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誰が為に編む

不要不急

先週の雪の予報の日、久しぶりに不要不急の外出は控えてくださいと報道されていた。まだまだ僕には生傷のように心に突き刺さったままの言葉だ。
コロナ禍になってまだ緊急事態宣言さえない頃、得体のしれない感染の恐怖から最初に攻撃されたのが演劇やライブだった。
エレキギターを背負って電車に乗っていただけで睨まれた知人がいる。
知り合いの劇場のオーナーは毎日のようになぜ劇場を閉めないのかとクレームの電話が入ると聞いた。
ライブハウスや小劇場でクラスターが起きたと報道されてSNSでは人殺しと罵る人まで現れた。
緊急事態宣言が発令されて劇場どころか飲食店もデパートも全て閉鎖してから少しだけトーンダウンしたけれど、それでも劇場にはどの業界よりも厳しいルールが敷かれることになった。
全ての店舗、業態の中で、もっとも必要のないもの。不要不急のもの。
それは僕が人生をかけている場所だった。

動画配信

リモートワークが身近になると、動画配信はどんどん普及していった。
ZOOMはあっという間に拡がって家にいながら友人と飲みかわす。
舞台演劇もライブハウスもお笑いライブも配信をすれば補助金がもらえることになって、動画配信をするのが当たり前のセットになった。
アマプラやネトフリは史上最高契約数を数え、映画も家のテレビで楽しむ人がどんどん増えていった。

家にいれば。
テレビで。パソコンで。スマートフォンで。
舞台を楽しめるらしい。映画を楽しめるらしい。
不要不急を楽しめるらしい。

矛盾

そこに矛盾があることにどれだけ気付いていただろう。
僕は演劇や舞台の動画配信は長い目で見れば自らの首を絞めることになるとずっと思っていた。
なぜならステージは生で観るからステージなわけで。
モニターで観たらそれはもうほとんどステージとしての価値を失っていると考えているからだ。映像としての面白さはもちろんあるけれど、それは別のもので、生配信だとしてもまったく違うものだと思うからだ。そして映像の面白さにこだわるのであれば、舞台である必要性すらなくなっていく。どこから配信したっていいのだから。
補助金は魅力的だろうし、チケット代以外の収入が見込めることは演劇にとって光だという意見が多かったけれど、すごく即時的だと思っていた。
結果的にコロナ禍が収束した時に、全体的に下火になっているんじゃないか。だとしたら未来はどこにあるのか?そんなことを何度も考えた。

一次的にミニシアターの作品も配信された。各ミニシアターの売上になる形のチケットで配信を楽しめるシステムまであった。誰も映画館に来ない時期にそれはきっとありがたかったと思う。
ただ、長い目で見た時に、配信で映画を楽しむ裾野が拡がれば、全体的に沈下した状況が続いてしまうのではないかと僕は思っていた。
配信自体は悪いものじゃないから、配信専用のコンテンツにするべきなんだろうなと思った。それはそれで身動きも出来なかったのだけれど。

わかっていたけど、仕方がなかった。
そう口にする人もいる。

誰が為に

そもそも金儲けがしたいなら劇場もミニシアターもテナントで貸し出すなり飲食店にするなり他にもっとやり方があるわけで、それを浮き沈みのある人気商売でやり続けているわけで、そこには明確な意思がある。そりゃ売り上げが上がるに越したことはないのだけれどさ。
まして劇団だとかバンドだとか個人の集合体は猛烈な意思が必要なのだと思う。
あの頃、不要不急とたった四文字で切り捨てられて、それを半分認めるかのような配信にも手を出さざるを得なかったわけだけれど、それでも今、何かをやろうとするのはやっぱりあの時の「不要不急」という言葉に抗っているのだと僕は思っている。
思っているし、僕自身はあの時の不要不急という言葉に抗うと決めている。

泣きそうになるんだよ。悔しくて。
もしかしたら動画配信をホンモノだと感じている人がいると思うと。

だけど僕は知っている。
小劇場のカーテンコールで。
何度も何度もステージの上からみてきた。
何度も何度もステージの上で感じてきた。
永遠とも思える一瞬。一体感。

それは誰の為だろう。
僕自身の為だろうか。
目の前のお客様の為だろうか。
社会?世界?そんな大袈裟な。

コロナ禍以降

地盤沈下したままだと僕は感じている。
その間にも、そりゃあヒットはあった。
中止になっても国の補助で潰れずに済んだ。
でもそんなことじゃあない。
もっと全体的なことだ。
地盤沈下していることがわかるのはギリギリでの経営だった場所がなくなっていくときだ。
全体が沈下すればそこからはじまる。

いよいよコロナ禍の収束だと言われ始めている。
そうなのだろう。
業界によっては去年の秋ぐらいから目に見えるように回復している。
けれど、傷跡は残っていて。
生傷の時は補助してくれたって、傷跡には保険が利かないのさ。
傷跡が残っている焼け野原のような業界は、いの一番に不要不急と呼ばれたエンターテイメント業界だろう。大きなプロデュース以外の作品は、以前と以降でまるで違っているはずだ。たとえ補助金などで金銭的には回っているように見えたとしても、実質的な観客の総数は沈下したはずだ。

スクリーンでしか味わえない何か

テレビやパソコンのモニターやスマートフォン。
それでは絶対にわからないスクリーンでしか味わえないものがある。
もしかしたらもうすっかり映画館から足が遠のいてそれを忘れている人だっていると思う。

あの真っ暗な空間。
だというのに多くの人と共有している時間。
投影された光と、包まれるような音響。
くすくすと笑い声が聞こえたり、泣いている人を感じたり。
誰かのお腹が鳴ったり。
視界の全てが映像という場所。没頭していくこと。
脳が痺れていくこと。

映画『演者』を観て。
そこが不要不急ではないのだと僕は証明してやろうと思う。
ここでしか楽しめない、信じられないほどの心の動きを実感してもらいたいなと思う。
あの時、切り捨てられた何かにきちんとやり返してやる。
僕が人生をかけて取り組んできたことを簡単に切り捨てた連中にざまあみろと言ってやる。
出来たら沈下した地盤を持ちあげてやりたいよ、本当に。
そして叫ぶのだ。

必要不可欠だろ?ってさ。

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