新しい発見をすることに前のめりでいたい

毎日何かを発見できていたら、それは素晴らしいことかもしれない。昨日まで知り得なかったことを知ること。ひとつの新しいことを知ることは、新しい自分になれるということだ。小さな発見を重ねた先に過去の自分との大きな変化ができてくる。

10年前の自分と、今の自分が対話をしたら、きっと今の自分は聞き役になるだろう。過去の自分は自論をバンバンと今のオレにぶつけてくるだろう。自分でも分かるくらいにオレは変わった。まず、人の話を聞くことができるようになった。その変化もこれまでの新しい発見が自分に変化をもたらせた結果で、間違いない。

人生は短い。と、よく言う。過ぎ去った日を振り返ると短いような気もするが、やっぱり長い気もする。この先まだ3.40年かな?真っ当に平均寿命くらい生きたとして自分には時間が残されている。10年先の自分はどうなっているだろうか。毎日どんな発見をオレがこれからしていくかに、かかっている。

ひとは、経験から学ぶ。むしろ、経験からしか学べないかもしれない。学ぶと言うのは、自分の行動に影響を及ぼすような思想を体得することだと思う。オレの経験上、読書から得られるのは知識であり、それは学びにつながらない場合も多い。しかし、経験はほとんとすべてが学びになる。

以前と違って、他人の話をよく聞けるようになった。一言でいうと、自分の考えてる、見てる、知ってる世界だけが全てじゃない。そんなのむしろ大海の一雫のようなごくわずかな範囲。また、自分がいつも正しいとは限らない。そういう発見を重ねて学んだときに、人の話を聞きそれを尊重できるようになった。まだまだだけども。

それを教えてくれたのは、自分が人生で関わり合う人たちだった。プライベート、仕事、問わずさまざまな人たちとの出会いから学んできたように思う。人生を大きくゆるがす出会いは確かにあった。自分の既成概念を根本からゆるがすような人の存在。あの人がいなかったら今の自分はない、そんな存在。そういう人が何人もいる。

そして、彼らにしてもオレと同じように、たくさんの人の影響で自分が作られていったのだろう。そうやって視野をどんどん広げていったときに、自分は他人の集合体みたいな感覚になる。他人というか、むしろこの世界の。この世界自体がオレなんだと。オレが世界で、世界がオレであるような感覚。

互いに響き合っている。自然の風物も人工物も植物も人間も、だ。その廻りの中で自分が刻々と変化している。その廻りを日々感じて新しい発見を重ねることで世界(自分)がどんどん変化していく。

10年先の自分を想像してみる。まったく想像できないな。10年前の自分が今の自分をまったく想像できていなかったように。なんにせよ、生きている限り健康な体で、毎日新しい発見をすることに前のめりでいたい。子供のように意識しなくても新しい発見に溢れているほど、もう自分の感性はみずみずしさを保ってはいない。だから明日も前のめりで発見をしていく。想像もしていないような自分に出会うためにも。

あ〜、金麦飲みてぇなぁ