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驕りと信頼の思い出

 こんにちは。今日は思い出話をひとつしたいと思います。

 実は、noteで色々なコメントをしてくれるうぉんのすけさんが、少し悩まれて書かれた記事を読み、私自身の過去のエピソードを思い出してしまったので、忘れないうちに記事にしておきたいと思いました。

 うぉんのすけさんの記事は、退職した会社でゴタゴタが発生しているので支援依頼が来たら助けてあげようと考えていたことが綴られていました。結果的には依頼が来ることはなかったようなので平和に時間は過ぎていったようです。

 この記事を読み、私が思い出したのは、まさに支援依頼が来たという経験でした。思い出すきっかけをくれたうぉんのすけさんには感謝です🙇🏻‍♂️

 三十五年以上も前の話ですが、お付き合いいただければと思います。なお、記憶が曖昧な部分は脚色されているかもしれませんがご了承ください😅



 当時若かった私は、日々お客様先で仕事をしていた。ちょうど誘われたこともあり、転職を考えている時で取り掛かっていたシステム開発のプロジェクトの仕事も段々終わりが見えてきていた。システム開発は最終テスト段階に入り追い込みで忙しくなっていたころで数ヶ月後には本番稼働の予定が立てられていた。

 次の仕事が決定していた私は、転職時期を半年先に設定した。それ以上先にすると次の新しいプロジェクトに入ってしまい身動きが取れなくなると考えたからだ。どうすれば円満に当時の会社を退職することができるかを考え、自分なりに退職までの道のりを計画した。

 お客様先で仕事をしていた私にとって、最優先で迷惑をかけられないのはお客様である。そしてその次がチームメンバー、最後が所属していた会社だった。そんなことを勝手に前提として考えると、まず、担当しているシステムが本番稼働して一月経過した時点でお客様に話をするのがベストタイミングだと考えた。月締めの処理結果を確認し安心できるからだ。

 お客様に話を持ちかける時に、引き継ぎの手順や保守に当たっての心配事項と対応方法などをお客様担当者と打ち合わせを実施し退職を予定していることを伝えた。お客様としても私の選択したことに対して最終的には賛同していただいた。この時に退職まで三ヶ月を切っていた。次にチームメンバーへは退職と通知せずにシステムの説明というか引き継ぎを兼ねた説明会を開き、文書化されたものの引き継ぎを行った。最後に当時の会社の上層部に対し、退職の意思表示。この時退職予定まで残り二ヶ月。直属の上司のみならず役員からも面談をされたが、決意は変わらず押し切った。最初は「突然退職したら今のお客様が困ることになるだろう」と言われたのだが、当然想定内だったため「すでにお客様には説明も引き継ぎも済ませてあり、退職することも通知してあります」と伝えた。すると「それは順番が違うだろう」と言われたが、「一番迷惑をかけることになる関係者に伝えたまでです」と言い切った。

 結果的には会社側も納得して、喧嘩別れにならずに退職できた。今だったらそんなに問題視されないのかもしれないが、三十五年以上も前の環境では、退職することに対し攻撃的な時代だったように思う。引き抜きなどが始まった時代だったからかもしれない。実際私も引き抜かれての転職だった。

 そうして無事に退職し新しい会社で業務を開始したわけだが、退職して一月も経たないうちに電話がかかってきた。当時は携帯を持っていないので固定電話にかかってきたのだと思う。最悪のことを想定してお客様には自宅の電話番号を伝えていたのだ。電話の相手はお客様の情報システム部のシステム課長だった。私が構築に携わったシステムの責任者の方だった。

「夜分に申し訳ありません。すでにこちらでの会社を退職されて新しい環境でお仕事を開始されていると思うのですが、相談したい事案が発生してしまいご迷惑かと思いましたがお電話を差し上げました」

「はい、ご無沙汰しております。その節はお世話になりました。で、ご用件はなんでしょうか」

「実は、急に法改正が決まりまして、システムの対応を早急に実施する必要が出てきたのです。対応期間は三ヶ月程度しかありません。そこで、誠に申し上げにくいのですが、週末に私たちのところに出社して対応すべき箇所をガイドしていただけないでしょうか。すでに引き継ぎが完了していることも理解しているのですが、どうしても力を貸していただきたいと思っているのです」

「しかし、私もすでに仕事に入っていますので、伺えるとしても土曜日か日曜日しかありませんが」

「はい、それも承知しています。それに以前勤められていた会社の方とも顔を合わせなくて済むように部屋も配慮したいと思います」

「そうですか。そこまで言われるのならお伺いしたいと思います」

「ありがとうございます。つきましては対価のお支払いですが、松浦さんの個人口座に振り込むように手配すればいいですか」

 当時私はボランティアで行くことを考えていたのだが、どうも企業としてそれは良くないらしく料金を支払うということで話がついた。そして、電話がかかってきた日の週末からお客様のところに出かけ、働いた時間を記録しお客様に提出したのである。実際には五回くらいのサポートで終わり、終了時にお客様に作っていただいた請求書に署名して送付したのだった。お客様にとっては個人と契約すること自体を社内で調整してから私に話を持ちかけたようだった。そこまで動いてもらったということに対し、当時は、頼られることを素直に喜んだ。当時の私は、自分のスキルが他のメンバーより優れているから、必要とされコンタクトされたのだと勘違いをしていた。そう、そこには驕りのような感情が存在していたように思う。

 時が流れ自分自身が管理職となった頃にこの経験を思い返してみると、お客様のシステム課長の対応は管理職としてリスクを最小化するための判断だったのだということに気がついた。私の知識や経験が必須なのではなく、対応しなければならない期間の中で如何に確実に作業を実施することができるかを最重要判断項目とした時に、設計を担当した私が入った方が引き継ぎをされた担当者よりも的確に変更箇所を指摘できるだろうと判断されたのだろう。そういう意味では、システム課長という立場のお客様にとってのお客様は、あったこともないそのシステムの向こう側にいて契約をしてくれる人であり、その方達に迷惑をかけない最善の方法を考えられたのだろうと思ったのである。

 ただお客様と当時の私の間に存在していた唯一のものは「信頼」だったんだろうなと今でも思っている。まだ二十代で若造だった私を一人前のエンジニアとして扱い、対価の交渉も私自身が自分の価格を知らなかったので提示できないでいると、足元を見るわけでもなく、私が所属していた元の会社に支払っていた人月単価をベースに計算して支払うことを提案してくれたのだった。私はその時初めて自分の売値を知ったのである。自分自身のコスト意識が芽生えた瞬間でもあった。

 その後何度か会社を変わることになっていったが、この時の経験はその後の仕事のベースとなる経験の一つとなった。ビジネスの世界において「信頼」に勝るものはない。と今でも思っている。

 仕事のみならず、どんなケースでも信頼を得るまでには長い時間がかかるが壊れるのは一瞬であるということを再度意識して、残りの人生を楽しみ続けられればいいかな。

おわり


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#エッセイ #思い出 #驕り #信頼

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