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「教育の輪郭線」について考えてみる

教育総合展に行って「大人が描く教育の輪郭線」を感じました。私も含めた大人がもつ感覚についての考えてみます。

展示会のレポートはこちらからご覧ください。

googleがまとめた児童生徒向け冊子を見て

googleのブースで「はじめよう!私たちのこれからの学び」という冊子をもらいました。googleツールをどう使うのか児童生徒向けに解説したものです。繰り返しますが、児童生徒向けです。WEBにも公開されてますのでこちらからご覧ください。

この記事を読んでくれている大人のみなさん、ぜひ『子どもがICTを使う場面に一緒にいる』と想像して読み進めてください。この冊子に出てくることを子供がやろうとしていて、自分はその横にいる立場です。子どもから「これ教えて」と言われたらどう感じますか?

はじめよう! 私たちのこれからの学びより

うん、この辺りはきっとOKですよね。「いいよ、一緒にやろう」と答えて教えながらやることができると思います。

ではこれはどうですか?

はじめよう! 私たちのこれからの学びより

「よし、じゃあ一緒にやってみよう」と言えますか。その前に「WEBサイトを作って公開するのイイネ!」と思いますか?それとも「そんなことしたら情報がどう扱われるか分からなくて危ない!」と感じますか?

子どもの学びに大人が輪郭線を引く?

わたしはこの冊子を見て「なるほど、googleさんは小中学生に“ここまでやれるよ・やってごらん“と言いたいのですね。でも…いろんな意味でできるかなぁ?」と思いました。

『ここまでやれる』の境界線は人によって違います。例えば大人でもExcelの習得度が人によって違うなんて場面がありますよね。自分は入力しかできないけど、知人はなんだか難しい資料を作ることができるとか。

大人であれば「あれっ、どうも自分のスキル不足だな。勉強しないと」と自分で学ぶことができます。でも子どもが何かするには大抵大人のチェックが入ってしまいます。それは止めておいて、それよりこっちをやって、そこまでは必要ない、もっと上手くなってなどなど…。どうしても大人の思惑が入りがちです。

環境としては小中学生がWEBサイトを公開できるとして、そのやり方を学ぶ機会は果たしてどれくらいあるでしょうか?その辺りの境界線を大人はどこにどう引いたらいいのでしょうか?

大人が学びの輪郭線を引くことは、もはやできるのか?

教育総合展で学習管理ツールを見た感想として、私はこう書きました。

これらの話を聞いて私が感じたのは「あらかじめ学習の輪郭線があって、そこに辿り着くためのものなんだな」ということです。

教育 総合展(EDIX)東京行ってきました

教育の輪郭線、大人が描いて子どもに提示するラインです。

googleの冊子でgoogle社が描く輪郭はサイトの公開を含みますが、子どもの近くにいて言葉に力を持つ人が「そんなものは必要ない」と言ったらどうなるでしょう。その子にとっての輪郭線はぐっと手前に引かれてしまいます。

「いまのあなたに必要な学びはこれです」「これ以上は必要ありません」「ここまでは必ず理解しましょう」そうしたものが当たり前のあるのが私たちの知る”教育”です。しかし…そんなことが本当に判断できる人は、いま果たしているのでしょうか。

世界や社会が複雑になり大人にだって現状課題の輪郭なんか分からないのです。未来の課題はもっとわからない。ましてやそのために必要な学びの輪郭なんて。

こうしたことから私は、輪郭線の存在そのものを見直す時なんじゃないかと感じています。

頑丈な壁ではなく、柔軟な柵を置く

先日、いくつかの私立の小学校に各校の取り組みについて伺う機会がありました。ICT活用ひとつとっても考え方や利用レベルはさまざま。その学校がどの辺りをICTの輪郭線としているのかが見える興味深い体験でした。

いま、いろいろな立場の大人が教育に問題意識を持って動いています。本当にさまざまな動きがある中で、わたしは、いま以上に学びの輪郭線を濃くするような動きとは距離をとりたいと考えています。それはもはや、線ではなく壁になり得ると思うからです。

これは別に学習指導要領をまるっきり無視したいという極端な話ではありません。あれはあれで、その年齢の子たちにどんな学びが合っているかに基づいているはずなのでひとつの指標ではあります。それと並行して『目の前のこの子は何を求めているのか』『どうサポートしたらこの子は楽しく学べるのか』という目線を持っていたいという事です。

イメージは牧場。壁はないけど柵はある。この柵の中は自由に散策していい。何か見つけたら教えて。この辺りまでが丁度いいんじゃないかと思って囲ってるけど、やりにくいようなら相談して調整しよう。大人が用意した道具もあるから好きに使っていいし、工夫してもいい。そんなイメージを持っています。

最初のgoogleに戻りますと、パソコンを使うのが好きな子はどんどん使ってWEBサイト作れるようになったらいいと思います。もしそれが我が子なら「この子はこういうのが好きなんだなぁ」と見守りつつ、ちょっと先に勉強して「こういうリスクが起きたら話し合おう」と準備しておくかなと思います。

本来、学ぶことは楽しいはずです。現にいま私があれこれと楽しく学んでいます。誰かから指定された目標があるでもない、試験があるでもない、ただ自分の興味で学んでいます。最近はそうして得たものを人と分かち合う楽しさも感じています。

できればこれからの学びもそうしたものであって欲しいです。頑丈な壁で囲った中に子どもを入れておくのではなく、何となくの柵の内側に本人の意思で動ける牧場があるといいな、とイメージしています。




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