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7月で仕事をやめるけど自分って何にもないなと思う話。身の上話。2

中学に入ってすぐに引きこもりになった、当時は母親もまだ働ける歳だったのでその頃知り合いのツテで働いていたが、父親はそれが納得行かず、自分も学校に行かなくなったことから母親を攻めてよくケンカしていた。

両親がケンカするたび、自分が止める役目を小さい頃からしていたためか、親の感情を見る癖が出来てしまい後々人間関係で辛くなっていく。
姉たちとは少し歳が離れているため、それぞれなりの回避術で両親のケンカには関わらないようになっていた……止めるのはいつも自分になっていた。

父親が仕事から帰ってくるとケンカが始まり、その辛さから母親が酒を飲み、それが1週間続く事もあった。
学校から帰ったら母親が酔っぱらってる事がよくある風景で、父親が帰ってきて父親も酔っぱらいながら母親とケンカする、そんな毎日だったし、引きこもりの時もそれは続いた。

数ヶ月も学校へ行かないと家や学校でも問題になっていて、どうにかして脱却させようとしてくる、全然好きじゃない先生が来たり、ほとんど知らないクラスメイトがきたりした。担任は本当に好きじゃなく、言動も嫌いだったので1度も来なかった(親とは会ってたかも?)
そんな事が続くと余計に塞ぎ込み死にたくなっていく、親がどうしたいんだ?と聞かれても酔っぱらいのままなので信用出来なかった。

どうにも早く終わらせたくて死にたいと言ったら酔っぱらった親に死ねと言われ、頭をなぐられた……死にたいの言葉は、多分今の環境を変えて欲しいと言う事だったのではないかと今の自分ならわかる。

そんな事が1年近く続いた辺りで母親が不登校の学生を見てくれる学校があると知り合いから教えてもらい、なんとか登校してみようと相談してくれた、母は酔っぱらってない時は優しい人で嫌いでは無かった。

ただ生まれた年が戦争が終わった激動の時代で、すぐに産みの親から育ての親にもらわれ、女性は勉強せず、家の事が出来ればいいと、ろくに学校にも行かされず、仕事ばかりしていた人生だったので本当に何も知らず母親をやっていた。

なので自分も世界がどういうものか、ハッキリ分からずここまで来ている感覚がある。
勉強に見放された家族だったのかもしれない。

そんな母親が見つけてきた不登校の学生が行ける学校に通うことになる。

続く