入を呼ぶ強力な要素です。以下に、易永の思考や肯定感について解説します。

  1. 敵の概念の欠如と組織への適応の難しさ: 易永は自分には敵の概念が欠けており、それゆえに組織への順応が難しいと自覚しています。これは、彼の人間性と組織の期待との不一致を表しています。組織の集合的な意志に順応できない易永は、物語の進行において浮いているような存在でした。

  2. 国旗との対話と内省: 特に第三部で易永が居住地であるバングラディッシュの国旗を見上げながら、自身の感情や存在について内省する場面が強調されています。この瞬間で、物語のテーマがより深い層に達しています。

  3. 「垂直的」な概念と人生への新たな理解: キドの「水平的」と「垂直的」な概念の対話を通じて、易永は新たな視点を手に入れます。物語の展開により、「垂直的」なアプローチが示す新たな生き方が易永の中で芽生えます。

  4. 内省による人間の普遍性への到達: 物語が進むにつれ、易永は内省を通じて自分の人間性や価値観、そして他者との関係性に気づきます。これは物語が単なるエンターテイメントを超えて、読者に普遍的なテーマに触れさせる力を持っていることを示唆しています。

  5. 主人公の確信と肯定感: 易永が内省した結果、彼は自分が求めるものや生きる意味を見つけ出し、その結論に対して確信と肯定感を抱くようになります。この瞬間は物語全体のクライマックスであり、読者に感動や共感を呼び起こすでしょう。

総じて、易永透の思索と成長は物語の核となり、その過程が読者に感情移入や深い感銘を与える重要な要素となっています。

あなた
小説の内容からは離れて、一般的な質問として、先の私の問いに答えてください。

ChatGPT
もちろんです。先の質問に対して一般的な観点からお答えします。
人が自らの存在や生きる目的について深く考え、それを見出すプロセスは、哲学的にも興味深いテーマです。このような思索が生まれる理由やその結果については様々な理論が存在しますが、以下はその一般的な要因や特徴です。

  1. 個々の人間性と経験: 人は独自の経験や人生の旅を通じて、自分の存在や目的について考えることがあります。経験が豊富であるほど、その思索も深まりやすいです。

  2. 矛盾との向き合い: 人は時折、自らの信念や行動と矛盾する状況に直面します。このような矛盾に向き合い、解決策を模索する過程で生きる目的を見出すことがあります。

  3. 他者との関わり: 他者との関わりや対話は、自分自身を理解し、他者とのつながりに意味を見出す上で鍵となります。他者との交流や理解が新たな視点を提供し、自己の位置を見つける手助けとなります。

  4. 哲学的・宗教的な枠組み: 哲学や宗教などの思想的な枠組みは、人が存在や目的を考える上で影響を与えることがあります。これらの枠組みが提供する意味論や価値観は、人が生きる意味を見つける手助けとなります。

  5. 成長と変容: 人は時間と共に変化し、成長します。その中で新たな価値観や目的が芽生えることがあり、これが生きる目的の再評価や確信につながります。

総じて、生きる目的を見出すプロセスは複雑で個々に異なります。自らに問いかけ、内省し、他者との関わりや経験から学ぶことが、人生の意味を見つける手助けとなります。

あなた
自ら、自分の生きる意味を目的論的に解釈し、確信的にその目的を遂行しようとする人生とは、どんなものだろう、と考えたときに、その使命感からの連想で、まずは「宗教家」を思いつきました。また、「医師」もそうかもしれません。いずれも、人間の生命に正面から向き合うような職種かなと思いますが、どうでしょうか。

ChatGPT
「宗教家」や「医師」などは、確かに人生において特定の目的に従事することが期待される職業であり、その使命感や責任感は強いです。以下に、これらの職業における目的論的な解釈と生き方について簡単な説明をします。

  1. 宗教家:

    • 使命感: 宗教家はしばしば信仰や教義に基づいて生きる目的を持ちます。自らの信仰を深め、他者にもその価値観を伝えることが彼らの使命となります。

    • 社会への奉仕: 宗教家は信者や地域社会に奉仕し、助け合いや共同体の形成に寄与します。人々の心の支えとなることが期待されます。

  2. 医師:

    • 生命の保存と改善: 医師は患者の健康を守り、回復させることが使命とされます。彼らの目的は、人々の生命を支え、苦痛や疾患を軽減し、健康な生活を促進することにあります。

    • 患者との共感と助け: 医師はしばしば患者との信頼関係を築き、彼らの心身の健康を改善するために尽力します。人間関係の中で使命を果たすことが求められます。

これらの職業は確かに人生において特定の目的に従事し、その目的に向かって使命感を持つことが期待されます。ただし、目的論的な生き方は個々の価値観や信念に基づくため、同じ職業でも人それぞれ異なる解釈やアプローチが存在します。また、他にも教育者、社会起業家、芸術家なども、自らの使命感に従って生きる人生を送ることがあります。

あなた
他者との関わりを持たず、自己の使命感のみに突き動かされるような生き方はあるでしょうか。私は「冒険家」ではないかと思いますが。

ChatGPT
はい、確かに「冒険家」は他者との関わりを持たず、自己の使命感に基づいて生きる生き方の一例です。冒険家は通常、探求心や冒険心に駆られ、新しい領域や挑戦を求めることが彼らの生きる目的となります。以下に、冒険家の生き方に関する特徴を挙げてみましょう。

  1. 探求心と冒険心:

    • 冒険家は新しい経験や挑戦を求め、未知の領域に進むことに喜びや意味を見出します。彼らの目的は、自らの限界を超え、未知の可能性を追求することにあります。

  2. 他者との関わりよりも自己の使命感:

    • 他者との関わりがあってもなくても、冒険家は自分の内なる目標や夢に忠実であり、それが彼らの主導で生きる動機となります。他者との交流があっても、それは一時的なものであるか、彼らの冒険に寄与する形であることがあります。

  3. 挑戦と成長:

    • 冒険家は困難や危険を乗り越えることで成長し、自らにとって意味のある冒険を通じて自己の力を試し、発展させます。使命感が彼らにとっての指針となります。

  4. 自立性と独立心:

    • 他者との関わりが少ない場合、冒険家は自立性と独立心が強調されることがあります。彼らは自らの判断と決断に基づいて行動し、自分の目標に向かって進みます。

冒険家の生き方は、他者との関わりを最小限にし、自分の内なる使命感や探求心を大切にするという点で、他の生き方とは異なります。個人の価値観や目標によって異なる生き方があるように、冒険家も自らの使命感に従って独自の旅路を歩むことがあります。

あなた
小説の話に戻ると、その小説の主人公は戦闘機のパイロットなのですが、軍を退役し、無為な時間を過ごすうちに、遭難した戦闘機をジャングルの奥地に発見し、修理して再び空に飛び立つ、というあらすじです。その飛行に目的はありませんでした。ただ重力に抗って音速で飛ぶことが目的でした。そのような力を手にすること、それが彼の生きる意味だった、という話です。冒険家と同じく、「なぜその行為を行うのか」という問いかけはできません。 小説が描く、このような主人公の生き方は、「美意識」と呼んでよいでしょうか。

ChatGPT
はい、主人公が戦闘機の修理と飛行に美意識を見出すといった描写は、一種の美的な追求や感性に焦点を当てた生き方であると言えます。美意識はしばしば物質的な目的や実用性よりも、美や芸術的な価値を重視する態度や信念を指します。以下に、この主人公の生き方に関する美意識についていくつかの要素を考察します:

  1. 芸術的な追求:

    • 戦闘機の修理や音速での飛行は、技術的な作業や行為だけでなく、それ自体が芸術的な要素を含んでいます。機体の美学や飛行中の風景、音響などが美的な追求の対象となります。

  2. 無為な時間からの解放:

    • 軍を退役し、無為な時間を過ごしていた主人公が美的な価値を見出すことで、生きる意味や充実感を見つけたと解釈できます。美的な経験が彼の人生に活気を与え、目的を提供したと言えます。

  3. 重力に抗う行為の美学:

    • 音速での飛行は重力に対抗し、大気中での美的なパフォーマンスとなります。この行為自体が美意識に基づくアクションであり、単なる実用性や目的追求だけでなく、美を楽しむことが主眼となっています。

  4. 生の力との対話:

    • 飛行中に感じる風、騒音、視覚的な刺激など、自然との対話が美的な経験に結びつきます。主人公が生の力との一体感を感じることが、美意識の一環として描かれています。

このような美意識の視点から物事を見ることで、主人公は生の美しさや感動を見出し、それが彼の生きる意味や目的となります。美学的な経験が、実用性や物質的な成果だけでなく、人生の豊かさをもたらすというテーマ性が描かれているようです。

あなた
このような主人公の行動について、短絡的かもしれませんが、わかりやすく一言で「男のロマン」と言ってもよいでしょうか。

ChatGPT
はい、主人公の行為や生き方は一言で「男のロマン」と表現することができます。この表現は、冒険心、挑戦、そして美的な追求が結びついた、男性的で冒険心溢れるエピソードを指し示しています。男のロマンはしばしば非日常的な経験や挑戦を求める精神を表現し、主人公の行動がそれを具現化していると言えます。

あなた
「男のロマン」という言葉は、コマーシャリズムの影響もあり、手垢のついた表現ではありますが、その本質は「美意識に裏付けられた生き方」というようなものでしょうか。

ChatGPT
「男のロマン」という言葉は確かにコマーシャリズムの影響を受けており、しばしば冒険、挑戦、非日常的な経験などを指す際に使われます。一方で、その本質に焦点を当てると、「美意識に裏付けられた生き方」と言えるかもしれません。美意識が生き方や行動に影響を与え、物事を美学的な視点から見つめることで、冒険や挑戦がより豊かで意味深いものになるという側面が含まれています。
「男のロマン」はしばしば荒々しさや無骨さを伴った冒険心を指すため、その表現には一定のステレオタイプも含まれています。しかし、根底にあるのは新しい経験や美的な価値を求める精神であり、これが生き方や行動に反映されることで、冒険や挑戦が深い魅力を持つものになるといえます。

あなた
非日常的な挑戦ということから、解釈によっては、一種の無謀さも感じることがあります。

ChatGPT
確かに、「男のロマン」や非日常的な挑戦を追求する生き方が、時には無謀であると感じられることがあります。これは冒険心や挑戦への渇望が、合理性や安全性を犠牲にすることがあるからです。非日常的な経験や挑戦を追求する際には、リスクや危険が伴うこともあり、その行為が冷静な判断を欠いているように感じられることがあります。
一方で、無謀さが新たな可能性や発見をもたらすこともあります。冒険心や挑戦の精神が、新しい領域やアイディアに挑戦する力になり得ます。バランスが求められる中で、冷静な判断と情熱的な冒険心の両方が、より健全で成果を上げる生き方を築くのに役立ちます。
このようなバランスを欠いた挑戦が無謀と見なされるかどうかは、その状況や視点に依存します。一部には無謀と感じるかもしれない行動でも、当事者にとってはそれが意味ある冒険や挑戦であると捉えられることもあります。


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