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日本語教師になってから1年のストーリー(初レッスン〜現在まで)

前回の記事では、私が日本語教師になってから初レッスンまでのストーリーを書きました。

その前半記事は以下からチェックしてもらうことができます。

さて今回の記事では、私が初レッスンが終わってから現在までのストーリーを簡潔に書いていこうと思います。

簡潔にといっておいて、長くなってしまっていたらすいません。(笑)

初レッスン後は申込みがポツポツと

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さて前半記事で書きましたが、初レッスンは生徒からの感激の言葉がもらえました。

その生徒は週1回で教えることがきまりました。

他の新しい生徒に関しても、ポツポツと申込みがありました。

レビューがない状態で、経験もありませんでしたが

値段だけは一番当初安かったと思います。

それもあり、何もない私にも最初生徒が

ポツポツ申しこんでくれたんだと思います。

毎回違う国から出身の生徒でとても新鮮でした。

イタリア、ロシア、イギリス、アメリカが最初の4人だったと思います。

レベル自体も初級や上級とかなりバラバラでした。

レベルに応じて教えること自体は最初は難しいと思いました。

ただ、幸いなことに大学時代に「第二言語習得論」という学問を研究していたおかげもあり、その知識を応用することができました。

生徒からの満足度が高かったので、

教えることに関しては経験と自信が少しずつついてきました。

周りの先生より生徒が少ない

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ただ、1つ懸念だったのは生徒数が周りの先生より少ないことでした。

周りの先生の生徒数をみて、

自分は人気がないな〜と思い落ち込んでいました。

自分と他の先生は何が違うんだろうかとけっこう考えていました。

いろいろ考えた末に、「はっ!」と思ったことがありました。

それはインターネット上で教えるうえで、

「ティーチング力」いわゆる教える力だけでは生徒は獲得できないということでした。

生徒を獲得するためには、ティーチング力以外に

「マーケティング力」や「セールス力」が必要だと気づきました。

当たり前といえば当たり前ですが、

当時の自分にとっては大きな気付きでした。

そこから「マーケティング」や「セールス」

に関して素人ながらも少しずつ勉強を重ねていきました。

もちろん、ティーチング力だけではダメですが、

ティーチング力も必要なのでその部分も同時に鍛えていくことにしました。

生徒からの申込みがどんどん増えてきた

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そこから数週間1ヶ月、2ヶ月と立ち生徒の数

が徐々にはありますが増えていきました。

その変化は「マーケティング」と「セールス」のポイントを意識してからでした。

「マーケティング」と「セールス」が大切だと気づいてから、

教材などから学んだことを1つずつ応用していきました。

最初は正直「マーケティング」と「セールス」

に汚いイメージを持っていました。

ただ学んでいく中で、汚いものでもなんでもなく

「生徒に1人でも多く貢献できる手段」だと思うようになりました。

もちろん、中途半端なものを提供していたら良くないと思います。

ただ私は自分が教えていることに誇りをもっていたので、

「堂々とマーケティングやセールス」をしてもいいんだと思いました。

そこから生徒数が1桁だったのが一気に2桁まであがりました。

正確には覚えていませんが、4月頃に初めて8月か9月頃には生徒数が30人近くに登っていたと思います。

そこから味を締めた私はさらに「学ぶ」→「応用する」を繰り返していき、
50人近くまで生徒が一時期膨れ上がりました。

そのときに、「マーケティング」「セールス」が

とても必須だというのが確信に変わりました。

それによってたくさんの生徒に価値を提供できて、

喜んでもらうことができました。

結果も出せるようになってきた

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たくさん生徒を獲得して指導していたわけですが、結果も見える形で現れるようになってきました。

ここでいう「結果」とは、生徒の日本語能力のアップです。

目に見えて生徒の日本語力がグングン伸びていました。

中には、ひらがな1つも知らない状態からはじまって半年くらいで私と会話が保持できるようになった生徒もいました。

また基本は身についているが自然な表現が苦手な生徒が、どんどん自然な表現で話せるようにもなってきました。

それまでにも生徒からは「力がついてきている感じがする」と言われていまいした。

ただ自分の中では、目に見える形で成果がでたことはとても大きかったです。

この結果が出せた大きな理由は「第二言語習得論」の力を使えたからでした。

会社を辞める決断

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私はオンライン日本語教師を最初は副業としてはじめました。

当然、そんなに生徒をたくさん持つことになるとは思っていませんでした。

最初の頃は、生徒が一桁〜20人くらいだったので何とか処理していました。

会社がある日は、基本的に朝と夜に日本語を教えていました。

ただ生徒が30人、40人と増えてきて激務になりました。

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一時期は、1日で合計15時間以上働いていることもありました。

やっていることが楽しかったので良かったですが、それでも体力的に限界がやってきました。

一時期は忙しすぎて、食事がウィダーinゼリーだけになっていました。

そんな生活がしばらく続き「このままではダメだ」と思うようになりました。

そして年末前に会社に辞めることを告げました。

会社を辞めることはかなり迷いました。

ただ周りの助けもあり、辞めるという決断にいたりました。

会社を辞めてから生徒が急増

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会社を辞めることを決めたわけですが、その後に生徒がまた急増しました。

というのも、それまで会社で拘束されていた時間が空いたからです。

会社を辞めたら暇になるかなと思いましたが、嬉しいことに暇になりませんでした。
(忙しすぎて正直、嬉しいという感覚ではなかったですが。。)

毎日クラスをやったらもう1日が終わっているみたいな感じでした。

ただただ自分からクラスをとっている生徒に感謝するしかなかったです。

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フリーランスとして仕事をするようになって、生活スタイルも変わりました。

フリーランスとして働くことにメリットやデメリットはありますが、会社を辞めてよかったと思います。

辞めてよかったと思えるように生きていきたいです。

生徒を少しずつ減らしていく

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生徒が50人にのぼってからは、生徒の数を少し減らすことに決めました。

それには2つ理由があります。

1つは、1人1人の生徒にもう少しフォーカスしたかったからです。

生徒が多いときは、授業をこなしている感覚になっていました。

ただそうではなくて、一人一人が本当に力をつけられるようにしたいです。

なので生徒の数を少し減らして、もう少し一人一人にフォーカスをあてられるよう授業を調整しています。

もう1つの理由は、他にもやりたいことが出てきたからです。

今私がこうやってNoteを書いているのもその1つのやりたいことです。

それは、私がオンライン日本語教師として恩恵をたくさん受けることができたので、周りの人にも同じようなことを体験してほしいと思うようになったことです。

そこで情報発信やコースを作成することによって、一人でも多くの人に価値提供できればよいなと思うようになりました。

Noteに他にも私が役にたった情報を書いているので興味のある方はぜひチェックしてみてください!

ここまで長々とNoteを書いてきましたが、あらためて日本語教師になってよかったと思います。

書いていると感謝の気持ちがどんどん大きくなってきました。

私みたいな先生についてきた生徒のことを考えると少し泣けます。

これからも恥じないように、日本語教師の仕事も他の仕事も全力で取り組んでいきたいと思います!

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