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褒められるのが苦手

わたしは褒められるのが苦手。
お仕事でもプライベートでも、苦手。
「おにのすけいいねえ」と褒められたとしても「いやいや、そんなことないですよ……へへっ」とヘラヘラしてやんわり否定してしまう。
謙虚といえば美しく聞こえる気がするけど、わたしはただたんに卑屈なだけだと思っている。自己肯定感が低いというか。
実際に親友にも言われたことがある。久しぶりに電話で話をしたら、「なんか卑屈になったね」と。

なんか難しいよね。褒め言葉を受け入れられないのって、自己肯定感が低いからなのか、自分の理想が高すぎるからなのか。
わたしにとっては永遠の課題になると思う。

「いいねえ!」と褒められたら「マジっすか? やったぁ!」と喜びを表現できる豊かな人間になりたい
後輩とか新人を見ていても、ある程度は褒め言葉に喜んでくれる人間のほうが可愛げがある。わたしみたいに「そんなわけないでしょ」みたいにヘラヘラして躱そうとする人間は可愛くない。

待ってくれ、と。
なぜ褒める人間が正義で、わたしのように褒められるのが苦手な人間を悪だと断じて話を進めているのだろうか。
褒められるのが苦手な人間にだって言い分はある。
わたしにだって言いたいことはあるのだ。
今回はそれを聞いてほしい。




褒められるのが苦手な理由として、わたしのなかでもっとも大きいのは「褒め言葉の裏に何かあるんじゃないか」という邪推。
「おにのすけさん、きょうは絶好調だねー」と褒められたとしよう。音として聞こえてきたその言葉に、まずは「いやいや、そんなことないって」とヘラヘラ否定をする。
そのあいだに、わたしの頭の中ではいろんなことが渦巻く。

「この人とはふだん全然かかわりないのに、なんで急にそんなこと言ったんだろう。そういえば、この人ちゃんとお仕事する人じゃないんだよね。もしかしたら、適当におだてていい気にさせたところで、何か余計な仕事を押しつけられるかも……。もしそうだとしたら、まずは受け流して、次に出てくる言葉の意味を吟味して、きょうこのあとの立ち回りを考えて――」

もちろん関係性にもよるけど、職場の人間程度の間柄だったら、褒められた喜びよりも先に警戒心が顔を出す。
褒めてくれた人間とはふだんどういう関係で、わたし個人と周りからの評価を総ざらいして、まっすぐ受け止めてもいいかどうかを考える。そのあとは、自分を顧みて、その褒め言葉に値するようなことをしていたかを思い返す。
言葉をまっすぐ受け止められないような人間かつ、わたしに褒められる心あたりがないときは、そのまま愛想笑いで会話を断ち切る。

褒め言葉を受け入れるまでに(受け入れてないけど)、ここまでのステップが必要な身体になってしまった。
というのも。
職場の嫌な上司にこういうタイプの人間がいるから、よりいっそう警戒心が強くなってしまう。
褒め言葉を素直に受け止めたら、かえってわたしが傷ついた経験があった。
「この人からの言葉は聞き流そう」と決意し、「こいつとは二度と話さない」とひそかに心の窓口を閉めた。

ともかく。
わたしが褒め言葉を受け入れるために、

①.その人間の言葉は受け入れてもいいものなのか
②.褒められる心あたりがあるか

この2つのフィルターを用意することになった。
両方をクリアしたときだけ、素直に「嬉しいです、ありがとうございます」と言うようにしている。




わたしがしたことが褒められるレベルに到達していない、と自分で思っていることも、おおいに関係していると思う。
言い換えれば、理想が高い、ということ。
バーを跳び越えられたときに褒められるのだとすれば、わたしの場合はそのバーがとてつもなく高い位置にセットされている。
仮に褒められたとして、わたしの行動に心あたりがあったとしても、わたしのなかの褒めラインを超えていないと受け入れられなくなってしまう。
周りから見るわたしの褒めラインわたしの褒めラインとのあいだに大きな差がある。

「おにのすけさん、あれもやっといてくれたんだ。効率よく動けるようになったね」
「え、ふつうじゃない?」
みたいな。

理想が高くて、ふだんできていることを当然だと思っている。
だから、そこを褒められても響かない。
でも、自分が求めている理想は、現時点の自分では手が届かないところにある。
冷静になれば、いきなり理想を狙うんじゃなくて、小さな目標に分割して、ちょっとずつ達成していったほうが精神的にも効率的にもよろしいのはわかる。他人から同じようなことを相談されれば、わたしは間違いなくそんなようなことを伝えると思う。
それがいざ自分になると見失ってしまうのは不思議よね。
で、理想に手が届かない自分に失望するまでがセット。

これは、自分の内面の問題なので解決できそう。
ありのままの自分を受け入れるんですよ。ええ。

書きながら気づいたけど、周囲とわたしの褒めラインが違うってことは、思っているより周囲から評価されていないってことじゃん。
あぁ、気づかなきゃよかった。いや、評価されるような人間ではないんだけどさ。
なんか複雑。




褒められるのはずっと苦手。
INFJとかHSPとかそういう話じゃなくて、育った環境のせいだと思う。
あんまり詳しくはないけど、アダルトチルドレンとか、そっち方面の発達心理学関係の話だと思う。

褒めてもらったときにヘラヘラして謙遜することは、裏を返すとその人の気持ちを否定していることにもなるよね。
でも、他人のすべての感情をまっすぐ受け入れてしまうと、今度はわたしが壊れてしまうわけで。
うーん難しい。

まずは自分で自分を褒めてみよう。
それが習慣になったら、理想までの道のりを細分化して、スモールステップで目標を達成するように考え方を変えよう。
あとは、いまの自分を認めよう
理想が高すぎるばっかりに、現実の自分とのギャップに苦しむんだよね。
そんなの、ロジックとしては痛いほどわかっている。
でも、自分の身に降りかかると見えなくなってしまう。
INFJは周りのことはよく見えるのに自分のことはわからない、なんてよく聞くけど当たらずとも遠からずって感じ。

というか、自分くらい自分のこと手放しで褒めてあげようよ。
自分がいちばん自分に厳しいなんて、なんだか寂しいよ。

そんなこんなで、おつかれさま。
みなさま、よい褒めライフをお過ごしください。