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ここらで一つロードラの話をしておく(あごぶろぐ)

このnote大陸の岬……そこに自分はいる。近くには町があり、note豪族が住んでいるがボロボロの小屋に旗を立てて日がな生きる自分にはあまり関係がない。大陸に流れ着いてから豪族を20人くらいフォロ=させられたが全部かいじょして町を出たからだ。ここにはたまに人が来て、すると自分はオクトパストラベラーの話とかをする。だが旅人たちは自分の口から出た「ロードラ」にまつわるワードに首を傾げ、懐からスマホを取り出しては「SIRI ロードラ」などと言って検索し、それが既にサービス終了したスマホゲームだと知る。だが自分はお構いなしに「ロードラ」のことを呟いており、旅人は気味悪がり、こいつはハッパをやっていてゴリゴリにラリっている……そう思い、海辺の町に帰り豪族のライフハックを読み、眠る。この一週間で何回か繰り出されてきた流れの一つだ。

ロードラ……それは失われた大陸であるアトランティスをほうふつとさせる古代スマホゲームだ。かつてはそこに生きる人々がおり、ゲームをしていた。だが今はそんな光景はない。アトランチスと同じで海に沈んでしまい過去の大陸となったからだ。ただしアトランティスもたまに復活して浮かび上がったりビームを撃ってきたりするのでロードラにおいても同じことが起こるかもしれない。だが自分はとりあえず起こらないという前提で生きているし、今後もそうする。とにかく今回はロードラの話をする。自分は何かとつけロードラのことを話すが、その記事を見た者がもし調べたとしても正確な情報は出てこないだろうからだ。どんなゲームであり、どんな強みがあったのか? SIRIは教えてくれないだろう。いや、SIRIに強烈なロックが掛かっており情報統制のなんかとかで答えを出すことは禁じられているかもしれない。そういう危険な領域だということをまずは言っておかなければならない。それでも確かに古代の謎へ挑む時が北野田。

自分はロードラのブロゴを5ねんくらいやっていたが実はロードラを紹介したことはなかった。何故ならばブロゴを訪れた者はロードラを知っている……そんな前提で話すからだ。そして今後もこのnoteでその強固なスタイルを貫いていくためにまずはロードラの紹介をしておく。「いや、べつに終わったげーむのことだしいい……」みたいな腰抜け態度を取るやつは間違いなくいるだろうしそれも正解と言えるが、そもそもロード・トゥ・ドラゴンはスマホアプリ神話時代背景の一部として確かに在ったものだ。我々がにっぽん昔話やギリシャ神話のことを知るとき、損得を気にして知るかどうかを決めるか? 違う。誰もの血にギリシャやロードラの血が流れており、それは確かに過去に起きた出来事なのだ。終わった、とか終わってないとかそういう話じゃない。セールスランキングの上から何番目までがいちばん正しい……みたいな先入観に頼っているだけのやつはいずれどこかのアプリ砂漠で犬死にするか、何も掴めないまま老いて死ぬことになる。今回の生地は自分からの警鐘だ。それを真っ先に言っておきたい。ロードラは確かにあった。つまり歴史だ。これを知ることに意味がないとは誰にも言わせるつもりはない。

ドラゴンエイジにヤツは生まれた

パズル&ドラゴンズがしゅつげんしたことで各地でドラゴンが生まれはじめたという話を小さい頃に町の長老とかから聞いたことがあるはずだ。それまではガラケーでやるスタミナを使ってとにかく走って敵を倒すみたいなしょぼくれたゲームしかなかったが、パズドラが出たことでソーシャルゲームの戦場はSNSプラットフォームからネイティブアプリへと移行し、パズドラを追う者も増えはじめた。それらは皆、卵から生まれDragonとしてマーケティングという過酷な空へ飛び立っていった。ドラゴンエイジきたれり。その日を境に空をドラゴンの群れが覆い尽くした。こいつらは玉石混交であり、とうぜんながら腰抜けドラゴンは翼をもがれて死に、歴戦のDragonもハンターに狩られたりしていなくなっていった……その中に「ロード・トゥ・ドラゴン」も存在し、2012年11月1日から翼を広げて空を飛び、2017年4月24日に海中へと消えていった。およそ4年半の旅路だった。

ざんしんなゲームシステム

どんなゲームだったか? それを説明するには初期のPVを見るのが手っ取り早い。自分は手っ取り早い方法を好む・・・。
先人であるパズドラを倣って単純なパズルゲームとRPGを組み合わせた模造品が多かった時代だったが、ロードラはパネルアクション×RPGという新たなバトルスタイルで急速に流れ行く時代へと挑んだ。どうでもいいがこの簡素なPVを見てわかるようにロードラは宣伝には全く力を入れなくてあほみたいな小さいバナーとかがちょろっとスマホサイトに出てくるだけだった。マーケティング的にはかなりしょぼかったことがこれらの歴史的資料から窺えるだろう。

それまでのゲームは一本道で出てくる敵相手に数戦し、ボスを倒して終了という流れが多かったのに対してロードラではマップが設けられており、移動して敵を避けるという変わった選択肢が提示されるゲームだった。マップの右端まで移動するとBOSSが現れ、それに勝利するとリザルト画面がひょうじされ、報酬が手に入る。道中の敵を避けるという腰抜け選択をしてもいいが移動にはSOUL……つまり魂が必要になり、敵を倒さなければSOULは加速度的に減っていく。SOULがなくなるとどうなる? 死神が出てきて……初期の場合はほぼ問答無用に殺された。なので道中で死なないためには敵をある程度は倒す必要がある。だが必ずではなく、SOULさえ工面できれば敵を避けてもいい。そこにせんりゃくせいが生まれる。パネルは戦闘中だけじゃなく移動時にも使うので「下に行きたいから下に移動するパネルは残す」とかそういうことを考えながら戦闘するひつようがあった。これらのシステムはディレクターが「カルカソンヌ」というボードゲームから着想を得て生み出したものだ。自分はカルカソンヌを一度だけやったが難しくてよくわからなかった。あれはおそらく真のゲームだ・・。

当時のソーシャルゲームは統一性のない静止画が表示され、スキルエフェクトだけが出て静止画がちょっと揺れる……くらいの味気ないものが多かったのに対し、ロードラのビジュアルは統一されていてさらにフルアニメーションだった。かなりなめらかに動き……自分は初めて見たとき感動しスマホを便器に落として水没させた。今ではビジュアルの統一やフルアニめーションなどは割りとよくあることになっているはずだがとうじはそのくらいの衝撃だったということだ。これはかなり偉大な体験だった。さて、ここまでは褒めてきたが自分は甘くない。はっきりと言っておくことが山ほどある。「こいつはずっとロードラをほめる記事をやるんだろうな」みたいな決めつけをしていたやつはこの岬から海へと投げ出されることになるだろう。

ロードラはおよそ5年半前のゲームであり、システム的に甘い箇所も多々あった。その甘さのまま三年、四年とやる中で死んでいったが後半はかなり腰抜けだったと言えよう。サービス終了自体の決め手に関しては知るよしもないが、死んだことにはまちがいなく原因があり、自分はそんなところに容赦などしない。この記事で言いたいのは「ロードラがどういうゲームだったか」ということ、その一点のみだ。今のゲームに比べてもぜんぜん優れていて本来なら未来永劫の頂点に立つべき王者だった・・・・・・みたいなことは全く思ってもいないし言わない。

例えば自分はこの間、「Sdorica」というウマホゲームを二ヶ月くらいやったが一部システムやアニメーションに関しては確実にロードラより優れていると言っても良かった。懐古……思い入れ……そういうのを抜きにして見ればロードラより優れたゲームはこの時代いくらでもある。自分が言いたいのはあの時代に出てきて、マイナーの域を越えることはなくこの世を去ったがユーザーの記憶には残った……その理由だ。そこについてをついきゅうしていく。

長大なストーリーがユーザーの前に横たわる

 竜と、人とが争う世界。
  人は数千年もの永きに渡り、幾度も「終わり」を繰り返しながら
   その戦いを続けてきた。
  数多の犠牲を礎にし、ついに廻った七度目の戦い。
   人は始めて、竜に並ぶ。
     しかしその刻
   「大災厄」が世界を襲った。 

ロードラのストーリーはドラゴンと人が生存を掛けて争うというものだとあらすじには書いてあるがそれは七千年間繰り返されている。現代は7050年代くらいだが過去には色々な戦士がいて戦って死んだりしていた……プレイヤーは過去の英雄とか英雄ではないが相当強かったサイコパスとかを魔導書で蘇らせて使役できるので、する。なぜだ? 戦力を整えて次のドラゴンとの戦争に控えて準備したり、旅をして世界で起きている事件を解決するためだ。背景としてはそんなに難しくはないがとにかく7000年という膨大な月日がプレイヤーの前に横たわっていて、プレイヤー視点で見られるのは現代の話が多いので過去、しかも数千年前とかに起きた事件とかの情報は限られている。それをユニットのストーリーとかを見て紐解かなければならない。ストーリーをよく知らなくても楽しめるかもしれないが、気に入ったキャラクターの生死とかが気になると最終的には歴史の闇へと潜っていく必要性があった。

ユニットにストーリーが付いている、というのもかつてのドラゴン時代において目新しさがあった。カード型ではない大体のソーシャルゲームには基本的にストーリーがなかったからだ。あったとしても、ただのフレーバーテキストに留まっていた。このストーリーには140文字以内とかのせいげんがあり、我々が普段使っても天気の話とかガチャの話にくらいしか使えないあのチュイッターと同程度の文字数で深みのあるストーリーを描き出している。だが明らかに一人分では描写が足りず、時系列や起こった出来事の詳しい経緯をつなげるためにユーザーはインタビューや公式物理データブックなどの文章まで読み漁り、そして実際そこにしかない情報などもあった。ロードラはストーリーをメインとして押し出した初のドラゴン系アプリゲームであると同時にストーリーを把握させる気が全くないかのような複雑な迷宮へとユーザーを誘ったのだ。ストーリー重視のゲームが少なかったとはいえ、7000年はやりすぎ・・・誰もがそう思ったが、ロードラ運営であるアクワイアは、やった。

もしこのゲームが一年とかで終わっていたら謎も100分の1くらいしか解明されずに終わりそのシケた亡骸は町の片隅に放置され誰も見向きもしなかったことだろう。だがロードラは四年半もサービスを続け、膨大なストーリーの100分の67くらいはせつめいしたので人々の記憶にのこるゲームとなってアトランティスと一緒に大海のどこかで眠っている。つまりストーリーに関してはかなりユーザーの記憶に残り、その点においては成功をおさめていることがわかるだろう。今のスマホアプリにストーリーがあるのはもはや当然だが、当時はそうではなくそこにロードラは7000年以上の歴史をいきなりぶつけた。それは未開の荒野を切り拓く決断力とも言えるなにかだった。

容赦なく多様性のぼうりょくを発揮する

ロードラの絵柄はかなりディフュォルメが利いていて可愛らしく、メインビジュアルだけ見た者は内側で起こっていることを何ら想像できないということが研究チームの調査で明らかになっている。自分も初見ではそうだった。だがこのゲームの内部では7回以上せかいが滅び、町ごと人々がドラゴンの炎で丸焼きにされ、なさけ容赦なく死ぬ。あくぎゃく非道の帝国では当たり前のように人が素材となり脳を改造され、別人になったり液体になったりする。イベントでは4回に一回くらいのハイペースで話の通じないサイコパスが出てきてわけのわからないことをしでかす。自分はその全てを見てきた……そしてこの出来事は全て、同じロードラの世界で生まれたのだ。では例えばどういうことが起きたのか? せっかくだからその一端をここに記しておく。これは自分がロードラのストーリーに引き込まれることになった一件だ。今からする話の登場人物は4人しかいないのでその辺のカエルとかでも確実に覚えられる。だが、しゅうちゅうりょくを研ぎ澄ませておいてほしい。

グリムドア
幻獣ハンターのいちぞくの少女。幼い頃に人狼に一族を滅ぼされたことでそのふくしゅうのためにハンターを受け継いだ。ある森で活動していたところ、人狼のフェンリスに攻撃され腹に傷を負う。その時の傷がげんいんでグリムドアはなんか戦闘狂っぽい感じになってしまい、フェンリスとの殺し合いをのぞむようになる。最終的には何回もフェンリスと交戦し、ようしゃなく殺して森を去った。フェンリスからの傷を受けてからは常に傷が疼くようになった。なんで傷が疼くのかは後でわかる。

フェンリス
心優しい人狼の少女だが一年に一回は月を見て暴走してしまう。暴走すると人格が切り替わり好戦的な気質になる。ある日の暴走でグリムドアを攻撃し傷を負わせてからは歯止めが利かなくなり、好戦的な気質がメーン人格になった。体にいくつもの欠陥があるが正確な内容は明らかにされてはない。グリムドアとなんかいも殺し合い、最終的には殺された。

双子のグリムドア
二人のグリムドア。上述したグリムドアとは姿が似ているが別人の双子。どこから来たのかは誰も知らないが獣人であることだけ判明している。もりで発見された。
白い方は昼の間は人間の姿、黒い方は夜の間は人間の姿になる。お互いがお互いを獲物として狙っていて人間の姿になると獣だった時の記憶を忘れる。つまり自らの姉妹ということを気づかずに毎日殺し合っている。この森の登場人物はこの4人しかいない。

あらすじはこうだ。幻獣ハンターのグリムドアはある日、月を見て暴走したフェンリスに攻撃されて傷を負う。これは致命傷ではなかったがグリムドアは人が変わったようになった。フェンリスはグリムドアに傷を負わせた時から暴走を続け、二人は何度も殺し合い……最後はグリムドアがフェンリスを倒し、トドメを差して森から去った。だが数年後、双子の人狼であるグリムドアがはっけんされる……そういう話だ。自分はなぜグリムドアが増えたのか理由がわからず、まあいい・・と疑問を投げ捨て、アングリーバードで遊んで、寝た。アングリーバードを知っているか? 鳥が叫びながら飛び、豚を建物ごと爆破するやつだ。まあアングリーバードのことはいい。忘れていい。
問題はグリムドアのことだ。何故増えたのか・・自分は少し考え、それぞれのキャラクターのストーリーを読んで頭をひねった。すぐには思い至らなかった。それは先入観のせいだ。くだらない先入観が自分の頭の中で点と点をつなぐことを阻害していた。ものごとはもっとずっとシンプルだったのだ。

双子のグリムドアは人狼であり、森ではっけんされた子ども。こいつらはどこから来た? 答えは簡単だ。グリムドアとフェンリスがファックして生まれた子ということだ。足し算と引き算ができれば、子どもでも確実にわかる。だが・・・それでも衝撃的だった。「Why...?」口内が干上がり、部屋にいたはずの自分はいつの間にか深い森の中に立っており、月明かりが木々の隙間に当たる場所。そこでゴアとセックスに支配されたフェンリスとグリムドアを見つけた。自分は震え上がった・・・これがロードラの世界なのだ。腰抜けの先入観を持っていては生き残れない過酷な大地。それが目の前に広がっていた。少女同士での情け無用のファックという形でだ。

グリムドアはフェンリスに「癒えない傷」を負わせられた。だが「貫かれた腹の傷」自体は後に癒えている。もう大体わかるはずだ。そういうことだ。想像の通りだ。そして人狼であるフェンリスは人間にはない欠陥を多数抱えていたという描写がある。それがおそらくは多重人格と両性具有だ。結果……グリムドアは生き残り、フェンリスは死に……双子の人狼の娘を森へ産みおとしてグリムドアは姿を消した。官能……殺意……愛情……森を支配していた仄暗いないまぜになったアトモスフィアが真実に触れたプレイヤーだけを包む。深く考えなければたどり着くことのない場所であり、よく知らないヤツからは真実へ到達したという錯覚的メガロ誇大妄想にも見えたかも知れない……だが実際に双子のグリムドアが生まれており、ファックは事実でしかない。それを認めざるを得なかった。自分のスマほの中のアングリーバードの隣にあるゲームアイコンの中には当然のように少女同士のセックス、壮絶な殺し合い、そして出産……このゲームに安全地帯など存在しないことを知らせる、あまりにもむじひなドラマが内包されていたのだ。そしてさも当然のようにグリムドアとフェンリスは初期から存在するキャラクターであり人気も高い。だが紐解かれたストーリー真実はあまりにも恐ろしいものだった。完全にゆだんしていた自分はこの痛烈な一撃でわからされてしまった。このロードラの世界では想像もつかないことが起き、そしてそれも長大な歴史の中のではごくごく一部に過ぎないということをだ。

いま紹介した話はちょっとどうかしている話のうちに数えられるが、たまにはほのぼのとしたまま終わる話や特にオチのないストーリーも存在する。そのブレ幅はユーザーをほんろうし疑心暗鬼にさせるには十分だ。思わず心があたたかくなるような人間愛の話があったと思えば、心胆寒からしめる悪性が立ちふさがったりする。人が一人追い詰められ発狂し廃人になるイベントとサンリオコラボのバナーが並んだ日もあった。要するに何が起こるかわからないケオスの渦が展開されていき止めどない多様性に溢れた世界ということだ。そして……ある日、その世界は滅んだ。

終末の刻が訪れた 

世界終末の刻が訪れたが人類とユーザーは回避することができなかった。恐ろしいドラゴンが世界の空を埋め尽くして火を放っていきマスコットキャラクターであるドラ助を含む重要キャラクターたちがようしゃなく死に、世界は崩壊寸前になったが何とか繋ぎ止められた。世界崩壊の危機はすんでで防げた代わりに大陸の至るところが傷だらけになり、人とか国がめちゃくちゃになり、世界が修復され……時系列は大きく動き、ストーリーラインは17年後へと飛んだ。これは全てリアルタイムで更新されたことだ。イベントが日毎に追加され世界が滅んでいくさまを見て、我々は息を呑んだ……それはかつてない体験だった。無力感をかみしめながら進んでいく中で明らかになっていく人類の裏に潜んでいた黒幕……次なる敵の出現……新鮮な体験が脳髄を刺激し、アドレナリンがばくはつした。二周年の公式生放送ではマスコットキャラクターの追悼が行われたがこれも滅多にない体験だろう。ユーザーたちは惹き込まれ、世界が修復されて新世界が訪れるのを固唾をのんで見守った。。


自分にとってのロードラのピークは世界が滅び、新世界へと再構築された大災厄編と呼ばれる一区切りだ。これが最も衝撃的な体験だったことは間違いない。新世界・・・まさに新世界と呼ぶ他ない。クエスト中にガイドの台詞が表示されるクエストガイド機能に始まり、クエストの間にキャラ同士の掛け合いが見られるATS(アクティヴ・トーク・システム)、謎の育成ミニゲームであるよりしろの樹、マルチバトルシステム……は改善されない腰抜けだったのでどうでもいい。とにかくロードラは演出面に力を入れてどんどん新しいことを試していった。それは失敗も生んだが、確実に当時のアプリゲームの中で抜きん出て斬新なふんいきを創り上げた。ロードラ自身がアプリゲーモの新世界へと乗り出していたと言ってもいいはずだ。だが……三年目からアッポデートの頻度は下がり、メインストーリーが中々追加されず、追加されたと思ったらサービスは終了した。停滞の一年に自分はのうみつな死の気配を感じたのでなんとなく察していた。本当の終末が訪れ、開かれたはずの新世界もまた……終わりを迎える。今度こそ、真の終わりだ。コンテンツそのものの死が間近に迫っていた。

最後のクエストでは全ユニットに固有のカットイン台詞が用意された。ちなみに全部で1700体くらいになる。一部のコラボユニットなどには用意されなかったので実際はさらに少ないが、とはいえこの全部を一週間くらいでディレクターがよういした。これはデスパレートな仕事だ。終了までの一年、ほとんど何も進展がなかったことを感じさせないようなラストクエストのちからの入れ具合に自分は最後にすごいことが起こった……と目を覆い、しばらくして・・哭いた。一つのゲームが終わっていく。その瞬間にでくわした。4年近くの戦いが終わり、ロードラは死ぬ。改めて実感したからだ。机にツップシ、哭いた・・・。ひどく傷ついたが、それは反面でロードラがめくるめく冒険と死のファンタジーストーリーであり大事に思っていたからの喪失だ。この娯楽飽和のスマッホ時代に、数多あるゲームの中でロードラを選んだこその痛みだと思い、自分は受け入れることにした。実際、その終わりはかなり厳かなものだった。この対応しだいによってはアッサリと情熱が消え、自分はさっさと消えな・・・みたいな無慈悲なことを言っていてもおかしくはなかった。だが最後の最後にアクワイアはシリアスになり、ラストクエストを頑張った。そしてアプリを図鑑として遺した……ユーザーがいつでも触れられるようにだ。それは尊いけつだんだった。ローdラはこうして光の粒子になった……。

ロードラはミームとなった

光の粒子になって散ったのになぜ、未だにロードラのことを考え続けているやつがいるのか? なぜ250万DLくらいで以降音沙汰がないDLすうだったのに意外と知っているやつがいるのか? 今しがたスマホを手に入れ、アプリゲームをやりはじめた赤ん坊はわからない。「しょせん終わったゲームでしょ?」哺乳瓶を口から話してスマホをいじりながらそう言う。その通り・・・終わったゲームだ。しかし何事にも始まりがあり、ロードラはスマホゲームで多くのルーツを持っている。キャラクターにフレーバーテキストがあり、繋げて一塊のストーリーが生まれることを初めとして、画期的な演出を幾つも生み出した。これらはマッケティングの数値にちょくせつ的に響くことのない、過酷なドラゴン時代で切り捨てられていてもおかしくない要素だ。しかしロードラ制作チームはこれを重視し、世界を一度はリアルタイムで滅ぼしまでした。ストーリーとシステムに密接に関係を持たせたかったからだ。ほとんどのアプリはドラゴンとして飛翔し、長く飛び続けるために要らない要素は荷物として捨てていった。だがロードラ制作チームはロードラというDragonの両翼にストーリーと世界観をありったけ載せ、重力オーバーのまま出発させた。この蛮行が功を奏してロードラは四年半も飛び続けられた。我々がドラゴンだったとして、こんな思い切りができるか? 海に落ちたくなければ余計な荷物は捨てて身軽になろうとするはずだ。普通はそんな選択はできない。しかしロードラはやった。やったからこそ、人々の記憶に残れた。

今や星の数ほどのアプリゲームが夥しく市場を出回っていて、一言で「シヴァ」だとか「ゔぁるキリー」とか調べても自分が本当に知りたいスマホゲームのキャラが的確にHITすることはない。社運とかを掛けてすごいゲームが出てきて、一年でアニメ化したりする・・・そんなアプリ群雄割拠の時代が訪れた。この現代にドラゴンはもはやあまり生きてはいない。パズドラも古龍認定されて洞窟とかに棲んでいる。そんな世界にロードラが生きているはずはない。とっくに海に沈んでしまっている。だが・・・確かにロードラの話をするやつがどこかに出てくる。そいつはあのヒリつくような緊張の中で腰抜けゲームたちがどんどん死んでいった過酷なドラゴンエイジに出会った、ロード・トゥ・ドラゴンを忘れられないからだ。キャラクターが、ストーリーが、演出面が、脳に焼き付いてしまった。それは普段インスタグラムとかをやったりTwitter大陸で流れてくる猫の画像を見ている間には思い出すことはないが、思いついたときにスマホゲームを起動してやっているとフラッシュばクする……だから民衆はたまにロードラのことをネット海でつぶやく。その繰り返しだ。ロードラは生きていないが、死んではいない。これは謎掛けではない。ミームの話だ。ミームだけが生き残り、受け継がれている。

スマホゲームをやっているやつの大抵は考古学者ではないはずだ。だから別に死んだゲームの化石を掘り出して鑑定したり、妙に優しくしてやる理由はない。そんな傷のなめ愛は無意味だ。ただそういうゲームがあって、海に沈んだ……それだけ覚えていればいい。だがゆだんするな。これは他人事ではない。自分はさいきんはスマホアポリの森から離れていてよく知らないが、運営型のゲームを遊んでいるやつはいつか確実に別れを体験することになるはずだ。何故なら生きてるやつが運営しないとゲームは続かないからだ。ゲーム制作と運営の全部をAIがやってくれるようになったら未来永劫続くかも知れないが、あまり期待するな。とにかく確実に来るであろう別れのためにいつでも心構えをしておくべきだ。自分が石油王をやっていて毎日ドブドブと金を注ぎ込んでいてずっとセルラン高くてだから大丈夫、みたいな場合は知らない。それでもいつか終わるということだけは考えておいたほうがいい。あんなに楽しかったロードラも過去のものになった。今の世の中で生きているスマホアプリが腰抜けかどうかは自分はくわしくないが、楽しめているならこいぬのように可愛がってやるべきだ。

終わりに直面したとき、人々の本性は暴かれる。二種類にだ。一つは本当にコンテンツを悲しむ歴戦のせんし、もう一つは自身の痛みから逃げるためにあえて対象のコンテンツをつまらないものだったなどと思いこむ腰抜けのあほだ。そいつらは「しょせんゲームだし・・」とか言ってしまう。これは本当にどうしようもない。世間から見てスマホゲーがどうとか、時間の無駄だとか、そんなことを考えているうちはまだまだ甘い。本気でやっていたゲームが死んだら、それは悲しい死だ。マジで悲しめ・・・それができないといつか心は凍りついたまま老いて、感受性を失い、やがて死ぬだろう。コンテンツの死は少なからずやっていたヤツの心の一部も道連れにする。だが別にいい。くれてやれ。別にそれで人間性が失われることはない。むしろより深みを持った真の戦士に成長するCHANCEだったと思うべきだ。自分はロードラを失い、本気で悲しみ、墓を作った。だがそれも糧となって真の戦士への道を歩ませるためのフルプレート・メイルとなり自分を覆った。自分は今後もロードラのことを話すが、それはメソメソ泣いているから言ってるわけじゃない。それは生き様にロードラが染み付いているがゆえの自然な咆哮だ。ロードラ世界では沢山の戦士とサイコパスが頑張って生き、自分を貫いて死んだ。つまりこれはこれからの険しい時代、様々なコンテンツが当たり前のように死んでいき涙すると思うが、あまりクヨクヨするな……そういうメッセージ性だと自分は捉えた。ロードラは死に、だが自分は生きている。これこそがロードラがもたらした真の野生へ至るための最後の試練だったのかもしれない。

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ドーモ! ドネートは常時受け付けています。 ドネートはときにおやつやお茶代に使われます。