「哲学対話とは」をどう説明するのか?

自分が育休の時に「哲学対話」に救われたように、私も「哲学対話で育休中のママの助けになりたい」という
夢のような目標のような使命感に似た決意みたいなものがあった。
それを、今回の育休中に叶えることができた。

Twitter(X)で呼びかけて、2回開催することができた。
集まったのは5人ほど。
やってみて、オンラインで行うのにちょうどいい人数だった。

「これが哲学対話なの?」
と専門家には思われてしまうかもしれないけど、
「これが私の哲学対話なんだ」
と自信をもって場づくりができたのは、
参加してくださった方のおかげだった。

そして、
「参加してくれるママの助けになりたい」と思っていたけど、
結局、救われたのはまたしても私だった。

誰かのためと言いつつ、自分のための場づくりだった。
集まってくださった方に、感謝しかない。
参加してくださった方にとっても、
結果的に救われる時間になっていたらうれしいと思う。
参加してくださった皆様、
ありがとうございました。

さて、本題に入る。
「哲学対話とは」をどう説明するか、ということに興味をもった。

なぜなら、
今回ママたちと哲学対話をする時に、
今までにない説明を加えたからだった。

それは、
「アドバイスをする・もらう会ではありません」
ということ。

ママたちは、自分の時間が足りていない。
1時間空白の時間があるものなら、
済ませたい家事は山ほどある。
せっかく時間が確保できたなら、
普段できない1人でやりたいことも山ほどある。

効率を求め、タイパやコスパを求め、
ママは時間を切り詰めて、
バランスを取りながら上手に生活している。

そうなると、
悩みや疑問から生まれた「問い」を考えるならば、
せっかくママが集まって話し合えるならば、
問いに直結した役に立つアドバイスが欲しくなって当然だと思ったからだ。
私も、答えがあるならどんなものでももらいたいし、それが運良く最高な答えだったらと思うと求めたくなる。

「こういう時、どうしたらいいですかね?
いいアドバイスください」とか
「この場合には、こうした方がいいですよ」とか
ママ同士の立ち話ではよくあるやり取りだし、自然とそんなやり取りが生まれるだろうと考えた。

そして、説明を加えた一番の理由は、
「アドバイスをたくさんもらうぞー!」
「先輩ママとしてアドバイスをして役に立つぞー」
と思ってスタートする方がいたら、
きっとガッカリさせてしまうと思ったのだ。

哲学対話では「なぜそのアドバイスが欲しくなったのか」という背景を聞いてみたくなるし、
哲学対話では「そのやり方はうちには合わないから人それぞれだな」と終わらせて欲しくない。

アドバイスを求め合う対話は、
教える・教わるの関係ができてしまって、
それ以上立ち入ることができなくなるような心配もある。

なので、
ママとの哲学対話では、
「アドバイスをする・もらう会ではありません」
という説明を入れたのが、印象深かった。

それと比較すると、
進学校の高校では、こんな説明を入れた。
「正解を言う時間ではありません」

予想が的中したのが、
対話中に何人かの子が
「その言葉の意味を辞書で調べてもいいですか?」
「今はその言葉の意味を正確に思い出せないけど」
「この場合、そうすることが正しいかは分からないけど」
など、知識の正確さや振る舞いの社会性にこだわりが見えた。

すかさず、
「今あなたがその言葉をどんな意味で使ったのか
イメージの共有をしたいから、辞書通りじゃなくていいよ」
「一般的に正しいと言われていることでも、
自分は本当はどう思うのかを聞かせて」
と最初の説明に立ち戻ることがあった。

地域の敬老会で説明するならば、
「自分の考えを変えることを楽しむ時間です」
「間違いないと思っていることを一旦手放す時間です」
と固定観念を取り払うことを強調するだろうし、

小学生に向けては
「当たり前と思ってやってきたことを
これでいいのかな?と見つめ直してみよう」
「この時はどうするかなと、あの時はどうだったかなと見つめて、言葉にしてみよう」
と言う。

職員間では、
「発表する時間ではなく、聞くことで自分の考えを更新していく時間です」
と言うかもしれない。

つまり、
「哲学対話とは」を説明するときに、
その属性に合わせて
協調して説明する部分が異なるということに気付く。

もちろん、
属性のくくり方をざっくり想定したが、
小学生も「低学年」「中学年」「高学年」とか、
「問いづくりに慣れているクラス」「話し合い活動が活発なクラス」とか
集団はもっと細分化して判断する必要はある。

そう思うと、「そういうことか」と納得できることがある。
それは、
「哲学対話って何ですか?」と聞かれた時に、
私はいつも一瞬身構えるということである。

「この人には、どの部分を強調して伝えたら、
分かってもらえるんだろう・・・」
これがいつも頭の中を駆け巡るのだ。

いや、そもそも、私は「哲学対話」のどの部分が強調されて印象に残って、
こんなに魅力を感じているんだろう・・・

また関連する本を読んで、
言葉探しをしていこう。
「哲学対話とは」の納得した説明ができるように。

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