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【ファンタジー】結心観音 (2) 【創作大賞2024 応募作品】


第二章 失った日常

出会い

 娘と若者の出会いは、二年前に遡る。二人の家は狭い村とはいえ家同士は離れていたので普段顔を合わせることはなかった。二年前まで若者は父親との二人暮らしだった。母親は早くに病気で亡くなっていた。父親も年老いてからは無理が効かなくなり、段々外に行くことができなくなっていた。そして、ついには眠るように母親の元に旅立っていったのである。若者はある程度覚悟の上だったので、涙より先に、今後どうすればいいかを考えていた。通夜や葬式の準備もしなければならないのだが、心の余裕がなかったのだ。そんな時、亡くなった母と遠い親戚にあたる娘の母親に相談しようと思いついたのだ。とりあえず、その足で娘の母親に会いに行った。母が生前何かあったら、近所ではなくまず親戚を頼りなさいと言っていたことを思い出したのだ。

「ご無沙汰しています。心助です。実は、父が亡くなりまして、どうしたらいいか分からず唯一の親戚であるおばさんのところに来てしまいました」

「まぁ、まぁ、遠いところから、頼ってきてくれてありがとう。この度は色々と大変だったわね。本当に、ご愁傷様です」

「いえ、ただどうすればいいか分からず、悲しむ暇がありません」

「そうよね、一人になってしまったものね。とりあえず、娘の結衣をまず手伝いに行かせるわ。そのあと追いかけて私も手伝いに行ってあげます。お料理とかもしないといけないしね、結衣、こっちにいらっしゃい。こちら心助さんよ、お父様が亡くなられたばかりなの。お手伝いしてあげて」

「結衣です、この度はご愁傷様です。私でよければお手伝いさせてください」

「ありがとうございます。助かります。一人でどうしようかと思ってましたから」

 これが、二人の初めての出会いだった。若者の父親の死がきっかけとなり、亡き母の言葉が二人を引き合わせたのだ。先に娘と若者は若者の家に戻り、お通夜の準備を整えた。娘の母親は、お通夜の席で弔問客に振る舞う料理を作ってから二人を追いかけた。そして、近所の奥様方の手伝いもあり、若者の父親のお通夜、葬儀とも滞りなく済ませることができた。若者はこの娘と娘の母に深く頭を下げ感謝した。この時は、この村の人たちの助け合う強い絆に若者も娘も感心し素晴らしいと思っていた時だった。この村に生まれて本当に良かったと思っていたのだ。

「この度は、ありがとうございました。本当に助かりました。ひとりではどうしようもなかったと思います」

「いいのよ。それが親戚というものよ。表面のつながりだけでなく心がつながっているのよ。ねぇ、結衣」

「はい。お母さんの言うとおり。心助さんも大変だったと思います。ご苦労様でした」

「結衣さん、ありがとう。結衣さんにもたくさん助けてもらったな」

「あらっ、こんな時に不謹慎だけど、結衣と心助さん、なんだかいい感じだわね」

「えっ、いや、おばさん、からかわないでくださいよ」

「そうよ、お母さん。こんな時に不謹慎だわ」

「そうね。ごめんなさい。でも、心助さん、少し元気になったみたいだったから」

 こうして、無事に葬儀を終えて、二人は、その後も若者の父親のその後の法事でも顔を合わせることになり、次第にお互いの心の距離が縮まっていったのだ。そうなると若い二人の間には自然発火するようにお互いへの思いが高まっていったのである。その時は、娘の父親が事故に遭うという不幸も自殺してしまうということも想像すらできず、絵に描いたような幸せの時間の中に二人は浸っていた。やがて、若者は娘に結婚を申し込んだ。

「結衣、もう少し僕の仕事が安定して暮らしていける目処が立ったら一緒になってほしい。裕福ではないけど、きっと幸せになる努力は惜しまないから」

「心助さん、嬉しい。私もいい妻になるように努力します。末長く、両親ともどもよろしくお願いします」

 こうして必然的に若い二人は結婚の約束を交わした。二人とも、これから訪れる素晴らしい未来を信じ、幸せを最高に感じていた。

突然の事故

 娘の父親である清一は、村の仲間数人と獣道を使って険しい山越えをして作物を近隣の村に売りに行っていた。外部と繋がっている普通に通れる道は、全く反対側にあるので清一たちが行きたいと思っている村にはかなり遠回りになってしまう。しかも作物は痛みやすいので、どうしても危険だとはわかっていても、近道を選択してしまうのである。使う獣道はわずか幅三十センチ足らずの山肌を縫うような道である。足を踏み外してしまうと一気に滑落してしまうことになる。清一たちは重い野菜を背中に背負って山向こうの村に行き、全てを売り切り、上機嫌で同じ道を使って村に戻ってきていた。高値で売れたため、山向こうの村で嬉しさのあまり、仲間たちとほんの少しだけ酒を飲み、妻や結衣へのお土産の櫛を買って帰ってきていた。それが過ちだった。

 にわかに空模様が怪しくなり、山肌の狭い道を歩いているときに、運悪く雨が降り出してきた。酒を飲んでいるせいか体は暖かいので、少々の雨は気にならなかった。いつもなら、雨が止むまで安全な場所を探して休憩をするのだが、この日は誰しもが早く帰って土産を渡したいと思い、休むことなく歩き続けてしまった。次第に雨足が強くなり、さすがの清一も危険だと感じ始めていた。しかし、すでに休もうにも山肌の細い道の半ばまで歩いてきてしまっている。進むのも引き返すのも同じくらいの距離だと思い、ならば急いで進んだほうがいいと判断してしまったのだ。だが、それが裏目に出てしまった。強い雨で狭い山肌の道はいつ崩れてもおかしくない状況になっていた。清一たちは万が一のことを考え、一本のロープをみんなで掴みながら歩いていた。先頭は清一で道の安全を確認しながら進んだ。次第に雨足は強くなっていった。前を確認するのが困難なくらいの土砂降りになっている。売上とお土産を落としては元も子もない。すでに村の集落が見える位置まで来ていたが、強い雨のためはっきりとは確認できない。「危ない、逃げて」清一の耳にはそんな声が遠くからかすかに聞こえた気がした。人の声が届くわけはないから、強い雨の音が作り出した声なのかもしれないと思い直した。しっかりと懐を気にしながら進んでいたその時、清一の足元がガラガラと崩れ落ちてしまった。一瞬、清一は宙に浮かんだような感覚を覚えたが、それはまさしく足元の地面がなくなってしまっていたからに他ならなかった。どうすることも出来ないまま、清一は崖の下へと滑落してしまった。握っていたロープはいつしか手から離れていた。上の方から、呼びかける声が聞こえるが清一には、どうする事もできない。声は滑落とともに次第に遠ざかっていった。

 清一は転げ落ちながら死を覚悟した。脳裏には妻と娘の顔が浮かび上がる。強くなった雨は容赦なく晴一に打ち付け、全身の感覚を奪い去っていくようだった。落ちていく途中、鋭く角張った岩に両足を打ち付け、体は回転しながら谷底へと落ちた。両足の感覚は無くなったが、落ちた場所は山の木を伐採した枝葉が山のように積まれている場所だった。清一は、奇跡的に助かったのだ。その後、命からがら、村になんとか辿り着いた仲間たちが、雨の中を探しに戻ってきてくれた。

「清一、どこだー。返事をしてくれー」

 遠くから聞こえる仲間たちの声に必死に声を張り上げて助けを呼んだ。

「ここだー、ここにいるぞー。足をやられて動けないんだー。助けてくれー」

 叫ぶ声は強い雨にかき消されそうになったが、次第に雨足は弱まり、清一の声も仲間たちに届いた。なんとか助けにやってきた仲間たちは、清一の足を見て呆然となった。

「清一、お前の足」

「えっ、俺の足か。多分折れちまったんだと思うよ。動かないんだ」

「いや、折れているんじゃないぞ。ほとんど千切れてるぞ」

 清一の足は、鋭い岩に当たったときに膝から下をひどく損傷し、なんとか繋がっているだけだったのだ。誰しもが清一の足が元に戻ることは無いとわかった。その後なんとか清一は村まで運ばれ、無事に自宅に戻ることができた。村には病院はない。多少医学に詳しいものが清一の足の状態を確認したが、首を横に振った。それを見て清一も自分の足の状態を悟った。妻と娘が駆け寄ってきた。

「あんたー、一体どうしたのさー」

「父さん、父さん、大丈夫なの」

「ああ、心配するな。一応、生きて戻ったぞ。野菜も全部売れたんだよ。ほら、お土産もあるぞ」

「そんなことより、あんたの足が」

「どうやら、足はダメそうだな。痛みも感覚もないしな」

 この後、清一は両足を失い、寝たきりの生活を余儀なくされることとなり、家族の生活は一変してしまった。

父の決断

 娘は心助と共に、両親に結婚したいということをいつ伝えようかと話をしていた矢先、村の外で娘の両親が事故にあったという連絡を受けた。娘の父親は山を越えるため崖っぷちの道を歩いているときに崖から滑落してしまったと知らされた。その結果、両足が不自由になり、歩くことができず、働くこともできなくなってしまった。娘の母はそれでも懸命に寝る間も惜しんで働き、なんとか介護しながら娘との生活を保とうと考えていたのだが、結局無理が祟って倒れてしまった。そうなると娘が頑張るしかない。娘も頑張ったのだが、どうしても力仕事には限界がある。男手が必要だった。そんな娘を見ていた父親は、娘が不憫になり涙を流しながら、隣に寝ている娘の母親を手にかけてしまったのだ。

「お前、すまん。このワシがこんなことになってしまったために、辛い日々を過ごさせることになってしまったな。このままではいつまでも結衣の重荷になってしまう。ワシら二人一緒に先に旅立とう。許してくれ、結衣一人なら何とか生きていくこともできるに違いない」

 その時、傍で寝ている妻の頬に涙が光ったような気がして、一瞬躊躇したが、父親は勢いに任せて両手で妻の首を締め上げた。妻はやはり気づいていたようだった。苦しさを懸命に堪えて息を止め、されるがままに身を委ねた。その頬にはとめどなく溢れる涙が堰を切ったように流れていた。そして、数分後、静かに逝った。夫は、死に際の妻の顔が微笑んでいるように感じて自らも涙していた。

「すまん。ワシもすぐにお前の後を追うから待っていてくれ。この足では生きていてもお荷物になるだけだからな」

 そう言って、自分も浴衣の帯を家の中の梁に投げかけ、自分の体重で首をつって自殺してしまった。遺書すら残す間もなく。娘が家の外にある畑に仕事に出た朝早くの出来事だった。何も知らずに、日が沈む夕方になり仕事から戻ってきた娘は家の中に入った瞬間、その惨事に向き合うこととなった。父親が不自然な姿で壁にもたれかかっている。よく見ると首に帯が巻きつき、着物がはだけていた。父親の顔にはすでに血の気がなくなり、顔色は青白く下を向いている状態だった。娘は咄嗟に悟った。自害したのだと。

「お父さん、お母さん、どうして、どうしてこんなことを、私はどうなるの」

 娘は泣きながら、首を吊っている父親の首から帯を外し、母親の横に並べて寝かせた。しばらくは呆然としていた。すでに日も沈み、辺りは暗闇となっていった。灯りを点ける事も忘れ、娘は窓から入り込む月明かりだけを頼りに両親の前に座り、身じろぎもせずに一夜を過ごした。何も考えられなかった。一晩中泣き続け夜が明けると、とりあえずフラフラと家を出て両親が亡くなったことを近所に報告した。自分ではどうしたらいいか分からなくなっていた。しかし、報告を受けた近所の住民は、話を聞くなり、顔色を変え玄関の扉を硬く閉ざしてしまったのだ。何件か回ってみたが手を貸してくれるどころか、みんな扉を固く閉ざしてしまいまともに話を聞いてはくれなかった。家族同様だと思って育っていただけに娘の心は傷ついたし、理解すらできなかった。でも、両親をそのままにはしておけないし、埋葬もしなければならない。娘は途方に暮れた。村で唯一存在するお寺に行き、住職にも相談した。しかし、住職は、辛そうな顔をしながら娘に伝えた。

「みんなに相談せずに自ら命を断ち、逝ってしまった家は、この村では誰も助けてくれない。このお寺のお墓に遺骨を埋葬してやることも出来ない。すまないのう。裏庭にでも埋めてあげなさい。そして、あなたもこの村から出ていくことを考えた方がいい。この村は結束が硬い分、裏切られたと感じると絶対許してはくれない。だからこそ、誰にも邪魔されることなく、ひっそりと今まで生きて来られたのだよ。理解してくれるかい」

「そんな。お父さんもお母さんもこれまで村のために一生懸命働いていたのに。もう、誰も助けてくれないの?」

「すまんのう。この村が村として存続していくために昔の人が作ってくれたしきたりなんじゃ。例外を作ることはできないんじゃよ」

 娘は、理解できなかった。しかし、どうにもならないことなのだということだけは認識した。何かが違うと感じつつも何もできない自分が腹立たしかった。そのまま家に帰り、仕方なく両親を埋葬するために一人で裏庭に穴を掘った。深く掘らないと動物に掘り返される。娘は自分の胸くらいまでの深さに穴を掘り、両親を仲良く並べて手を繋いで埋葬した。すでに、夜になってしまった。娘は心も身体もボロボロだった。もちろん、弔問客もいない寂しい埋葬だった。この時、結婚の約束をした若者に連絡すると迷惑がかかってしまうということが脳裏をかすめ、若者のところに行くのを躊躇い、なんとか一人で対応しようとしていたのだ。そして最後に、娘はお隣の世話になったおじさんとおばさんをもう一度だけ頼ってみよう思った。

「私一人では冬を越す準備はできない。流石におじさんならこっそり助けてくれるかもしれないからもう一度だけ、信じて訪ねてみよう」

 そう思い隣の家を訪ねたのだった。しかし、玄関の扉が開くことはなかった。お寺を頼って行った時には、村人から村長へも自殺の話が伝わっていて、村長からしきたりを守るように全村人に対し連絡が回っていたのだ。雪が降りしきる中、娘は全ての繋がっている糸を断ち切られたかのような絶望感を感じていた。そして、それならば神様の住む山に入ってしまおうと考えてしまったのである。そう思ってなんとか山の麓まで行ったものの門番杉に簡単に追い払われてしまい、結局行く当てもなく途方に暮れてしまい、必然的に若者の家の前までやって来てしまったのだった。そして、張り詰めていた意識もプツッと切れてしまい、若者の腕の中で倒れ込んでしまった。

目覚め

 娘が若者の家で眠りについてから三日間が過ぎ、透き通るような空気の朝、娘は日の出とともにゆっくりと目を開けた。若者はその日の朝もおかゆを囲炉裏で作っていた。ふと、気配を感じ娘の方を確認すると目を開けているのが見えた。

「結衣、目が覚めたのか。よかったー」

「心助さん、、、わたし、ずっと眠っていたのかしら」

「あぁ、三日間も寝ていたよ。心配で心配でたまらなかった。ほんとによかった」

「ごめんなさい、ごめんなさい。迷惑をかけるつもりじゃなかったのに」

「何を言ってるんだ。ま、とにかくおかゆ作ったから、食べてくれ。少しでも食べて体力を回復しないと働けないぞ」

「ありがとう、こんな私のために。村中から嫌われているのに」

「ばかなこと言うなよ。誰が嫌っていても僕は嫌いになんかならない。死んでも一緒だ。それに村の人たちは決して嫌ってるわけじゃないと思うよ。みんながそうしているから合わせるしかないんだよ。いつかはわかってくれるさ。だって、みんな根はいい人たちばかりなんだから」

 若者はおかゆを冷ましながら娘の口に運んであげた。ゆっくりとそして噛み締めるように娘は一口おかゆを食べた。これまで口にした何よりも美味しさと若者の愛情を感じていた。涙が止まらなかった。それを見て若者も涙したが、娘に見られないように横を向き涙を拭って笑顔を見せた。若者にとって元気の源は娘の存在だったのだ。数日して、娘の体力もだいぶ回復したので、二人で畑仕事に出かけられるようになった。相変わらず、周囲の目は冷たく感じていた。そんなある日、若者の方から切り出した。

「結衣、僕たちはもう一緒に生活をしているが、まだ結婚式をあげていない。二人だけでここで式をあげてお互いの両親に報告しないか」

「そうね。二人だけの結婚式ね。素敵だわ、何もなくても心助さんと一緒だもの」

「ありがとう、それから、」

「それから?」

「僕は、やっぱりこの村の人たちが好きだ。こんなふうに冷たくされていても、きっとみんなの本心じゃないと思うんだ」

「そうね。私はあなたのそんな優しいところが好き。私も村の人たちを憎めない」

「だから、今後僕たちのような境遇の人が辛い思いをしなくていいような村になってもらいたいと思うんだ。みんな、人と違うことをするということを怖がっているだけなんだよ、きっと。古いしきたりに縛られていて、それを打ち砕く勇気がないだけだと思うんだ。僕たちと同じ境遇に家族が落ちてしまうのが怖いだけなんだと思う。この村の人たちも変わらなければいけないと思うんだよね。そうじゃないと、これからこの村を盛り立てていく若者も同じことを繰り返してしまうのだから」

「でも、どうすればいいのかしら」

「僕らがみんなのことを思っていると言うことをなんとかして伝えて、わかってもらえたらいいよね。そして」

「えっ、そして、どうするの」

「そして二人で神様の山に入りたい」

「えっ、神様の山に、どうして?」

「僕らは今のままではずっと孤立して生きていくしかないけど、僕らの間に子供ができる前にこの村を見守れるような存在になれれば、村ももっと幸せな空気に包まれるんじゃないかなと思うんだよ。僕たちの間に子供を作ることは諦めなければならないけど、みんなが幸せになれるのだったら後悔しないと思う」

「あなたは本当に心優しい人ね。そんなにも村人のことを思ってあげられるなんて」

「いや、そんなことはないさ。結衣のことが一番だよ」

「いいのよ、私に気遣ってくれなくても。だって、そんな優しいあなたが大好きですもの。それじゃあ、私たちの想いを伝えるために、何かしてあげられるといいわね。何がいいかしら。私たちの心が届くものでしょ。そうねぇ、村の人みんなが普段使う着物を作ってあげるというのはどうかしら。一年もあれば村人全員の着物を作れると思うわ。私、裁縫が得意だから。普段の生活に必要なものを贈ってあげるの。そうすればきっと私たちの真心が村の人たちに届くと思うの。もちろん、あなたの分も作るわよ」

「なるほど。うん、それはいいね。毎日使えるものならきっと僕たちのことを忘れないでいてくれるね。そうしよう」

 こうして若い夫婦は、村人全員が普段使う着物を作って送ることを決意したのだ。もちろん、村の人たちは何も知らない。二人も全ての住民の着物を縫い上げるまでは黙々と作業をするだけだった。二人の時間は村人のために使っていったのである。それでも、一緒にいられるという時間が二人にとっては幸せな時間だったのかもしれない。

二人だけの生活

 この後、若者の家の両親の位牌の前で、簡単な結婚式を二人で執り行った。立会人もいない寂しい結婚式だが、二人は満足だった。自分たちの両親に報告できればそれでいいと思っていたのだ。若者の家で結婚式を挙げた二人は、娘の実家に向かって歩きだした。一年近く離れたっきりだったので娘は実家がどうなっているのかと心配だった。実家に到着して二人は裏庭にまわり、娘が弔った両親の墓前で結婚の報告をした。娘が作ったお墓は動物に荒らされることもなく無事だった。もっと雑草が生えているのかと思ったが、意外に綺麗なままだった。これで二人とも肩の荷が降りたような気になった。家の中も気になるので二人で入ってみることにしたが、入ってみてびっくりしてしまった。埃がしていないのである。もしかして近所の方が掃除をしてくれていたのかもしれない。きっとそうに違いないと思い、お礼に行こうとする妻を若者は止めた。そのご近所の方に迷惑をかけてしまうかもしれないと思ったのだ。きっと、内緒で掃除をしてくれていたのだろうと若者は思ったのだった。

 一安心した二人は、その日は娘の実家に泊まって、翌朝早くに若者の家に帰っていった。周りの人に会わないようにと配慮したのだ。こうして、二人は無事夫婦となった。しかし、そのことを知っているのは二人のみだった。本当は村のみんなから祝福をしてもらいたいという思いは二人とも心の中では思っていた。

「結衣、たった二人だけの結婚式だけど、これで晴れて僕たちは夫婦だ。お互いの両親にも報告したし、これからは二人で力を合わせて頑張ろう。村の人たちを僕たちの結婚式に招待することは叶わなかったけど、いつかはきっと村の人たちも祝福してくれる日が来ると信じよう」

「はい、私もそう信じて精一杯着物を作ります。不束な嫁ですが、よろしくお願いします、旦那様」

「えっ、旦那様って、照れるなぁ。今まで通り、心助さんと呼んでくれよ。くすぐったくて変な感じだから」

「ふふ、私も変な感じです。やっぱり心助さんって呼んだ方が自然ね、心助さん」

「そうそう、それでいいよ。さぁ、明日からは着物を作る材料や道具を揃えないといけないから忙しくなるなぁ。辛いかもしれないけど頑張ろうな」

「はい。村の人たちから無視されても心助さんがそばにいるから大丈夫です」

 若い夫婦は家に戻ると、村人の着物を作るための反物を仕入れるために、それまで一生懸命働いて貯めていたお金を持って村の外に買いに行った。村の中では買い物はできないので、村の外の店まで出かけなければならない。山あいの道を抜け、往復するだけで一日では足りない道のりだ。それでも二人で出かけるので苦にはならなかった。百人足らずの村人の着物を作る布が必要だった。二人で持って帰って来ないといけないので、毎月天気のいい日を見計らって、少しずつ買いに出かけることにした。そして、呉服屋さんには毎月買うからと言う条件で、少し安くしてもらったりもした。二人はお金を残す意味はないと考え、全ての蓄えのうち一年間程度の生活費以外のお金を全て着物を作るためのお金として使っていったのだ。二人とも、微塵も後悔することなく晴れやかな顔をして毎日農作業と着物作りに励んだのだった。


 そんな二人のことを村人たちは気づかれないように窓の隙間からいつも様子を伺っていた。若者の家で新しい生活を始めていたので、娘のことはあまり知らない近所の人たちだった。それ故、どうしても、娘の悪口が陰口として囁かれていたのである。いつの時代も他人の話は有る事無い事語られる。村でも有名なおよね婆さんが最初に話し始め、周りの女性を引き込んでいった。

「心助さんのところに転がり込んできた娘さんは、両親が誰にも相談せずに自殺しちゃったんだそうよ。娘さんは可哀想だと思うけど、そんな家の娘が押しかけてきたら、心助さんまで巻き添えになるのにねぇ。あの娘はどうもないんだろうかね」

「押しかけてくるくらいだから、心臓が強いんじゃないの。だって、村長さんもお寺の住職さんも村を出た方がいいと勧めたのに、居座ったらしいわよ。だから、結構図太いんじゃないの。顔は可愛いけど」

「それにしても、毎日毎日、家の中に閉じこもって何をしているんだろうね」

「なんでも、村の中では仕事もできないので、他の村まで時々出かけているらしいわよ。時々大量の反物を持って帰って来てるみたいだから、大きな呉服屋の仕事でもしてるんじゃないのかい。それにしても毎日仕立てるだけの仕事がよくあるね」

「私たちとは話もできないから、きっとお金をたくさん貯めるつもりなんじゃないのかい」

「そうね。そうかも知れないわね。全く抜け目がない娘ねぇ」

「ああ、あんな娘にはきっと天罰が降るに違いないよ。私たちもあんまり近づいて、とばっちりを貰わないように気をつけないとね」

「そうね。こっちまで変になったら大変よねー」

 人の口とは怖いものである。火のないところにも煙は立つものらしい。畑仕事で落ち合った女性たちが若い二人の噂をしている。毎日を決まった仕事をして食事の準備をする女性たちにとって、二人の行動は格好の噂の的となっていた。特に、二人のことをよく知らない女性同士は時折集まって、自分たちがこっそり見たことを話して楽しんでいるかのようだった。

 そんな噂を立てられているなどとは思ってもいない二人は毎日毎日着物を作り続けては反物を仕入れるという生活を続けていた。

続く


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