50歳を迎えた「私」の今後について

 2024年4月4日(木)に、私は50歳の誕生日を迎えました。50歳と言えば『50にして惑わず』という言葉がありますが、私はまだまだ『惑って』います。これから人生がどう展開するのか、予想が全くつかないからです。こんな時は『一回限りの人生ですから、楽しみましょう』とか『人生後半戦が面白い(イオンでのアナウンス)』等、前向きなメッセージが今の世の中には溢れています。ごもっともですが、私には違和感が残りますので、距離を取っていたいと思います。今回は40代を振り返りつつ、50歳以降のことを少し考察してみたいと思います。
 40代を振り返ると、私はASD当事者の1人として、福祉の利用者の1人として過ごしてきました。40歳でB型、41歳で就労移行支援、42歳で障害者雇用とA型、43歳から現在までA型と渡り歩いてきました。この40代の仕事の中心は調理補助で、就労移行支援と障害者雇用、そして43歳から現在までいるA型(飲食業)を合わせると8年半に及びます。その間に、英検2級や調理師資格、保育士資格を取得してきました。
 正直なところ、こんな展開になるとは全く予想できませんでした。そこが人生の面白さと考えていいのかもしれませんが、そうとも言えません。
 私がこの10年間、特に43歳から現在までいるA型事業所でやっていけたのは「言語」があったからと考えています。要するに、必要な「配慮」として、仕事内容に対し「具体的かつ論理的な説明」があって、それに納得してきたからです。私は事前に説明がなかったり等すると混乱しやすい傾向があります。「見て覚える」「空気を読む」「状況を察する」等ができないということです。
 そんなことを言うと多数派(ふつうの人)の価値観からすれば、「勉強はできるが仕事ができない」と私に言うかもしれません。しかし、私はエスパーではないので、「言語」(言葉や説明)がない中で仕事をすることは不可能です。それを使わないで仕事をさせておいて、できなければ叱責するなんて、理不尽でしかありません。そんな経験を繰り返せば、離職者は増え人手不足が深刻化し、その事業所の存続でさえ危うくなることもあり得ます。ですので、「勉強はできるが仕事ができない」と言うのであれば、まずはその勉強を使えるだけの「言語」を用意するのが筋でしょう。つまり、力ある立場(上司等)が相手(部下等)が納得するまで仕事内容を「具体的かつ論理的に説明」できるのが前提でしょう。
 改めて言いますが、私は「見て覚える」等の環境で仕事はできません。「具体的かつ論理的に説明」してくれる職場で仕事をしたいですし、分からなければこちらから気楽に聞ける環境の方がやりやすいです。今後、保育士として仕事をしていく時もその方針に変わりはありません。
 50歳を迎え、50代を駆け抜けることを考慮した時、自分なりに勉強をし続ける必要があると考えています。ただ、その勉強に対応できる知性(「具体的かつ論理的に説明」できる人や職場環境)は必要不可欠な条件になります。現在はA型で仕事を継続していますが、ピアノが保育で通用するだけのレヴェルに達して、かつ上記のように私が望んでいる職場環境があれば、保育士としての仕事を検討したいと考えています。
 日本という国は今でも相変わらず「阿吽の呼吸」「暗黙の了解」等に溢れています。これからはそういう考えが通用しない社会になってもらいたいとも考えています。
 ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。
 
 

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