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第二十四話

 今夜は珍しく精一杯早く仕事をして切り上げ、二本も前の電車に飛び乗り、いつも深夜になる帰宅を早めた和二郎は、最寄駅からも駆け足気味に門扉を潜った。

「おかえり、ずいぶん早いね。」

 出迎えてくれた晴三郎の驚いた顔も横目でチラリとやり過ごし、廊下を直進して突き当たりの和室の襖を開ける。予想していた光景はそこになく、和二郎は拍子抜けしてしまった。

「いまご飯食べてるよ。」

 背後からの晴三郎の声に、慌ただしく和室を後にして今度はキッチンのドアを開けると、食卓の端の席にちょこんと座っている爽を見つけた。日曜からぶっ通しでスヤスヤと50時間以上眠り込み、こんな時間に起きてきて皿に乗ったおむすびを頑張ってもぐもぐとやっている。

「爽、お前、大丈夫なのか。」

 和二郎が尋ねると、膨らんだ頬に詰まった米を何とか飲み下して「うん。」と言う。その表情には心配をかけたであろう親への気恥ずかしさや、素直に慣れない不器用さが感じられるが、誰をも寄せ付けなかったあの緊張は無かった。和二郎の脳裏にはさぞ安堵したであろう理紀の顔が浮かんだ。

                  *

 昨日の428での出来事は、瞬の日常からかけ離れていて思い出してみても現実味が無かった。

 だがしかし、瞬の手の中にはそれ・・があった。

 葉を三枚重ねた様な、そのかたち。

 重さのある銀製の、ペンダントトップだろうか。三角形の真中に不思議な色に輝く石が嵌め込んである。

 昨日、魑之が観測した瞬の夢で、聖名が見つけて欲しいと願っていたものが、何故今自分の手の中にあるのか。それは、有馬が持っていたからだった。

 魑之曰く、夢の中の聖名は失くしたペンダントを見つけて欲しいと言っていた。勿論、聖名とは面識は無くその顔を知る由もないのだが、夢の中に現れた人物が聖名であることを魑之は確信していた。そして失せ物の形を説明する聖名の言葉をそっくりそのままリピートしてみせた。

『葉の形をした三つの図形が重なって三角形に見える。一枚の葉っぱは上を向いて、あとの二枚はそれぞれ左右斜め下を向いてる。三角のフォルムを描く線は繋がっていて中心にがある』

「め?」

 魑之は自分の目を指し、聖名の瞳の色を尋ねたが、瞬は即答出来なかった。何故ならその色を表現する言葉や物を思い付かなかったからである。そして魑之は、聖名の言うペンダントの形状を絵に描いて見せた。

「あっ、それ俺持ってるワ。」

 しばらく黙って魑之の描いた絵を見つめていた有馬は、まるで借りパクしていたマンガでも返すが如く軽い調子で、瞬と魑之の目の前にアンティークのペンダントを出した。

「ちょっ、コレ、あんた、どうしたの⁉︎」

 魑之はあんぐりと開けた口が塞がらず、半ギレで有馬を問い糺したが、彼は全く焦りも悪びれもせず「ワリィワリィ」と頭を掻いて笑っていた。

(まったく有ちゃんは・・・)今更ながらに我が従兄あにの意外性と言うか特異性と言うか、文字通り「持ってる感」に驚きを通り越して呆れる瞬だった。が、彼の持ってる感は実際にそれを持っているだけではなかった。

「爽が失踪した夜さァ、あいつが寝てた枕の下にあったんだよな。でさァ何でか知んないけどこれを握った途端に呼ばれたんだ・・・・・・

「誰に」

「うーん。わっかんねんだよなァ。呼ばれたっつったけど、別に声とかじゃないんだ。見えたっつーか・・・解ったっつーか。爽が今何処にいてどんななのかがさ。」

 これまで有馬の第六感的なもの、妙な勘の良さは賭け事に遺憾無く発揮されてきた。しかし今回はその勘が働いた訳ではない様子である。彼にとってはひどく違和感のある出来事だったようだ。手のひらにのせたそれをじいっと見つめながら珍しく見せた思案顔がそれを物語っている。その石に、瞬は惹きつけられた。それは魑之も同じで、先程からずっとそれを凝視している。見る角度によって変わる真中の石の色は、何故か、瞬にとても懐かしい身近なものを想起させた。

 『三角のフォルムを描く線は繋がっていて中心にがある』

「あ!」

「そう。聖名の。」

 先刻、魑之は聖名の瞳の色を尋ねた。その時、瞬は即答出来なかった。そして魑之が瞬の母の出身地について尋ねたのは、夢の中の人物が「黒い瞳だけでは無い」遺伝を持つであろうことを確認したのだ。

 そしてこの色は、唯一無二のこの色は、正に聖名の瞳の色だった。

 もう随分と長い間この色を見ていない。今は重い瞼に閉ざされて、再び開くかも分からない。太陽に向かって弧を描く、密度の濃い睫毛の奥にあった、名前の無い色の宝石を。

 きっと、何事も無かったかのように起きてきて「おはよう」と言う。
 きっと、ちょっと昼寝が長引いているだけ。
 きっと、きっと、いつか。

 ずっとそう思っていた。いや、そう思いたかったのかもしれない。そう思うことで、平静を保っていたのだ。もしかしたら、もう二度とその色を見られないかもしれないのに。晴三郎ちちのことを言えた義理かと思わずゾッとする。背中を流れ落ちる冷たい汗を自覚した時、瞬は決意した。そしてそれ・・をそっと手の中に収めると、立ち上がった。


序〜第三話、はてなブログからの転載です。