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マリエ 千早茜 感想

題材といい、描写といい、すぐにドラマ化できそうな上質の職人芸を堪能した。

冬の朝の室内から屋外へと移動した主人公、まりえが、森崎という男性と連れ立って役所へ向かう、二人して離婚届を提出する、というアクションから徐々に状況が見えてくる。会話と動作で状況を説明する映像的な表現だが、それにしても手際がいい。

離婚の理由とされた事情というのもおもしろい。

(森崎は)恋愛がしたいと言って離婚を切り出したのだから。(中略)
わからなかった。恋愛をしたいから離婚するのが普通なのか、結婚していても隠れて恋愛するのが普通なのか。はっきりしていたのは、どちらも私の価値観とは違うということだった。
いまでも納得はできていないし、わからない。けれど、応じたのは森崎が「ごめん」と言わなかったからだ。
(略)
森崎のことを嫌いになったわけではなかった。互いに恋愛感情がなくなり、人生を共にしないことになっても、人間としての情は消えないと思っていた。むしろ、恋愛感情よりも安定した感情を自分は保てていると信じていた。
けれど、匂いは駄目だった。もう受けつけなくなっていた。特に、あの一緒に暮らしていた頃の記憶をまとった香りは。

ここにこの作品の個性が表れている。森崎の側から切り出した離婚の理由が、まりえにも理解し難い複雑な感情であること。そして、そのことを受け入れざるを得なかった彼女のストレスが、森崎のまとう匂いの拒絶として表れていること。

離婚したまりえの、再起の基準点となりそうな「離婚の理由」が曖昧なので、この先どうなるのかという興味が湧く。

この作品にはもう一つ、言語化できないモチーフを表現する試みがある。それは加齢による身体の変化についてである。

まりえは40歳手前であり、彼女の身体への意識は、定期的な産婦人科の受診を軸にして、ことあるごとに内面描写として表れる。このような身体表現は、老いという括りで誰にも当てはまることでもあるが、そうして一般化をしてもあまり意味がない。

作品の後半で、まりえは年下の男性、由井と付き合うことになるが、彼女の心理として彼我の肉体年齢の差が描写され、しかしそれは言葉には出せないし、出しても相手には伝わらない、意味がない。そのことに目を向け仔細に内面描写をしているところもよいと思った。

この小説のメインプロットである婚活のエピソードからは、登場人物それぞれがいろいろな思いを抱えていることが見えてくる。一つの事象に対して複数の証言者が違うことを言うという心理劇を、黒澤明監督の映画になぞらえ「羅生門形式」といったりするが、まさに結婚も羅生門だなぁと思う。

最終章はかなりいろいろなものを盛り込んでいて、結論めいたことを引き伸ばして揺れ動くところもよいが、まりえの気持ちの落ち着き先は、「桃モッツァレラ」と「松山あげ」に象徴されていると思った。供された瞬間から鮮度が落ちていく桃モッツァレラと、常温でも日持ちする松山あげ。どちらも美味しいのだけれど。

今のまりえは変化を選んだ。そして彼女自身もまた変化していくのだろう。

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