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つまり、その厄介なものを見つめること

世の中は僕らの頭脳と直感を、どれだけ駆使したとしても、理解できないことだらけです。

感染抑制か、経済再開かとか、社会全体を見たときに、何を優先すべきか、難しい問題ばかりですよね。

だからこそ、この世の中に、二元論という、究極のシンプリシティがあるのでしょう。善か悪か。白か黒か。

その二元論を駆使して、バサっと思考を整理したくなってしまう衝動を持つことは、責められない。そんなに世の中単純じゃねーだろという声が、どれだけあったとしても。

それはまあ、この世の中って、とくに最近は、複雑すぎますから。


社会性の二元論的整理

一つの思考実験をしてみます。

この社会を、「向社会性(Pro Social)」か「反社会性(Anti Social)」かの、二元で分類してみたら、どう見えるだろうかと。


少し話は飛びますが、トップマネジメントとのリーダーシップ・コーチングの世界を掘っていきますと、いつも突き当たる疑問があります。

それは、この世界に一定数必ず存在しつづけた「サイコパス」について。僕らはそれに、どう向き合うべきなのだろうかという問いです。

調べていきますと、二つの気づきを得られました。

1.サイコパスは、あるか、ないか。ではなく、サイコパス度何パーセントか。という話であり、結構多くの人間はサイコパス成分を持っていること。

2.サイコパスには「向社会性(Pro Social)サイコパス」と、「反社会性(Anti Social)サイコパス」の二つに分かれること。

1.については、サイコパステストというのがいくつかあります。
2.については、CEOやウォールストリートバンカーにサイコパスが多いという議論があります(一方、科学的証明には乏しいとも)。アンチの方は、レスター博士とか、ジョーカーですよね。

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サイコパスうんうんの件はここでとどめますが、何が言いたいかというと、ここで出てきた、「向社会性(Pro Social)」か「反社会性(Anti Social)」かという科学的な定義は、少し特殊ですけども、なかなか味わい深いフレームワークだと思ったのです。


動機は何か

また、話はかわります。僕はこの人間社会の多くの事象は、行動経済学的な観点で説明がつくという気がしてまして、その観点で、とても重要な概念は、「モチベーション」だと思っています。

モチベーションの語源にさかのぼると、このようにあります。

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よく、モチベーションが上がった!頑張れる!
という言葉を私たちは発しますが、これはピュアにやる気が出たというケースに使われ、「向社会性」的なモチベーションという言葉の使用例でしょう。

一方、犯罪もののドラマとかで、「ホシの動機を徹底的に洗え!」とか、部長が叫ぶじゃないですか。モチベーションが、その背景とか意図、動機という意味を持つ使い方です。

そこで、このタイプのモチベーションには、レスターとかジョーカーみたいに、相手をやっつけてやろうとか、操作してやろうという、明らかな悪意を持ったものとは別に、もう一つの、違ったバージョンがあるんですよね。

無自覚の動機

それは、無自覚の動機です。犯罪者である必要はありません。私たちだれもが、ついついやってしまう可能性があるものです。

社会生活を普通に送っていても、一つ一つの発言や判断には、その人の立場からくる動機、意図が隠されていることがあります。

たとえば、好きな女の子をいじめてしまう男の子がいたとします。それは、ひょっとしたら、その女の子が他の男の子を好きになってしまうことを恐れていたからかもしれない訳です。

この、セルフ・モチベーションに基づく判断が、結果として反社会性が高くなることもあることを、僕らは経験学習的に、知っているのではないでしょうか。

例えばの、よくない動機のケース

もう少し、踏み込んで具体的な例をあげてみます。

例えば、こう考えている偉い人が、この世にいても、不思議じゃなくないですかね。(あくまで、架空の話ですよ)

あそことあそこの国みたいに、寛大な賃料滞納への措置をしろだと?俺様は不動産王だぞ。やる訳ないだろ。なに?このままだと経済マジヤバい?もし返せなくて困ったら、(会社も国も)借金チャラにすればいいだろ。

あたし、次の選挙に勝ちたいし、ひょっとしたら国政に出ちゃうかもしれないから、(投票率が高い世代にうける)徹底感染リスク排除の優先を、私の地域ではやり抜きますわよ。


世の中の常として、表に出て何らかのリーダーシップを発揮する人間は、えてして自己正当化がとても上手です。

これらの例のように、社会全体でみた時のベストではないどころか、結果的に「反社会性」さえも帯びる可能性があるような判断を下すときにも、その、自己正当化プログラムが走って、本人の中ではキレイにロンダリング(洗浄)してしまうのが厄介なのです。

つまり、その厄介なものを見つめること

政治の世界に限らず、商売ゴトでも、なんでもそうでしょう。その人間のモチベーションは、はたしてピュアなのか。またはそれは、自己正当化を伴う、無自覚な個人的動機によるものなのか。

それこそが、今まさに、この混乱の時代に問われているのではないかと。

一つのツイート、一つの決定、一つの行動。

しっかりと、他人の行動と言動の背景にある、モチベーションという名の厄介なものを見つめていくべきですし、自らもその一員となって片棒を担いでいないか、確認しながら、誠実に生きていきたいものですね。


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