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なぜ生まれてきたのか

地上に生を受ける時、地上でなにを為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。なにも知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するには「こういう環境」で、「こういう身体」に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上ってこないだけの話です。            ー近藤千雄訳:シルバーバーチの霊訓:P38ー より

最初にお断り申し上げるが、

上記のシルバーバーチの霊訓の内容を疑うことは大いに結構なのである。さもすれば、こうした宇宙真理の内容を鵜呑みにすることは危険をはらんでいると心得ていただきたい。

「どこそこのさる高貴なお方が言うのだから、真実だろう」とか、「屁にもならぬあいつが言うのだから、てんで嘘っぱちだろう」などという考察姿勢はあなたの精神的レベルアップにたいして危険をはらんでいることをご承知願いたいと思う。

真実は、自分の経験を通じてしか得られない

疑ってかかるのは大いに結構で、それこそ、真実の扉に立った「証」なんだろうと思う。

そして、疑い、なんの証拠集めもしないまま、検証もしないまま、「是非」のラベルを貼り付けて、燃えるゴミ化させてしまったり、押し入れの奥に仕舞い込んだりは、お止しになったほうがいい。

腑に落ちるまで、様々な視点から検証し、中立的に、つまり、それが真実だとしたら。。。それが虚実だとしたならば。。。という両方から検問するスタンスで臨んで初めて自分の精神性を充実させる活動となるのではないだろうか。

生まれる前におおよそを定めているとしたら

我々のコア=魂が、身体に宿る前の段階で、自分が今回生まれ出る理由として様々な視点からその必要性を徹底的に吟味し、自分の研磨しなければならない性質や、大いに伸ばさなければならない能力などを考慮していくという。

「輪廻転生」論は今は脇に置き、私という魂が生まれ出るだけの理由が、私には実は理解できているというシルバーバーチの言葉には、まさに51年の人生を費やしてもまだ、それを言語化できない不甲斐なさを感じさえするが、しかし、どこかで「安堵感」がある。

自分が知っていることを思いだす「旅」を毎日続けることで、いずれ私もそれを言語化できるのかもしれないという希望が持てることは、凡夫の蟻にとっては甲斐甲斐しいばかりだ。

さて、シルバーバーチが言うように、生まれる前におおよその環境や境遇を定めてきているということが、かりにもし、真実だとすれば、今現在の艱難辛苦は何を意味するのだろうか。

シルバーバーチは、他の部分でこう言っている。「艱難辛苦の果に手にすることができるものには価値があります。容易く手に入るものにはそれなりの価値しかありません」と。

もし今あなたが苦労のただ中にあるならば

もしも今、あなたがあなたなりの尺度で「苦労の只中」にあるのならば、あなたは何かあなたという存在にとって重要な何かを得ている最中だと見ることができるかもしれない。(無理強いはしないが)

病気や様々な苦しさの中にいると、こういった言葉には感情的になる時がある。「他人事だと思いやがって」、「他人だから言えるのさ」などなど。

実際、私もそういった感情を感じるのが得意な方だからよく理解できる。

2年前の心臓発作がまさにそうだった。友人や家族から「助かってよかったね」とパイプだらけの状態で横たわりながら言われても、全くそうは思えなかった。

「今度は何いつ、発作が起こるんだろうか」そんな疑心暗鬼で恐怖と不安しかなかったからだ。

健康な人に「大丈夫だよ、少しづつ歩き始めよう」といわれても素直に感謝できない自分は今も私の中に存在している。

だが、それでも日が昇った

苦労は嫌だ、辛いのも、痛いのも。私なんかは、痒いのさえ嫌な人間だ。

だが、そんな凡夫の蟻の私にも、日が差し込んで、病院のベッドの窓から入る日光に、点滴の袋がキラキラ輝いていて、それを観ている時、私はぼんやりと、ふわっと思ったことがある。

「ここから無事に出られたら、人のためになにか活動しよう」と。

病気に倒れたことのない人は幸いだ。

1人でベットから体を起こして、箸を持てる「幸せ」を理解できないだろうと思う。

1人でトイレに行って自分のタイミングで排泄ができる喜びを体感できないだろうと思う。

1人で歩いて、台所のコーヒーの匂いを嗅ぐことが、どれぐらい超絶に奇跡的な「生きている実感」を与えてくれるかを想像さえできないだろうと思うから。

私という魂はそれを決めていたのだろう

シルバーバーチの言うように、艱難辛苦は、私に「生きる」ことのシンプルさとその裏側にある舌を巻くほどの精巧で緻密な摂理と法則の働きがあることを教えてくれた。

それはまるで、機械式腕時計の表側と裏側のようだ。

時計はシンプルだ。3本の針が各々の役目を黙々と粛々と健気なまでに忠実にはたしている。とてもシンプルな行動を繰り返す。

だが、その裏では、計算に次ぐ計算に裏打ちされた設計者と職人と技術がメガ盛りに詰め込まれていて、恐ろしいほどの仕掛けが働いている。

私は、自分が生きているのではなく、圧倒的に「生かされている側」であることを知ったと同時に、それができることをいとも平然と誰もが行えるこの地球の凄さに感嘆した。

それと同時に、それができない状態にある様々な事情の人々、仲間、同胞にたいして、手を差し伸べなければ「死んでも死にきれない」という自分軸を握りしめることができた。

あなたはどこから来たか証明できるだろうか

わたしは、幸いにも、「シルバーバーチの霊訓」という書物に出会っていたおかげで、凡夫なりに多面的なものの見方を持つことの大切さを知る機会があった。

1:人は死後も次元を変えて生存する生命体であること。

2:人の人生は、宇宙の摂理と法則の範囲内で自由であること。

3:人は、生まれてくる理由を自分で決めて、この世で魂を磨いている。

4:生きることの人類共通の意味は「自分の今の次元で、いまの才能で、できるだけ助け合いと支え合いを実施し、人類のレベルアップを推進すること」

まだまだ霊的進化の概要さえ押さえれていない私だが、それでいいと思う。飛蝗だと思いこんでいるカタツムリよりも、天道虫だと思いこんでいるカブトムシよりも、自分自身が何者なのかを少しでも感じ取れる様になりたいと願う。

いまは、自分を「凡夫の蟻」と理解しているが、真実かどうかはここから先の行動で分る。

どちらにしても、すでに私は本当の自分を知っている。生まれる前からずぅっと。生きているうちに自分が定めた答えを理解できるように前に進むつもり。

あなたもそうしてみてはどうだろうか。


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