分裂した自分ひとりひとりにポジションを与える

自分とは1つのチームのようである。自分の中に、いろんな顔の自分がいる。

鬼滅の刃で言うなら、自分の中に、炭治郎的な自分、伊之助的な自分、善逸的な自分、その他の登場キャラひとりひとりのような自分がいる。

自分の中に分裂している自分1人1人、それぞれに得意分野がある。この中の誰か1人に窮屈な思いをさせていると、それがボディブローのようにジワジワと効いてくる。結果、メンタルや体を壊す。

では、このひとりひとりにどんなポジションを与えるべきか?それは、やってみないと分からない。それでも、やった先には何かそれぞれの自分が喜んでいるような清々しさを覚える。

例えばオレで言うなら、仕事する自分、家で嫁さんと話す自分、友達といるときの自分、絵を書いている自分、文章を書く自分、ギターを弾く自分の、全部別々の自分が得意気になって動き回っているような感覚がある。

自分の中の分裂した自分。それは、自分の多面性。その一面一面に程よく光を当て続けてあげるのだ。

なんとなく、気分が乗らない毎日を過ごしている人は、自分の中にいる自分の1人がきっと窮屈をしていると思う。その自分にポジションを与えてやらなくてはいけない。

そしてそれは、多くの場合「アクション」を起こすことで解決する。多くの場合というのは、現代の便利な生活では油断すると、インプット過多や空いた時間を何もしないでだらだら過ごすことに傾きがちだからだ。

一方で、仕事ばかりで「仕事してる自分」しか動かせていない場合も、おかしなことになる場合が多い。分裂した自分の人数は、人によって違いはきっとある。それでも、内なる自分の1人が窮屈をしていると、おかしなことになるのは誰だって共通かもしれない。

自分の中にいる、自分たちの声に耳を傾けてみる。手近にあることで何かアクションを起こしてみる。その後に感じる清々しさは、今まで放ったらかしで鬱々としていた内なる自分の1人が、喜びを感じているからかもしれない。

自分とは、分裂した自分の集合。1人であって、数人による1つのチームである。

あ〜、金麦飲みてぇなぁ