知足の日
1. 足るを知る
あまりにも私たちの生活に、”あること”が日常の風景と化してしまっていないか。
当たり前なことは、自分の無意識であるからこそ、特に気をつけたい。
現代は、情報があることが当たり前で、知った気にいとも簡単になれる(なれてしまう)。
人は歳を重ねると、失うことを知る。
反対に子どものころは得ることや、与えられることが多いだろう。
歳を重ねる者の責任は、次世代の人間に、いまだ見ぬ世界への準備となるような「きっかけ」や、「手がかり」をつくることだろう。
形あるものはいずれなくなるこの世のなかで、何を残せるか。
3.11。
この数字は日本国民ならばほとんどの人が理解できるだろう。
この数字をただの数字にしないためには、この日を生きた私たちが、その時の学びと経験を伝え続けていくこと。
これ以外にないだろう。
2. 有と無
無いものへの悲しみに暮れている時に、いまあるものへの感謝がふと生まれる。
失って初めて気づくのは、それ以前に、そのものの価値に気づいていなかっただけで、大事なものはいつもそばにあったはずだ。
私たちの日常において、有と無のコントラストがはっきりすればするほどきっと人生の密度がより濃く、高いものになるだろう。
失う辛さを知ったのならば、二度と同じ辛さを繰り返さないために日々備えることができるはず。
しかし、備えていても、より大きな悲しみがやってくるのが人生である。
後悔先に絶たずというように、私たちにできるのは前もって備えることであって、起きてしまったことに対して悔やんでも、その事実は変わりはしない。
3. 日本人の時間感覚
人生は有限であり、終わりが来る。
子どもでも分かることだが、日々の生活でそれを実感することは少ない。
少なくとも現代の日本においては「死」が遠ざけられ、家で亡くなるひとの数は年々減っていっている。
病院や施設で亡くなることが増え、家族の死に目に立ち会えないことも増える。
日本は確かに世界でも稀に見るほど、安全かつ清潔な国だ。
だが、いつからか私たちは平和ボケしてしまったように感じられる。
目の前の平和にかまけて、既に迫っている危機に気づけず、気づいた時にはもう遅い、それではいけないだろう。
震災が多く、また国際的な政治、経済などの観点からも日本はとても重要な役割を担う。
だからこそ、改めて日本人として生きる意味を考えるべきではないか。
今日この3.11に、私たち日本人としての自覚と責任を持って。
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