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形式的文民統制

今年は国際的に重要な選挙が続く。
ロシアの大統領選挙のニュースが連日届いている。
大方の予想は現職の圧勝なのだそうだ。

シビリアンコントロールという言葉がある。
文民統制。
国軍を軍出身者ではなく、選挙で選ばれたものがコントロールすることが今の民主主義の基礎の一つだ。
戦前戦中の日本は陸軍大臣も海軍大臣も軍人出身だったし、軍の最高権力者は選挙で選ばれた人ではなかった。
軍が暴走しても止める機関がないような状況だった。
大戦後、民主主義は世界に拡がり一部を除いて多くの国で選挙で決まるようになった。文民統制になったのだと言える。
選挙が形骸化していると非難されようがロシアはロシア国民が選んだ大統領の支持の元、戦争を続けることになる。

様々な情報規制や、反体制であれば投獄されたり、未だに暗殺が横行していたり条件はあるし、不正選挙の可能性もあるのかもしれないけれど、とは言えロシア国内で実際にプーチン支持の国民は実際に多いのだろうと思う。
そのことに僕はとっても恐怖を覚える。
だってさ、実際に戦争が行われていて、傷痍軍人として帰ってきたり戦死したりしている人がたくさんいるわけです。
テレビ局で国を批判したら逮捕されそうになって国外に逃げるわけです。
海外のSNSだとかは規制されて見れなくなっちゃっているわけです。
独立系メディアは次々に廃刊に追い込まれているわけです。
経済界の人たちが次々に謎の死を遂げているわけです。
その状況で圧倒的支持を得る方法論を持っているってことでしょう?
さすがにこの状況では多くの反対派が表だけじゃなくて隠れてもたくさんいたりするようだけれど、それでも大多数は支持しているだなんて。

日本という環境からみれば独裁者そのものなのだけれども。
選挙をしていて支持があれば、独裁じゃないと言い切るわけです。
恐怖政治という方法論が実際に効果を出している部分もあるわけで。
だって子供が描いた絵をみて先生が通報して親が捕まっちゃうとかさ。
あの家は反戦です!みたいな通報をすることが正しいと思っているわけで。
僕としてはそんなことある?うそでしょ?って思っちゃうんだけれども。

占領した土地で機関銃に囲まれながら投票している人もいてさ。
選挙というシステムそのものを通すことで、やる必要なんかないけれど、国際的には民主主義だと言い切れるじゃんねーみたいな。
なんかそんなことを恐怖だなぁって思うのです。
選挙って、市民が勝ち取ってきた民主主義の基礎なのにさ。
そんな風に扱われているだなんてさ。
形式的に民衆が選んだ代表として立つだなんてさ。

そういう支配の方法論が今の世界に存在しちゃっている。
たとえば僕自身がそこにいたら、その方法論の中で生きていたら。
どうなっているんだろう?なんて考えたりもします。

そして言われるでしょう。
プーチンを選んだロシア国民が悪いのだと。
たとえその支配の方法論の中で生きていたとしても。
たとえそれが形式的なものだったとしても。
世界中から、罪のある人々と指をさされることになる。

僕はとってもそういうことが怖いことだなぁって思うのです。

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