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【ファンタジー】結心観音 (4) 創作大賞2024 応募作品】


第四章 美しい心

村人の変化


 若い二人は永遠の愛も手に入れ、天に召されていった。日が昇った後、雲ひとつない気持ちのいい朝が訪れている。日の出とともに仕事に出かけようとする村人たちは各々の家の軒下に新しい着物が置いてあるのに気づいた。手紙も添えられていた。

『村人の皆さん、これまで本当にありがとうございました。心ばかりの気持ちで着物を作りました。どうぞお納めください。これまでご迷惑をおかけしたこと、本当に申し訳ございませんでした。私たちは、夫婦となりました、これから山に入ります。もうお会いすることは叶いませんが、皆様のことは遠い空の上から幸せを願っています。  心助、結衣』

 近所だけでなく、全員の家に着物が配られ、それぞれの家で置き手紙を読んで啜り泣く声が村中に響き渡った。一様に村人は空を見上げた。登っていく太陽の中に、眩しい光に包まれ若い二人が微笑んで見守っていてくれる姿を見つけ、無意識のうちに手の平を合わせ拝み始めた。村人はみんな庭に出て天を仰いで涙を流している。

「許しておくれ。自分の家族のことばかり考えていたよ。こんなことをしていてくれたんだね。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

「かわいそうだと思っても行動に出すことができなかった。しかし、この二人は違った。こんなにも私たちのことを愛していてくれたんだ。許してくれ」

「自分の心に素直に生きることが怖かった。でもおかげで目が覚めたよ。ありがとう」

「陰口を叩いてすまなかったねぇ。この通りだ、許しておくれ」

 天を見上げている村人たちは、反省の言葉を口にしていた。村人の中にある優しい心が堰を切って言葉になったようだ。人を貶めることが好きな人は村人の中には一人もいなかった。みんなが素朴で優しい人たちだったのだ。ただ、人に合わせなければならないという気持ちが、心で思っていることを話すことを拒んでいたのだった。その堰が若い二人の守り神の誕生で壊され、心で思っていることを正直に口に出せるようになったのである。新しく村を見守る役割についた心助と結衣の霊は、夫婦観音のように仲良く太陽を背にして輝いていた。にっこりと微笑むその姿は村人全員が見上げ、神々しい姿に涙していた。どこからともなく、村人の心に響く声が聞こえてきた。実際には声が発せられているわけではない。一人一人の心に直接話しかけられていたのだ。

『村人の皆さん。私たちの心ばかりの贈り物をどうぞ受け取ってください。これからは、私たち二人が皆さんの村を見守っていきます。私たちを育ててくれた村への私たちの恩返しはこれから始まります。どうぞ、健やかに日々の暮らしを送ってください。そして、どんなことがあっても村人の皆さんは手を携えて乗り越えていけるような村にしていってください。どんな境遇になったとしても、隣人を見捨てることなく手を取り合っていっていただければと思います。私たちの心からのお願いです。これからは、皆さんの前に姿を現すことはないと思いますが、いつも皆さんを見守っていますので安心してください』

 どこからともなく聞こえてくる声は、村人の心の中で響き渡っていた。村人たちは二人が守り神になってくれたことを心から喜び、自分たちの愚かさを悔いていた。その中には村長と住職もいた。

「なぁ、住職よ。あの二人は立派だったな。ワシらなんかより何百倍も素晴らしい人間じゃった。あの二人に教えられたよ。慈愛というものを」

「本当にそうですね。私も住職失格ですわ。もう一度、一から修行することにします。心の修行を。そして、村に伝わるしきたりも今日からは廃止しましょう」

「ああ、そうじゃな。そうしよう。しきたりにしがみつき過ぎていたようじゃな」

 村人はそれぞれの家庭の中で、自分たちの行動を大きく反省した。若い二人に教えてもらったのだ。人を愛し慈しむことの素晴らしさを。でも、二人はもう帰ってはこない。そのことを村人たちは大きく後悔した。そして、誰からともなく、娘の実家と若者の家をきれいにしてずっと保存しようという話が持ち上がり、誰も反対する事なく村の総意として決まっていった。

 そんな平和な暮らしの期待に満ちた光景をじっと息を潜めて伺っているものがいた。この村には至る所に井戸が掘ってある。もちろん、飲用ではあるが共有の井戸もあり、村人が自由に使えるようになっている。厳しい冬で川は凍ってしまうことがあっても、井戸の水は凍ることがない。村の人々の生活を支える水の供給源として井戸は大切にされていた。そんな井戸の一つに異変が起き始めていたのである。

置き土産


 あまり使われることがない共有の井戸がこの村には存在していた。そのうちの一つの井戸の様子がいつもと違うと気づいたのは、たまたま通りがかったおよね婆さんだった。そう、若い二人のことを最初に噂し始めた婆さんだった。若い二人が守り神となって、少しおとなしくなり、迂闊な噂を自粛しなくなってはいたが、人一倍の好奇心の持ち主だった。たまたま通りかかった共有の井戸を見て何となく違和感を感じ、近づいていったのである。

「あれまぁ。何だかこの井戸だけは変な匂いがするわね。ネズミでも井戸の中に落っこちてしまったのかのう。どれ、ちょっと覗いてみようかね。ネズミの死骸が浮かんでいたら、村のみんなに伝えとかないとならんしな。どれどれ」

 およね婆さんは一人で井戸に近づき、何枚か被せてある蓋を一枚外してみた。ゆっくりと中を覗き込んだ。井戸には雪や雨を防ぐために簡易的な屋根がかけられているので直接太陽の光が差し込まない。そのため、板を一枚外した程度では中は見えにくい。もっとも、大きな雹が屋根に当たって幾つか穴は空いてはいるのだが、それでも井戸の中まで届く光は入ってこなかった。およね婆さんは、少しだけ身を乗り出してみた。

「うわっ、何だか酷い匂いがするね。やっぱり何かが落ちたんじゃないかね。地下水は繋がっているだろうから心配だ。早速村長に行って確認してもらわないといかんかな」

 そう呟いた瞬間だった。井戸の底からうねるような黒い塊が井戸の中を這い上がってきて、あっという間におよね婆さんを包み込んでしまった。

「ふっふっふ。待っていたぞ。神様もいなくなったし、この村ならこれからはやりたい放題できそうだな。新しく守り神になった若い二人にこの俺を止めることはできないだろう。何といっても俺様は数百年も存在し続けている霊だからな。神様たちは悪霊とかいうけど、そんなことはどうでもいい。俺たちは人間が憎悪を感じてくれればそれに越したことはないんだ。ついでに殺し合ってくれたら、嬉しくてたまらなくなるね」

 以前、大きな雹が降り注いで村中が災難に見舞われたが、神様が急いで戻ってきて悪霊は海の底へと帰っていったはずだった。しかし、実は悪霊は一つではなかったのだ。海の底に帰っていった悪霊の背中を借りるようにして移動して来ていたタチの悪い悪霊もいたのだった。神様が戻ってくることを察知して逃げ出した悪霊の背中からヒョイと飛び降り、井戸の中に息を潜めて隠れていた悪霊がいたのだった。その悪霊は取り憑くことができる人間がやってくるのを首を長くして待っていたのだった。およね婆さんも不運だった。強い好奇心を持っているばかりに井戸を覗いてしまったのだ。その瞬間黒い煙のような悪霊はおよね婆さんの体の中に入り込んだ。せっかく大人しくなったおよね婆さんだったが、悪霊に取り憑かれてしまい、以前よりも酷い性格へと変貌し若い夫婦を罵り始めてしまった。

「村のみんなー、騙されるんじゃないよー。あんな若いヒヨッコたちにこの村を守ることなんてできるわけがねぇ。神様も愛想尽かしてこの村から出て行ったんだー。もう、この村も終わりだぞー。みんな騙されるでねぇ」
「おい、およね婆さん、何、罰当たりなことを言ってるんだ。おめえも見ただろ。守り神となった結衣様と心助様のお姿を。ありゃあ、夫婦観音様だぞ。これからの我々の守り神様じゃ」

「バカな村人たちじゃなぁ、お前らは。あの若い夫婦は自分たちのことだけを考えて神様に取り入ったんじゃ。そのせいで神様はいなくなっちまったんだぞ。おめでたい奴らじゃ。あんな若造夫婦にまんまと騙されて。はっはっは」

「おい、およね婆さん。あんた、なんか今日は変だな。何かあったのかい。昨日まではありがたいありがたいって言ってたじゃないか」

「そんなことを言うもんか。あの守り神と言っている若造たちを追い出してもっと住みやすい村にしてやるんだー」

 そう言うとおよね婆さんは、近くにあった鎌を取り、振り回して走り始めた。それを見ていた村人は大慌てで逃げ出し始めた。

「およね婆さんが、狂ったぞー。祟りなんじゃないかー」

「およね婆さんが、狂ったー」

 次第に村中が大騒ぎになっていった。今にも鎌を振り翳して襲い掛かろうとしてるおよね婆さんを見て、誰しもが「取り憑かれている」と思ったのだ。事実、悪霊に取り憑かれ、顔つきまで変化していった。目の周りは黒ずんでいき、髪の毛はザンバラで真っ白に変化し始めている。手は長くなり、猫背がひどくなってきている。そして異様なのは、動く速度が尋常ではないほど早く屋根の上までもひとっ飛びで登れる跳躍力もついている。若者でも追いつくことができない速さで動き回り、村人に襲い掛かろうとしている。鎌を振り回しながら走り回っているので、簡単には近づけないが、それでも何とか食い止めようとした人たちは鎌で切り付けられ血を流している。それを見ておよね婆さんは高笑いをしている。

「はっはっはっ、弱い人間がこの俺様に逆らおうなんて千年早いわ。俺は三百年間も悪霊と呼ばれる存在なのだ。俺様は人間の醜い心を頂いて人間同士の災いを作り出すのが得意なのだ。『魔心の霊』とでも呼んでくれ。素敵な呼び名だろう。人間どもの大好きな『まごころ』だぞう。高々数十年生きてきた人間などに俺様が抑えられるはずもないわ。わっはっはっはっ。それについに神様もいなくなってしまったようだし、これからは俺様がこの村を支配してくれる。昨日今日守り神とやらになったヒヨッコではこの俺様に楯突くことは難しいだろうしな」

 ついに悪霊が名乗り出た瞬間だった。村人たちはおよね婆さんだと思っていたが、悪霊が取り憑いているとわかり、悲鳴のような声をあげ、逃げ回った。悪霊は少しでも恐怖心を煽り、美味しい心を頂こうとおよね婆さんを操り始めた。およね婆さんの心は死んではいない。悪霊に体を乗っ取られ、心を閉じ込められてしまったのだ。そうなってはおよね婆さんは手も足もでない。閉じ込められた心の中で結衣と心助に祈っていた。

「あんたたちに酷いことを言ったことは謝ります。どうかこの悪霊を追い払ってください。お願いします」

 およね婆さんは懸命に心の中で戦おうとしていた。その時、およね婆さんの心の中に語りかけてくるものがいた。それは明らかに結衣の声だった。

「およねさん。大丈夫ですよ。悪霊は、最初は自分の力を使って人間の体を操ろうとします。しかし、自分が持っている力は人間の醜い心がないと持続できないのです。だから、心配しないでください。今のおよねさんの心はとっても綺麗です。悪霊に食べられてしまう心は全くありませんよ。私も少しだけお手伝いをさせていただきますから」

 悪霊は元々持っていた力を使い果たそうとしていた。調子にのっておよね婆さんの姿も変え、走り回ったり飛び回ったりしたものだから、持っていた力を使い果たす寸前になっていた。しかし悪霊は醜い心を食べればまた動けるようになるから問題ないとたかを括っている。およね婆さんを取り巻きにして見ている村人たちもその変化に気づき始めた。悪霊は一旦動きを止め、およね婆さんの心の奥底に潜り込もうとした。

「何、お前は誰だ。ここはおよね婆さんの心の中だぞ」

 魔物は自分より先に心の中に入り込んでいる奴がいると知り、ちょっと身構えた。まさか神様が戻って来たのかとも思ったが、それとは違う光を感じていた。

「あなたは数百年も悪霊として彷徨っているのですか。そろそろそんな生活も終わりにして光の世界に戻って来ませんか」

「もしかして、お前は新しいこの村の守り神なのか。だとしたら、早く出ていったほうが身のためだぞ。お前のように修行もしていない守り神が俺様に勝てるはずはないからな」

「はい。私は勝とうなどとは思ってもいません。今、およねさんの心の中にいる私は、およねさんの心を少しだけ支えてあげるためにここに来たのです。それと空からは、私の夫が結界を作ってくれています。他の村人が怪我をしないようにね。全ての住民は私たちが見守っている大切な大切な人たちなのです」

「へぇ、そうかい。その大切な村人たちはもうちょっとしたら俺様に心を喰われてしまうぞ。黙ってそこで見ていな」

「そうですね。黙って見ているとしましょう。およねさん、何も心配することはありませんよ。あなたの心は悪霊に食べられることは絶対にありませんから」

「わたしゃ、あんたの言うことを信じるよ。静かにしていればいいだけなんだよね」

「うわっはっはっは。静かに喰われるのを待ってくれるとはいい心がけだ。おおっと、無駄な話をしている場合じゃないな。そろそろ力を補給しないとな。じゃあ、悪いけど醜い心を喰わせてもらうぜ」

 およね婆さんの心の中に入り込んだ悪霊は、守り神がいても気にすることなく、心の中を探し回り始めた。

澄んだ心


 どうやら悪霊は、醜い心を探しているようである。しかし、あたり一面は明るく透き通るような澄んだ心しか見当たらない。悪霊は次第に焦り始めていた。力を使いすぎたため、早く補給しないと動けなくなってしまうかもしれないと感じ始めていたのだ。しかし、およね婆さんの心の中には、悪霊が食べられそうな心が全くない。どんなに探しても見つからないのだ。

「そんなバカな。醜い心を持っているのが人間のはずだ。俺様は悪い夢でも見ているのか。それともこの村の人々は汚れがない心しか持っていないということなのか。だとしたら、俺様はとんでもない場所に来てしまったと言うことになるぞ。どうすればいいんだ。この婆さんから抜け出すにはもう残りの力が少なすぎる。まずい、まずい。このままじゃ何もしないうちに消滅してしまう。俺様ともあろうものが」

 およね婆さんの頭上には小さな太陽のような丸い光が輝いている。どうやら心助が結界を作り悪霊が逃げ出すことができないようにしているようだ。村人はその結界の外側でおよね婆さんを取り巻いて見守っている。少し前までは異様な形になってしまったおよね婆さんだったが、時間が経つにつれ元の姿に戻り始めた。見ている村人たちも声をあげて喜び始めた。

「新しい守り神様が助けてくれているみたいだな」

「おお、本当に頼りになるのう。どんどん元のおよね婆さんに戻っていくぞ」

 悪霊もこのまま消滅するわけにはいかない。最後の力を振り絞って心の中で最後の戦いに挑もうとしている。悪霊が振り絞った力が大きくなると、元に戻りかけたおよね婆さんの容姿も再度醜い姿に変身しようともがき始めた。結界の外では、心の中の戦いは見ることができないが、およね婆さんの姿がどうなるかでどちらが優勢かを判断して応援するようになっていた。次第に応援する村人も増えてきた。およね婆さんは心の中で村人の応援の言葉をしっかりと聞いている。

「およね婆さん、負けるなー、頑張れー」

「守り神様が助けてくれるぞー。諦めるなー」

 そんな声を聞きながら、およね婆さんは少しずつ自分自身を取り戻しつつあった。そんな様子を察した悪霊はさらに焦り始め、我を失ったかのように制御できなくなったおよね婆さんの心の中で暴れ出した。

「くっそー。この俺様が人間や成り立ての守り神に負けるわけがないんだ。ウォー。俺様の最後の最大の力でお前たちを消滅させてやるぞー。そうすればお前たちの醜い心ももう一度生まれてくるだろう。俺様はそれを喰らってまた暴れてやるぞー」

 およね婆さんは守り神の結衣に促されるように前に出て、悪霊と対峙した。そして静かに語りかけ始めた。

「悪霊さん。あんなも元は人間だったんだろう。少しくらいはその時の心が残っているんじゃないのかい。きっと辛い人生を送ったからそんな姿になっちまったんだよね」

「人間如きが俺様に説教を垂れるな。千年早いわー」

「そうやって粋がってないで、全てを吐き出して仕舞えばいいじゃないか。きっと楽になれるよ。あんたさえ良ければ、ここに居てもいいよ。もう悪さもできないと思うからさ」

「バカなことを言うな。俺様は災いを起こすのが楽しいんだよ。俺様から悪さを取ったら何も残らないんだよ。ウォー」

「強がらなくてもいい。元の弱かった頃の人間の心に戻れば眩しいくらいの光の中に帰っていけるし、また生まれ変わって違う人生を歩めるよ」

「ち、違う人生。この俺様が、違う人生。そんなことができるのか。もうほとんど記憶がなくなったあの頃のような生活が」

 心なしか心の中にいる悪霊のドス黒い雲のようなものが若干薄くなって来ている。およね婆さんの外観もほぼ元の姿に戻り、倒れ混んでしまった。しかし結界がまだ解かれていないので、村人たちは遠巻きに心配そうに見ながら声をかけているだけの状態が続いている。心の中ではおよね婆さんの心を支えるかのように守り神の結衣が悪霊に光を当てながら話し始めた。その光は悪霊が人間だった頃の楽しい思い出を回想させていた。

「こんな楽しいことがあなたにもあったのよ。お父さんとお母さんと手を繋いで歩いているわ。この後あなたたちを襲った悲劇はとても残念だったけどそのことを受け入れてみない」

「ああ、あの時、ドス黒い雲に襲われたんだ。そしてみんな殺し合いになって死んでしまった。俺様はそれを見ていた。まさか、あのドス黒い雲は今の俺様なのか」

「そうよ。あの頃、あなたが一番嫌いだったものにいつの間にかあなたはなってしまったのよ。もう、終わりにしましょう。そんな霊になってしまうのは」

「うう、俺様が一番憎んでいたものに俺様は成り下がっていたのか」

 その時、悪霊の中でもう一つの声がした。どうやら今の悪霊を取り込んだ大元の悪霊が存在していたようだ。

「騙されるな。こいつらはお前を言いくるめて消滅させる気だぞ」

 守り神となった結衣はこの隠れていた悪霊の存在に気づいていた。表に出てくるのを待っていたのだ。そしてこの隠れていた悪霊はすでに救うことができない霊になっていることも悟っていた。結衣の光が一層強くなりおよね婆さんの心の中で輝きをました。その光は体の外にまで漏れるほどの光だった。結界を張り続けている守り神の心助もいよいよ最後の時が近づいていると悟り、結界を一層強くした。周りの村人は全員座り込んで手を合わせている。後方には住職や村長も心配そうに見守っている。心の中では真の悪霊と守り神の一騎打ちが繰り広げられていた。

「おい、守り神。よくもここまで追い詰めてくれたな。この俺がお前を喰らってやるぞ」

「悪霊のままでは辛いことでしょう。私が綺麗に浄化して差し上げましょう」

「やれるものならやってみるがいい。俺の強さを見せてくれるわ」

 そう言い放ったと思うと、ドス黒くうねった雲が光を巻いていった。光の周りを囲んでしまい、その黒い雲で光を遮り、一気に潰してしまおうと悪霊は躍起になっている。守り神の光は輝きをさらに増し、落ち着いた様子で回転し始めた。光の回転以上の速さで包み込もうとするドス黒い雲を振り切りながら、ものすごい輝きを放ち始めた。しばらくすると、低い呻き声を発し、ドス黒い雲は細切れになってしまい、一つずつ順番に消滅していった。悪霊が完全に浄化された瞬間だった。ドス黒い雲がなくなった後には、小さな子供の霊が横たわり静かに寝息を立てながら眠っていた。

「およねさん。この子が最初の悪霊よ。もう今は悪霊ではなくて人の子の霊になりました。あなたの清らかな心がこの子を救ったのよ。ありがとう。魔心が真心になったわ。私はこの子と一緒に天に戻りますね」

「ああ、守り神様。ありがとうございます」

 外の結界も解かれていた。倒れているおよね婆さんのところに村人が駆け寄ってきた。ゆっくりと目を開けたおよね婆さんを見て歓声が上がった。

「おお、およね婆さんが元に戻ったぞー」

「助かったんだー。よかったのう」

「守り神様のおかげじゃ」

「やっぱり守り神様の力はすごいのう」

 目が覚めたおよね婆さんは、空を見上げた。二つの大きな光が小さな光を大切そうに抱えて天に昇っていく様子が見え、手を合わせた。

「次の人生はいい人生になるといいね。どうせなら、この村の子になって戻っておいで」

 およね婆さんはそう呟いて、集まった村人たちに心の中での出来事を語り始めた。村人も守り神の活躍を目の当たりにし、より一層守り神様を崇めるようになっていった。

未来への道


 心助と結衣が守り神となって初めての悪霊撃退が無事に終わった。守り神となったばかりだとは思えないほどの落ち着いた対応ぶりだった。悪霊の中にも人の霊に戻って転生できるものとすでに人の心を失ってしまった霊がいることを神様から聞かされていた二人は、見事に悪霊を分離させ、救える霊を取り出したのだった。救い出した子供の霊は、きっといつの日か新しい命として転生されてくるだろう。

 守り神のありがたさを身をもって体験したおよね婆さんをはじめ、悪霊との静かな戦いを見守っていた村人たちは、守り神のことを未来に繋いでいくために何かを残す必要があると考え話し合った。それぞれが育った家を保存しようということはすでに決まっていたが、もっと何かが必要なのではないかと話が盛り上がっていった。そして、心助と結衣の家を結んでいる道にも名前をつけようということなったのだ。村人たちは、この二軒の家を結ぶ長い道を「心を結ぶ道」と名づけ、厳しい冬以外、道の脇には四季折々の花を植える習慣を作っていった。結婚する若い二人が現れたときは、新婦は娘の実家で、新郎は若者の家で一晩過ごし、あくる日の日の出と共に、仲人に手を取られながらお互いの家に向かって歩き出し中央で落ちあって、式を上げるという習慣もできていった。村人のために尊い命を捧げた若い夫婦への敬う心を忘れないためにも、この習慣は続けられた。そうしていつの日にか、娘の実家と若者の家は神聖な場所として村人が交代でお参りするようになっていったのである。

 こうして、村人たちは自分たちの過去のしきたりに囚われた過ちに気づいた後は、村で何が起ころうとも、お互いを信じて助け合うようになっていった。村の古くからのしきたりも廃止された。一番安堵したのは村長だったのかも知れない。村長は嬉しさに満ちた顔で村人に向かって「しきたりの廃止」を宣言したのだ。村長も村人もほっとしていた。しきたりという古くからの習慣に村人の心が縛り付けられていた時間が終わりを告げたのである。何かを拠り所にしている方が楽だということを村人たちは分かっていたが、心助と結衣のことを受け入れてあげられなかったことは、大きな後悔として大半の村人の心の中に燻っていたのだ。悪い噂を流していた女性たちも集まって反省をしていた程だった。しきたりの廃止は、以前よりもより強い絆が村人たちの間に芽生えた瞬間でもあった。

 山の麓には小さな祠も作られて、仲睦まじい心を結ぶ夫婦観音が祀られた。村人たちは、二人の名前にちなんで「結心観音」と呼ぶようになり、次の世代にも語り継ぎ、決して結心観音を粗末に扱うことがないようにと伝え続けた。そして、若い二人が山に入った日を供養の日と定め、二人から贈られた着物を着て山の入り口まで村人全員で揃っていき、松明を灯し、供物をして手を合わせることが行事となった。この行事では、どんなことがあっても村人同士は助け合い、信じ合うことで未来を作っていくことを誓うのが慣習となり、新しい世代にもずっと引き継がれていった。その読み方の通り、心を結ぶ観音様だと語り継がれている。

 十年が経ち、およね婆さんも天国に旅立ってしまっていた。時を同じくして当時はまだ十代だった若者も成人し、結婚式を挙げるようになっていた。そんな折、村の中で育ったもの同士の一組の男女がめでたく結婚する運びになった。同じ村の住民同士の結婚は珍しかったので、村を挙げての結婚式が執り行われた。当日は雲ひとつない秋晴れの日だった。年寄りたちは、守り神様がまだ若い夫婦だった頃と重ねて結婚する二人を見ていた。本来ならば、今頃は可愛い子供たちと幸せな家族を築いていたはずなのにと誰しもが思いを馳せながら、新しく夫婦になる若者を見守っている。きっと、天にいる二人も微笑んで見ていてくれることだろうと思った時、一陣の心地よい風が若い二人を祝福するかのように舞い、枯れ葉を美しく舞いあげている。集まった年寄りたちは目を細めながら祝福していた。そして、一年が過ぎた頃、この若い新婚にも子供が生まれていた。丸々と太った男の子だった。住職が祝いに駆けつけ「もしかしたら、あの時の霊の生まれ変わりかもしれんな」とボソッと呟いていた。住職は若い父親と母親に向かって一言だけ話をした。

「溢れる愛情を注いで育ててください。そうすればきっと真っ直ぐで清らかな心を持った青年へと成長するでしょう」若い夫婦は、満面の笑みで会釈で答えていた。

 数百年が過ぎた現在でも、お祭りという形に変わってしまってはいるが、今もなお習慣は続いている。決してこの時の若い二人のような境遇の村人を作り出さないためにも、お互いに協力することが当たり前のことになっている。他の場所から新しく移り住む人もごく少数ではあるが毎年発生している。そんな人たちにも、しっかりとこの話を守るべき神話として引き継ぎ、理解してもらうことを村人たちは実施している。そして住人となった日に、新しい着物をプレゼントしてもらう習慣もできた。最も、今では着物ではなく洋服である。そして、この村の人たちは、何があっても全員が本当の家族であるかのような信頼を大切にするようになっている。

 神様の住む山への入山を厳しくチェックしていた門番杉は若い二人が守り神となった瞬間にその役目を終え、一本の大きな普通の杉となったと言い伝えられているそうだ。大きな杉は今でも山の入り口に村を見下ろすかのように聳え立っており、村人によってしめ縄が巻かれ大切に保存されている。

 この山あいの里は今でも強い絆で結ばれた人々が、平和で幸せに暮らし続けているそうだ。ただ、時間の流れとともに村人の記憶も薄れ、生活環境も変化し、現代社会のテクノロジーという名の悪霊もこの小さな村にまで津波のように押し寄せてきている。結心観音となった二人も心配そうに空の上から村を見守り続けていることだろう。



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