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ポリシーってなんだっけ

それを言われるとちょっと止まる言葉がある。
別にそれが駄目だとかじゃなくて一瞬止まる。
う、、、ってなる。

「ポリシーがないのがポリシー」
この言葉に接すると、思考が一瞬止まってしまう。
言葉に矛盾があるようだけれど意外にそんな人は多いはずだ。
だからこういった考え方はあるし間違ってると思っていない。
というかむしろ、それが理想!ぐらいには思っているところがある。

ではなぜ思考が止まってしまうのかというと。
これは僕自身がどうしても赤面してしまうような記憶があるから。
高校生ぐらいの頃の僕にとってこの言葉は大発見だった。
ポリシーなんかないほうがいいじゃんという。
しかもそういうポリシーだ!なんていう言葉上の矛盾。
そう思って、なんか色々な場面で口にした。
なんだったらちょっとかっこつけた可能性もある。
ふふふふ、なんかいい感じのポリシーだろう!って。

それが別に目新しさも何もないことに後日気付くことになる。
そんな人は大昔から同じようなことを口にしていたのだった。
なんだったら学生運動の時代はノンポリなんて略された言葉もあった。
そのことに気付いた瞬間、なんかものすごく恥ずかしくなった。
いや恥ずかしくなる必要性なんかどこにもないんだけれども。
でもまぁ、僕なりに、高校生になって初めて気付いたポリシーだった。
っていうかポリシーの意味もあんまりよくわかってなかった。
いかん、気取っちゃってたぞと。
やっべー。すげぇダセかったんじゃねぇの?と。
多感な時期の僕はなんか耐えられなくなったのであった。

うそだけはつきたくないかなぁ。とか。
人にはやさしくありたいなぁ。とか。
そういう言葉の中で、ポリシーを持たないことがポリシーかなぁ。と。
きゃーーーーー!!!なにいってんのーーーー俺!!
みたいになっちゃったんだな。
ちょっと新しい考え方じゃね?ぐらいの勢いでやっちゃってんぞ!みたいな。
あの頃じゃなくて今なら、わりと別な感じなんだろうけれど。

今、そう考えていても、うんうん、そうだよねってわかるはず。
そのポリシーの持ち方は難しいし、大変なことだよってわかる。はず。
わかるのだけれど、どうしても頭をよぎってしまう。
それを口にしていたクソ生意気なガキの自分が。一瞬。
思考が止まる。
やっちまった自分の得意げな顔が恨めしくなる。
なんにも間違っていないのに、恥ずかしさだけがぶり返す。

多分、今もあんまりポリシーみたいなもので自分を縛るのは好きじゃない。
だから考え方としてはそう進化していないような気がする。
そういう意味では同意したい言葉だというのに。
それは言ってくれるな、おっかさん的な感じになっちゃう。

はぁ。
そういうさ。
そういう細かいあれがいっぱいあるな。
後悔とかの重い奴もあるけれどさ。多少はさ。
それよりもちょっと気恥ずかしくなるやつね。

思考が止まるんだよ。
過ぎたことじゃなくて、今でも。
思い出になっているわけじゃないんだろうな、そういうのって。

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