『深い』というと、その奥に深い意味が隠されていると思いがちだがきっとそうではない。

『深い』というと、その奥に深い意味が隠されていると思いがちだがきっとそうではない。
意味などというものにはとうてい回収されない『深さ』でただ存在していること。
そういうものがあるということ。
そこにこそ美しさや豊かさが存在するということ。
そんなことを思い出させてくれる。
生きる意味とかなんとかいうものは一度忘れてしまえばいい。

ふむ。この引用だけで十分に思えるけれども、少し意味の使い方を変えてみよう。

あらゆる意味は絶えずそこにあり、誰かが汲み取ってくれるのをじっと待っている。

一見「意味のあるもの」と扱われているものは、それ以上の意味を探す手間を省いてくれている、ある種便利なもの、と言えるかもしれない。それゆえにそれ以上の意味を探すことはあまりなされない。

逆に、簡単に意味を汲み取れないもの、汲み取りきれないものは、いつまでもそこに意味を探し続けることができる。

そういう汲み取りきれなさが、深い、ということであり、豊かである、ということなんだと思う。そういうものは、ただ無意味に漂い続けることさえ許してくれる。

意味があるのかないのか、いったいどっちなんだとも思うけれども、最初の引用文をこう変えると筋が通りそう。

『深い』というと、その奥に固定的な深い意味が隠されていると思いがちだがきっとそうではない。

深いものには汲み取りきれないほどの意味があるけれども、これと言って答えを一つ差し出してくれるわけではない。

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