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余り① -『余り』について考える

本日のマエオキ

怒涛の外泊ラッシュを終えました。
どうもOneSelFの佐藤です。
#帰省とゴルフとキャンプ

祖先に手を合わせ、

ボールを打ち、

焚き火をしてきました。
#焚き火の写真は忘れました

こうした機会に祖先を想い、先祖に感謝できますね。
#機会は大事


どうでもいいですが、祖先と先祖の違いってなんなんですかね。

用いてる漢字は同じですが、
祖が先か。
先が先か。
祖か先か。
#先の量がすごい

本当にどうでも良いですね。
#疑問のままにしておいた方がいいこともある
#そう _それが人生
#Life_is_beautiful

余りについて考えてみる

ということで本題です。

今回から『余り』について少し思考を巡らせていこうと思います。

この1週間、少し外泊ラッシュで余裕がなくなっております。
漏れなくスケジュールが詰め詰めになってまいりました。

と言っても、これくらいが丁度良いのかもしれませんが。

これを忙しいと表現するのか、丁度良いと表現するのかは人によるところだと思いますが、個人的には”忙しい”という言葉を使うことを好まないので、丁度良いと表現することにします。
#心が亡くなる
#と書いて
#忙しい
#合言葉は丁度えぇ

この丁度良さは個人的なキャパシティにもよりますが、このキャパシティの『余り』も丁度良さに関わってきそうです。

この『余り』という概念はいろいろな場面で用いられます。
空間の余り
時間の余り
才能の余り
お世話の余り
ご飯の余り
お金の余り
などなど…

そして『余』がつく言葉も多いです。
余裕
余分
余計
余力
余韻
余年
余地
などなど

この『余』の面白いところは
丁度良い意味でも丁度悪い意味でも用いられることです。
#漢字面白い
#言葉あそび

きっかけ

『丁度』と『効率』

で、なんでこんな言葉遊びをしながら『余り』について考えようかと思ったかというと、最近、この『余り』がなくなってきたことを強く感じるようになってきたからです。

時代は『丁度良い』から『効率良い』に変わってきました。

会議はオンラインになり、移動時間が短縮され(もしくは無くなり)、顔を合わせるのも会議の時だけで良くなりました。

自分が得たい情報はある程度、寝ながらにしてインターネットで調べるようになりました。なんなら、勝手にこれが知りたい情報ですか?なんて提案されるまでに至りました。

LINEなどのメッセンジャーアプリの発展により、コミュニケーションは専ら言語的コミュニケーション、特に文字によるコミュニケーションが中心となりました。

こうしたコミュニケーションの中で、以前より圧倒的な情報量を効率的に手に入れることができ、コミュニケーションの頻度も増えました。
#ウェブ会議めっちゃ増えてませんか
#恐るべきZOOMの稼働率

これを良い、悪いと論じるつもりはありません。
なぜなら物事に良い面と悪い面は必ず存在するからです。
そして、これも進化と発展を願って、努力を積み重ねた人類の一つの形です。
#ありがとう人類
#巨人の肩の上に立つ

効率化の歴史

そんな人類の歴史を少し遡ってみると、1万年前くらいに農耕革命が起きました。
#少しじゃない

この農耕革命によって、交換手段(今でいうお金など)があれば、誰でも欲しいものがある程度、手に入るようになりました。

それまでの狩猟などの生きるか死ぬかの勝負は必要にならなくなりました。

ちなみに一説によるとヒトがサボるのは、この狩猟時代の体力温存に関わっていると考えられています。
ここはまた別の機会に。


生死をかけた戦いが必要になくなり食うに困らなくなった人類が、次に仕掛けたのが”労働”でした。

田畑を耕し、種を植え、水を与え、作物を収穫する。

こんな感じでヒトは安定的な食糧供給を手に入れました。

さて、農業を発明したことでヒトは幸せになったのでしょうか?

というのが、この本に書かれてます。
歴史めちゃおもろいです。

#先祖と祖先

この本はこちらのYoutubeで紹介されていました。
ご興味ある方はまずはこちらからの方がわかりやすいかもしれません。

このように人間は『余り』(ここでは時間的な余裕)が生じると、その余剰分で新たなことを始めたわけです。

生きるか死ぬかの時に、絵を描いたり、音を奏でたりの優先度は低いですよね。
#もちろん命をかけて絵を描いたり音を奏でることはあります

この『余り』こそ社会と文化の起源なのかもしれません。

現代の効率化

そして、時代は移ろい現代に至るわけですが、これ以上の効率化が進んだ先に何が待っているのかを考えています。

もちろん新しい何かが生まれるかもしれませんし、さらに僕たちの暮らしは便利になるかもしれません。

ただ今のところ、食べるものは廃棄されるほど世の中に出回っていますし(もちろん全ての人に食べ物が行き渡っているわけではない)、衣食住で生命の危機を感じることも減ってきていると思います。

なので、この利便性の向上が幸せにつながるかは、その人個人個人によるなと思っています。

そして、現代の効率化は標準化につながっている面が多いのではないかとも思います。

均一なサービス、均一な商品、均一なコミュニケーション。
もちろんこの均一さは高品質な均一さです。

どこに行っても同様で高品質な均一したものが提供される。
#これは本当にすごい

一方で、特徴がなくなってきているのもまた事実なのではないかと。

多くの人が似たような服を着て、似たような食事を取り、似たような家に住む。

もちろん安心・安全・安定です。
これは自己実現を図りより良く生きる上で、絶対必要条件でしょう。

ただ、均一化される中で『余り』が削減されることにより、『自身で思考する余地』と『自身の力で変えられる余地』が減っていくのではないかとも考えています。

多様性や”らしさ”が尊重される時代にあって、何か矛盾を感じている自分もいます。
#らしさが何かはまだわかっていない
#一度は言いたいダイバーシティ

効率化により無駄を排除した標準化が進んだ先に何が待っているのか。
そして、安心・安全であることは、特徴と面白みをなくしてしまうのか。

こんなことを考えてみると面白いなと思い今回この『余り』シリーズをやってみようと考えるに至りました。

と言いながら、こんなことを考えられる余裕があるのも標準化のおかげかもしれません。

思考の渦に巻き込まれながら、結論を出していく過程に少しお付き合いいただけると幸いです。

終わりに

今回から新シリーズ『余り』について考えています。

僕の中では結論があったんですが、記述しながら整理すると少しずつ結論の意味合いが変わってきています。
#これはブレか幅か

次回は『余りの分類』について、丁度良さの観点から考えてみようと思います。

今回は長くても3章くらいで終わらせたいです。

文章の効率化はまだまだ難しい。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました^^

OneSelFの佐藤でした。



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