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読書記録

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読書記録。 順序はバラバラになりますが、事務所のブログの記事も最近のものからピックアップして上げていく予定。
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記事一覧

純粋形態としての卵 『宇宙船地球号 操縦マニュアル』(バックミンスター・フラー)

本文の後に追加されている注釈で、訳者である芹沢高志は、フラーに対する敬意を込めて、次のような点について批判を行っている。 (a)フラーの宇宙観、世界観は、徹底的に動的であることを主張していながら、意外に、自己完結した静的なものになってしまっていること。 (b)フラーは世界をグローバルに眺め行動することを主張するが、地球上のいかなる環境にも適応できる技術を求めたが、それが多様性を損ない、均一化を促進する可能性があること。 (c)フラーは軍事技術の「本当に少ないもので本当に多く

ロゴスとピュシス 『ナチュラリスト:生命を愛でる人』(福岡 伸一)

ナチュラリストとは ナチュラリストをネットで検索すると とある。 本書でのナチュラリストは1の後者「自然の動植物を観察・研究する人」の意味合いが強い。 「はじめに」によると、「生命とは何か」という問いをずっと心に持ち続けている人、ということになりそうだけれども、本書はナチュラリストとはどういう人か、また、子どもが大人と関わることでどんなふうにナチュラリストになるきっかけを得るのか、が自身の経験を踏まえた軽快な文章で綴られる。 最初はナチュラリストが「自然に関心をもっ

サービスからツールへ 『 How is Life? ――地球と生きるためのデザイン』(塚本由晴,千葉 学,セン・クアン)

ギャラリー・間の開設35周年を記念して行われたテーマ展(2022/10/21~2023/3/19開催)をまとめたもの。 企画時がコロナの真っ只中だったこともあり、これまでの社会のあり方・常識に対して転換を促すようなテーマが選ばれ、建築らしい建築はあまり出てこない。 が、道具に対する言及はいたるところにある。 地方に軸足を移すと、道具類がどんどん増えていく。そして、どんどん欲しくなる。 道具とそれを扱うスキルによって、地方における自分の存在・自分の見えない領域が増えたり

イメージの更新 『分解の哲学 ―腐敗と発酵をめぐる思考』(藤原辰史)

エントロピーの排出が循環の決め手であったのと同じく、分解は循環になくてはならないものである。 本書は、そのことを、科学的に位置づけたり、効用をとりあげるだけでなく、哲学的な考察を加えながら吟味していく。 分解という作用 生態学では、生物を「生産者」「消費者」「分解者」に分けるのだが、実際には、植物も呼吸をして消費をしているし、動物が食べることは消費であると同時に分解の一部でもある。微生物も分解も消費の一部だ。 この、生産や消費という言葉は経済との関連を想起させるし、分解者

可能性の表現 『人類堆肥化計画』(東 千茅)

別の本で紹介されていて、気になったので読んでみた。 里山における腐敗とその先の堆肥化。 堆肥はもちろん比喩であるが、そうでないとも言える。 嫌われ者の小動物や微生物が、動物や植物の死体を腐敗させ、堆肥化することで新たな生へと繋いでいく。 堆肥とは生と死が入り乱れる場所だ。 著者は山尾三省が、里山の生活を寡欲・清貧な「小さな幸福」と表現することを糾弾する。 (35年ほど前、私の家族が屋久島へ移住した頃、何度も山尾三省の名前を聞いた。父は氏と多少の交流があったようだ) 著者

生命との応答実践 『よくわかる イネの生理と栽培』(農山漁村文化協会)

ひょんなことから田んぼをすることになったので、試しに買ってみた数冊のうちの一つ。 本書は1965年に発行された『イネの生理と栽培』(岡島秀夫)をもとに農文協があらたに構成したもの。 稲については全くの素人である私は、何をどう考えてどういう判断をすれば良いか全く分かっていなかったのだけれども、タイトルの通り、稲の生理を科学的に説明しながら栽培の原理につなげていく本書はまさに求めていたものだった。 青田六石米二石 本書で書かれていることは、昔の米づくりの名人が言ったという

想像力を再構成する 『菌類が世界を救う ; キノコ・カビ・酵母たちの驚異の能力』(マーリン・シェルドレイク)

前回の『マザーツリー』の関連で菌類の話。 菌類は私達の身近なところにあり、生活に深く関わっていながら多くの人は菌類のことをそれほど深くは知らない。 本書では、その生態や能力、可能性などがさまざまな角度から描かれていて、内容は驚くことばかりだ。 菌類は、私達が持つ生命についてのイメージを書き換えることを迫る。 つい先日、とある雑談で『マザーツリー』が話題に出て、「マザーツリーの著者は西欧的な世界観からものごとを捉えすぎていないか」という話があった(ニュアンスは多少違ったか

いつかの自分の背中 『トラッカー: インディアンの聖なるサバイバル術』(トム ブラウン ジュニア)

本書は、少し前に図書館で借りていたのだけど、読むきっかけがなかなか掴めずにいた。 そんなところ、前回読んだ本ででトラッカーについて言及する箇所があって、ようやくきっかけが掴めた。 生物・無生物を問わないさまざまな線の織りなす世界とその痕跡。それらの糸を解きほぐしながら世界に没入する存在としての追跡者。 そのイメージはとっかかりには十分であった。 本書は、少年の壮大な冒険の書としてもとても魅力的で、少年のように半ば興奮しながら読んだのだけれども、内容について解説するのは

開かれているということ 『生きていること』(ティム インゴルド)

コーヒーイノベートでのbooks selvaさんとのコラボ企画にて購入したもの。 インゴルドはこの時はまだ読んだことがなく、ちょうど読みたいと思っていたところだった。 パラパラとめくってみたところ、インゴルドがギブソンの生態学をベースとしているのがすぐに分かった。 この時は、自分がこれまで読んでこなかった分野のものを買おうと思っていたので、少し自分の関心に近すぎるかもしれないと迷いながらの、一種の賭けとしての購入だった。 結果的には、本書はまさにこの時探していたもので、賭

流れの宿命を引き受けるには 『生物と無生物のあいだ』(福岡 伸一)

てっきり読んだものと思い込んでいたけれども、未読だった。(読んだ内容を忘れてるのかとも考えたけれど、前回のシュレーディンガーについても本書に詳しく書かれていたのでやはり読んでいなかったようだ。) そして、さすがに面白かった。 生命とは何か? 本書は、著者が大学の時に出会った問いに対する著者なりの返答なのだろう。 著者は、いくつもエピソードを交えながら、生命とは何かを描いていく。 「生命とは自己複製するもの」とよく言われる。 遺伝子の複製によって、ミクロにもマクロにも

建築において遺伝子に相当するものは何か 『生命とは何か: 物理的にみた生細胞』(シュレーディンガー)

本書は1943年にダブリンの高級学術研究で行われた講演をもとに出版されたもの。日本語の翻訳版は1951年、1975年、2008年と三度出版されている。 上記の本で、エントロピーと生命の関係を知れたことは大きな前進だったのだが、本書を読んだのは、その発端となったシュレーディンガーの「生物体は「負エントロピー」を食べて生きている」という記述を追っておきたい、という軽い気持ちからであった。しかし、本書はそれにとどまらない。 他領域をまたぐ入門書的名著物理学者であるシュレーディン

選択の幅を拡げ持っておく 『テクテクノロジ-革命: 非電化とスロ-ビジネスが未来をひらく』(藤村 靖之)

少々古い本だけども、著者の考え方に触れるための一冊目として読んでみた。 選択の幅を広げ持っておく 辻氏の、実際に破綻するまでほとんどの人は動かないけど、行き着くとこまで行くしかないのか?という問いかけに対し、藤村氏はこう答える。 また、非電化の発想はどこから出てくるのか、という問いかけには、 と答える。 本書の中に、代替策や選択の幅という言葉が何度か出てきたけれども、選択の幅を拡げ持っておく、ということの重要性を再認識させられた気がする。 それはなにも、行きつくと

農的暮らしという未来 『地球再生型生活記 ー土を作り、いのちを巡らす、パーマカルチャーライフデザイン』(四井真治)

前回の本で著者のことが紹介されていて、以前から興味もあったので購入してみた。 気持ちとしては技術書のようなものを期待していたけれども、どちらかというと思想に関わるものだった。しかし、いろいろと得るものがあったように思う。 エコロジーの原理 著者はパーマカルチャーに触れつつも、その原理が何か分からず長い期間をかけて考えたようだ。 実践の期間は比べ物にならないけれども、原理的なことを理解したいという意識には共感する。 これは、言葉は違えど、ここ数年で私が辿り着いた感覚に近

遠回りも無駄ではなかった 『線(せん)と管(かん)をつながない 好文×全作の小屋づくり』(中村 好文,吉田 全作)

この本は発売してすぐに購入していたけれども、まだ読むタイミングではない気がして、ずっとそのままにしていたもの。 そろそろ、読んでも良いタイミングかと思い手に取ってみた。 タイトル通り、線つまり電気と、管つまり公共的な給水管と排水管とをつながない、いわゆるオフグリッドな小屋についてお二方が交互に語るような内容。 線と管をつながないとは、すなわちエネルギーや水、栄養素などの循環について自ら考えるということである。 この中で、パーマカルチャーデザイナーの四井真司氏の言葉を引いた