見出し画像

ずーっとケーキばっかり食べてそれでも健康でいたかったけど

もともと死ぬほど心配性のきらいがあって、これまでの二十数年の人生のあらゆる場面でずっとずっと困っていたのだが、最近は輪をかけてその「心配性」という言葉でくくるにはあまりにも軽く、また同時に重くのしかかってくる考え方のくせのようなものに振り回されている。理由はまあ、あれですよ。別にここで語りたくないので言わないんですけど、やはり否が応でも「死」について考えざるを得ないなーと思い始めてしまった、というか思いを馳せて相応の準備というか、覚悟を(そんなのを持つのはいやだが)こしらえなくてはならない段階にきてしまったな、と思い始めている。

死にたい死にたいとわりと事あるごとに言い続けてきたし、それはきっとこれからも変わらないんだろうけど、いざものすごいリアルな質感でふんわりと言葉にしていたそれが目の前にドンと出されたら、やはり冷静ではいられない。表面上ではなにも変わったように見えなくても、そのせいで確実に俺の頭の中は変わってしまった。自分というフィルター、目玉を通してみた世界の色や感覚が破壊され、そこに散らばっていたり隠れていたりしていた意味などが形を変えて別の像を結んでいき、以前それがどんな形だったかを思い出そうとしてもできない。そうなってしまうことがいい事なのか悪いことなのかはまだよくわからない。俺の世界の認識は死ぬほど個人的で歪んでいるから、もしかしたら今知覚しているものが本来の本物でスタンダードな世界の姿なのかもしれない。今まで大多数の人が「まあこういうもんでしょ」と思いながら見たり触れてきたりしたものなのかもしれない。そう考えると、そういう人たちにとっては俺みたいな捉え方をしていたやつはきっと平和ボケとかバカとかいう言葉に置き換えられて『記号化』されてしまうのだろう。別にそう言ってくれても構わないけど、俺はやっぱり自分が見ていた世界が致命的で稚拙な破たんでめちゃくちゃになっしまうようなことじゃなくて、外から入ってきた外部因子によってゆっくりと『変わっていく』さまを見ていたかったのだと思う。今もそう思っている。だからこんなことは望んでいない。おかげで寝不足です。小説もぜんぜん書けないし。

だから、非常に不本意ではあるが、これから俺が言ったり思ったりする「死にたい」には、おそらく別の文脈のようなものがくっついていくのだろう。というか、いま現にそうなっている。うまく言語化できないが、やはり様々な要因からのノイズが無遠慮に入ってくるのをひしひしと感じる。仕事しているときにひっきりなしに頭の中に流れこんでくる形のよく分からない淀みのような気持ちに、差し迫った恐怖が混じってくるようになった。ご飯を食べている時。帰宅している時。お風呂に入っている時。誰かと話している時。そういった日常のひとコマひとコマで、否応なく陰惨な想像が差し込まれるようになった。考え方が後ろ向きな人間なので前からそうだったと言えばそうなのだが、先ほども触れたようにその感覚はついこの間まで垂れ流していた想像よりも数段リアルになっている。が、俺は今までとあんまり変わらない日常を続けている。周りの人は息をしている。お茶を飲んだり映画を見たりしている。脳がバグる。いつまで続く? 続けられる? 終わってくれる? どうしたらいい?

そんな状況だから、未来の約束や予定を立てることがすごく怖い。友人や大切な人と遊ぶことや文フリに出ることとかはもちろんとして、職場で交わされる「7月にまた面談とか給与査定とかあると思うから」みたいなさして楽しみでもなんでもない予定でもすべてが。そりゃ、人生なにが起こるかわからないし、こんなことがなくても最近は地震も増えてるし俺自身がもしかしたら急性心不全とかでいきなりポックリいくかもしれないし(ああwowakaさん、きれいな令和は汚されちまったよ……)通り魔に巻き込まれるかもしれないし、あらゆる不幸の可能性は今までだって排除しきれなかった。だが、やはり、やはりなのだ。怖いものは怖い。でも卑怯だ。いくらでもこのゴミクズ世界で起こっていたことが、身に迫った瞬間に焦り出す。なんて浅ましい人間なのだろう。未来を奪われている人がいたるところにいるのに、まだ失ってすらいないものに怯えている自分がこの上なく嫌だ。別れたい。切り離したい。でも、『生きてるだけで、愛。』で言われていたように、自分は自分と別れることはできない。この感情を転がし続けなくてはならない。この上なく現実感のあることを見つめ続けながら、その要素をはらみつつも適度に楽しんだり考えたりできる小説を作らなくてはならない。そこから降りることはできないしする気もないけど、やっぱり俺にはそれしかできない、のだと思う。

だが、それはもう何も見ません考えません、という表明ではない。逃げることは許されない。辛かったら逃げればいいなんてことは俺は自分にはもちろん、誰に対しても言えない。まったくそう思っていないからだ。特に、陰惨なトレンドの単語をハックして動物やアイドルの無断転載映像をあげているようなアカウントをありがたがるようなやつらは。そんな小説を今書こうとしています。書けるといいなあ。

と、そんな感じで長々書きましたが、けっきょくはそういう話に帰結することになった。自分とは、どうあっても別れられない。苦しみ続けるしかないのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?