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「上級生に囲まれいつも少数派だった」~時効だし私の過去を紹介②~

前回は幼稚園のときのことを書きましたが、思っていたよりも反応があったこと、嬉しく思います。

(親がnoteを見たら怒ると思うのでばれないように)

自分の幼稚園の経験から「その人の本音や想いに向き合いたい」という想いが形成されて今の自分があると思っています。

私には自分が苦しんだ経験から同じような苦しみをほかの人に味わってもらいたくないという想いがあります。

この経験はコーチングなどの対人支援で活かしたいです。



今回は小学校編を書かせていただきます。

ヤマトンの人生曲線
今回は小学生編


我慢して嫌々通った習い事


皆様は小学校のときは習い事やクラブに入っていましたか?

習い事ランキング。男女で違うよね。

私は空手、そろばん、サッカーをやっていました。

特に、空手とそろばんは嫌でした。

理由は単純で先生が怖いから。(笑)

空手では帯が結べなかったり、なんかよくわかんないけど怒られて
よく壁向いて正座させられていたものです。

1時間とか一人だけ壁むいて正座させられて
恥ずかしかったなぁ


空手をやっていても1ミリも楽しいと思ったことはないし、
最終的に初段で黒帯になれましたが、自分が強くなったとは思ってません。



なんでやめなかったのかと聞かれますが


なぜ辞めれなかったのかというと、親に辞めたいと言えなかったから
なぜ言えなかったのかというと、言っても辞めさせてくれないって思っていたから。
なぜそう思ったのかというと、自分の意見が通ったって経験が(当時を思い出す限り)なかったから。


前回に引き続き

このころから本音が言えなかった。。。
(こういうのは大学まで続く。どんまい俺。。。。)


結局我慢して空手は初段、そろばんは1級をとるまでやりました。

当時は途中でやめていく友達をすごく羨ましく感じたな。


上級生に囲まれ我慢する少数派の私


こちら今回お伝えしたいメイントピックです。


自分はもう一つ習い事をやっていました。
それはサッカーです。

サッカーに関して言えばめちゃくちゃ好きで好きで。。。。。
サッカーはもうスポーツを超えた何かであると今でも信じています。


自分にはサッカー才能がありました。
誰が何と言おうとね。(笑)

5年のときの写真。この時は右サイドMFだった。
また抜き得意の右足しか使えないプレイヤーだった。


小学校1年のときからやっていたのですが、
クラブに入った初日からミニゲームで2点とったことを今でも覚えてます。
兄や父がサッカーしているのを見ていたので、他の人よりはできたんですね。
その後、私は市町村区の選抜選手にも選ばれるくらいサッカーはできました。


ただここで問題が。。。。


私の住んでいたところは田舎の地域でサッカークラブに入る同年代の人数が少なかった。
同年代の中で私はサッカーがうまかったので小学校2,3年のときから5年生や6年生などの上級生に混ざって練習、試合をしなければいけませんでした。

5,6年生が16人くらいの中に3年生の私をぶちこまれたってことです。


形見狭い

想像しただけでめちゃ窮屈じゃん。


そもそも小学校3年からみた5,6年生って怖くないですか。。?


自分はいつも一人でポツンとしていて

二人組練習もコーチとやっていた記憶があります。



自分が上級生の中に放り込まれてサッカーをやっているときは
あんなに大好きなサッカーでもめちゃくちゃ嫌でした。

ミスをすると容赦なく上級生から怒られるし、、、、、
点をとっても褒められないし、、、
当時自分はドリブルが得意だったのですが、ドリブルをするとめちゃ怒られるのでパスをせざるをえなかったし、、、、


とにかくプレーが消極的でした。

勝つための積極的なパスじゃなく。
怒られないための消極的なパスでした。

(まあ今考えれば俺がドリブルで全員抜いて点とったら文句ないだろって思うけどね、当時は、、、)


毎回スタメン発表ではベンチになることを祈っていました。


試合でたくないレギュラーになりたくない、、、

まあ、こんな感じなので勝っても嬉しくないし、負けても悔しくないんですね。


練習休憩、移動のときはいつも隅っこで座っていたし、
試合のときはわざと敵のマークと同じ動きしてパスがもらえないようにしていた。


ホントに居心地が悪かった。



上級生で少しは少数派の自分気にしてほしかったし、
安心感を与えてくれる人がいてほしかった。


親に少し話しても「うまい人とやるとうまくなる」とだけ。

俺はうまくなりたいという想いよりもあったけど、
まず安心感がほしかった。

自分の気持ちを理解してほしかった。


結局これは自分が小学校4年生まで続きました。
先輩が卒業していったときはホッとしていました。最低だけどね。


少数派の人に安心感を提供できる人でありたい


そんな少数派で苦しんだ経験が2,3年あるからこそ
小学生のときから私は少数派の人に安心感を提供できる人になりたいと考えるようになりました。

消極的なプレーだった後輩。

隣の学校からきた転校生。

日本にきていた外国人のあの子。

仲間外れにされていたN君。


私の場合はサッカーでの出来事でしたが、
サッカーに限らず、クラスでも少数派の人に安心感を提供できる人になりたいという価値観は変わりませんでした。


ここまで書いてみて自分はやはり自分が苦しんだ経験から同じような苦しみをほかの人に味わってもらいたくないという想いがあるのだなとあらためて思います。



まとめ


これからのコーチングだったり、対人支援では

少人数派に寄り添い、支援できるような人になりたい。





PS


小さいときの習い事で親に向かって辞めたいって言えた人ってすごいと思う。

話をきいているとみんな嫌々続けている人が多そう。


ちなみに空手やそろばんの件に関して今さっき親にきいてみたところ


親からの返事


「嫌々やっていてやめたいとは思わなかった
でもちゃんと休まずにいって結果を残してえらいなと思っていた。」

らしい。



この記事いつか消そうかなとよぎる。

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