ピアノレッスンでのトラウマ、その後 その2

 1月12日(金)に保育士試験の結果が全国保育士養成協会のホームページ上で発表されました。「合格」していました。様々な人から祝福されました。それはそれで嬉しいことです。ただ、気になる人がいました。
 それは私が最初にレッスンを受けた某有名企業Yの講師(女性)のことです。私は去年の8月、この方から暴言(「言葉による暴力」)を受けたことでトラウマが生じ、そこでのレッスンを継続できなくなりました。現在は別の教室でレッスンを受けていますが、この最初の講師は私に保育士試験の課題曲2曲(「幸せなら手をたたこう」「ヤギさんゆうびん」)を指導していただいた方です。なので、この方に保育士試験合格の報告と課題曲2曲の指導への感謝の旨をSMSで伝えました。
 トラウマを受けたのになぜ、と思った方もいるかもしれません。私は「言葉による暴力」を決して許すことはできません。でも、これと課題曲2曲を指導していただいたこととは全く別問題だと考えています。だから、連絡可能なSMSで伝えたのです。
 加害者臨床には『暴力は否定するが人格は尊重する』という考えがあります。「言葉による暴力」でトラウマを与えたピアノ講師は確かに加害者ですし、私は被害者ということになります。ただ、加害者臨床の考えに基づくと、『「言葉による暴力」は否定するが課題曲を指導していただいたことは尊重する』ということになります。だからこそ、私はSMSを使って合格報告と指導への感謝を伝えることができたのです。
 これは人を赦すこととは全く違いますし、私はこの考えには賛同していません。逆に言えば、例えばある人が犯罪者だったら何を言ってもいい、どのように扱っても構わないという考えに容易に堕してしまいかねないからです。現在の日本社会を見ていますとそんな風潮がありますし、私は強い違和感と危機感を抱いています。
 ただニュースを見れば連日、30数名殺しておいて無罪を主張するケースもあったり、子どもの虐待で死なしておいてそれでもしつけだとしらを切るケースも見聞きします。だから理屈は分かっても、被害者や遺族の立場に立って加害者の極刑を望んでしまうでしょう。それでも、私は先の加害者臨床の考えは有効に働くと考えています。加害者の犯罪(暴力)と人格を一緒くたにして悪人に仕立てることはあってはならないと考えているからです。
 どんな加害行為でも理由や事情に関係なく、許されるわけではありません。ただ、それと人格(とその関連事項)は別の問題です。加害者だからと言って何をしてもいいわけではありません。
 『暴力は否定するが人格は尊重する』-言うは易く行うは難しではありますが、私はこれからもその考えを踏まえて被害者はもちろん、加害者の立場も大事にしていきたいと考えています。
 ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。
 
 


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