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過去を乗り越えたら、「生みの喜び」が待っていた

先日、初めて描いた絵本が出版されました!
タイトルは「クジラのハンナ」です。

絵本「クジラのハンナ」が生まれました!


絵を学んだこともない、物語をつくったこともない、クジラを見たこともない(笑)、ないない尽くしのわたしから生まれたこちらの絵本。
そんなハンデをものともせず、創作する楽しさと一体となって描き上げました。
一枚の原画が仕上がるたびに嬉しくてたまらなくて、ケント紙を胸に優しく抱きながら「ありがとう」と言って完成していった幸福なプロセス。
今回は、〝創造する喜び〟を人生で初めて体感させてくれたこの絵本づくりについて綴りたいと思います。

トラウマを超える

きっかけは半年ほど前まで遡ります。
それは、40度を越える高熱が1週間続いたときのことでした。
心の奥底に仕舞い込んでいた記憶の扉がバーンと開いてしまい、走馬灯を見るような体験をしたのです。
それは、見たくなかった母との関係を突き付けられることとなりました。

そのなかで思い出されたことの一つが絵に関する記憶でした。
子どもの頃のわたしは絵を描くのが大好きだったのです。
ただ、好きなことを許さない母は、描いた絵を目の前でびりびり破ったり、机の引き出しに隠しておいたお気に入りの絵を暴いて、学校から帰ってきたら怒鳴って叱責して捨てたり。
姉にプレゼントしようとがんばって描いた絵は、「こんなものお姉ちゃん喜ばないから捨てなさい」と言って、自らの手でゴミ箱に捨てさせられたり。

悔しさ、悲しさ、怒り、憤り、惨めさなどの感情を、小さな身体と心の中で全て抑圧して、母に言い返すことも泣くこともせず、全身に力を込めて我慢して耐え続けた子ども時代の記憶と対峙したのでした。

闇に葬っていた過去と向き直すことは苦痛でしたが、そこに隠されてしまっていた純なる願いに気付くことができたのは光明でした。

そうだった!わたしは絵を描くのが好きだった!
そういえば、小学校の時は図工、中学校の時は美術の時間が一番好きだった!
Instagramでもアート系ばかりフォローしてるじゃないか!

奥に追いやられていた〝好き〟が鎖から解放されて、わたしが触れられる領域まで戻ってきてくれた感動。
絵を描きたい!という純粋な欲求の回帰。
熱が下がって体力が回復すると、アクリル絵の具やキャンバスを購入して自分にプレゼントすることに。
こうして久しぶりに絵筆をとって描いた絵がこちら。

25年ぶりに描いたアクリル画

お庭に咲く矢車草と、満開の季節に家の中に入ってきたツバメの思い出を重ねて描いた絵です。
楽しくて愉しくて時間を忘れて夢中になるあの喜びが、再び人生に戻ってきてくれたことが嬉しくてたまりませんでした。

しかし、ここでまたトラウマと向き合うことになります。
描いた絵をInstagramに投稿してみようと思ったときに、身体が震えるほどの恐怖に襲われたんですね。

描いた絵が見つかると恐ろしいことが起きる。
好きなことをして自己表現すると悪いことが起きる。

母との関係を通して細胞深くまでインプットされてしまったこれらの信念。
その恐怖をありのまま感じて自己受容して、ここは超えてみようといざ投稿。
すると、普段滅多にコメントがないのにこの投稿にはなぜかいっぱいコメントが。

「購入したものかと思ってしまったあ!可愛いなあ!」
「ちかさん、多彩ですね♡とっても素敵です~!」
「とっても素敵です!見ているとハートが心地よくなって温かくなります」

あれ?あれれれれ?
怒られないどころか、むしろこんなに喜んでもらえるなんて!
全身の緊張から解放されて、長いあいだ見ていた悪夢から醒めたような思いでした。


遺伝子が開花する

それから間もなくして、興味深い事実が判明します。
それは、父方の祖父が画家だったということ(驚)
生前祖父は油絵を描く人で、彼の住む田舎の旅館や温泉施設では彼の描いた大きな絵画が飾られているのだとか。
絵を描く喜びを受け継いでいた遺伝子が、魔女にかけられた呪いの封印から解かれて花開き始めたのでしょうか。

絵を描くようになるとよく眠れるようになったことも不思議でした。
何十年も続いた不眠症が消えていき、朝までぐっすり眠れるようになったのです。

そんなある日の朝のこと。
目を覚ました時に「クジラのハンナ」のインスピレーションが降りてきました。
それは圧縮されたデータを一瞬でダウンロードしたような感覚。

絵本なんてつくったことないけれど、なんとか形にしてこの三次元の物理空間に生み出したい!ハンナに必ず会いたい!
そんな純粋な「この世界でただ会いたい」という想いから始まった絵本づくりでした。

溢れる想いのままに描き上げた原稿と原画を送ってみると、出版OKが一発で出て超がつく安産で生まれたハンナ。
初めてのことで大変だったことももちろんあるけれど、でもそれすらも楽しめてしまえるほど、最初から最後まで嬉しさで充ち足りた創作時間でした。

製本されたものを手にしたときは、感動のあまり号泣。
本を胸に抱きしめて、「ありがとう!生まれてきてくれてありがとう!ようこそこの世界へ!」と、涙と鼻水垂れ流しで語りかけたくらい(笑)

わたしという存在を通して、形のない世界から新しい形が生まれてくるこの奇跡。
何もない領域(=0次元)から、まるで座標に点が落とされるようにインスピレーションが降りてきて(=1次元)、イメージやビジョンが鮮明になっていって(=2次元)、肉体というツールを通して形がつくり出される(=3次元)。

ハンナは多次元を駆け抜けて創造・クリエーションする喜びを人生で初めて教えてくれたのでした。

誰かに指示されたからやる、正しいからやる、社会や誰かの役に立つからやる、やらなければいけないからやる、そんなやるしか知らなかったわたしにとって、理屈を超えたこの〝やらずにはいられないからやる〟はセンセーショナルな体験でした。

受け取ったインスピレーションに向かって身体が勝手に動くんですね。
それは目に見えない磁力みたいな力が身体を動かす感じ。
人って本当はこういう風にできているのか!と心底驚きました。

でも、これは子どもたちが毎日当たり前にしていることなんだろうなと思ったんです。
大人や社会に毒される前の子どもたちはきっとこういう世界に生きていて、「これをやりたい!」という純粋無垢な想いを原点にして迷いなく身体が動くから、エネルギーの滞りがなくていつも元気なんだろうなあと。
子どもが描いた絵や摘んだお花に感動するのは、こういう自然な創造プロセスの中で生まれるからかもしれないなあと。
イエス・キリストが「幼子のようでありなさい」と言ったのは、0を起点とした創造プロセスから逸脱してはならないという意味なのかなと思ったのでした。

さて、そんな「生みの喜び」によってこの世にもたらされた「クジラのハンナ」。
絵本通販サイトのYOMOからご購入いただけます。

クジラのハンナ - いまここ ちか | YOMO (yomo-ehon.com)

会員登録が必要だったり、送料300円をいただいたり、オンデマンド印刷なのでお届けまでお時間をいただいたりと、少しお手間をかけてしまいますが、それでもお迎えいただきお手にとって読んでいただけたら嬉しいかぎりです!

一冊の本としてハンナの物語は完成しましたが、実はこれではまだ未完成。
本当の物語は、ハンナと出会ってくださった方が、この絵本を読んで心の中に生まれたもの。
だから、読んでくださる方の数だけ物語があります。
たったひとつの物語から生まれる無数の物語。
ハンナと出会って心の中に紡いでいただけることを願って…。

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