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なぜわたしは書きたいのか

noteに投稿をはじめて1週間ほどがたった。
書きたいと思ったことを思うがままに投稿してきたけど、いろんな方のnoteの自己紹介を拝見して、私も綴っておこうかなと思い立った。
とはいえ、今時点の、2024年1月時点の思い。
きっと変化していくと思うし、このテーマで投稿するのは最後になるかもしれない。

「わたし」を表現したかったから

文章を書くのは好き、という意識はあれど、実は実際に書くことはほとんどなかった。
最後に「作品」というか、誰かに読まれることを前提として文章を書いたのは中学生の時までさかのぼってしまう。
(そのころはやっていたコバルト文庫に感化されて小説的なものを少々…)
書きたいな、書こうと思ったらいつだってかけるんだ私にはそういう能力がある、というなぜか漠然とした自信!?のようなものだけ持ち続けて実際に書いたことはなかった。
ということは実は書けない、ということなのでは?
いやいや、アウトプット、というものならTwitter(始めたころはこの名前だったもん)は10年以上続けていて、だから文字制限内で簡潔につぶやきたいことだけをつぶやく能力は発揮していたと思う。
けど、まとまった文章を書く能力は磨いていない。
・・・とnoteを書き始めてつくづく感じた。

では、どうしてnoteを今はじめたのか。
実はアカウントを作ったのは1年前にさかのぼる。
その時は、人生で初めてのアツい推し活を始めたばかりだったので
それを記録したい、発信したい、と思っていた。
でも結局続かず、その投稿は削除してしまった。
ではなぜ今か。

私は、「表現されたもの」を受け取るのが好きだ。
音楽、ドラマ、演劇、アート、建築、アニメ、マンガ、小説、映画、詩、舞踊、ダンスetc
そして空、自然、宇宙(「表現した」といえなくもない)
そういうものからたくさんのものを受け取ってきた。
そういうもので何かを感じ受け取る度にぴかぴかと満ちるような感覚になる。
温かくて自分の中が広がって満ちる。
そういうものを私も表現したい。
インプットだけでなくアウトプットしたい。
表現は拙く読みづらいものばかりだろう。
誰かに読んでもらったり受け取ってもらったりできるように「表現する」には磨いていかなければならないスキルがいろいろありそうだ。
そういうのをこれから得ていくのも面白そうだ。

そして、わたしのように感じ、表現し、生きている人もいるんだよ
世界の片隅でひっそりと発信するだけで満足していたりもする。
今はそんな気持ち。

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