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己の忠誠心

忠誠心について

忠誠心

自分の中にある絶対的指標である。
この人について行こう。この人なら信頼できる。この人の言うことだ間違いない。
自分は基本的にこれで全てを解決してきた。
しかしここ数年。特に社会人になってからというもの、この忠誠心を向ける矛先が迷子になってしまっている。

皆が皆素晴らしい人格者であるわけはないのだが、それにしても不完全な人間が多過ぎる。そして簡単に失望してしまう自分の脆さが目立つ。
学生時代は悪名が職員室に知れ渡る問題児であったが、それ相応の尊敬する恩師と呼ばれる存在には忠義というか義理は通してきた。
大学でもゼミの教授には大変お世話になったし、学生のボランティア的なことで教授が人集めをしていた時は積極的に参加していた。学務にもできる限り手を貸してきたつもりだ。
しかしサークル活動などで先輩が卒業すると、ナンバー2だった自分を後継者にと白羽の矢が立つ。しかしそうして自分の代になったサークルは自分のモチベーションが保てなくて空中分解させた。
みんな俺について行こうとしたのに、俺自身が迷子になりくたばった。先導者を突然失ったグループは最も簡単に崩れさる。
こうして俺は2つのサークルと学生団体を破壊した。歴代を見ても教科書に載るのではないかというほどの愚王であった。
誰かの下についている時はあれほど発揮していたバイタリティも自分が上に立てば全く湧いてこない。無威力な王だ。それでも業務はこなさねばならず、なんとか形にはするが下の者を集めることはできない。1人で全てを回すような形であった。それではうまく回らず少ないメンバーに負担をかけて「下手くそ」「ダメなやつ」「無能」と陰で罵られる。
うまくいかなかったというのは私が1番わかっている。皆に大変な思いをさせてしまったのはわかっている。だけど俺にはあの時ああするしか考えが至らなかった。
指示出しがうまいなんて思ったことはない。
全体を把握して盤面をコントロールし、必要な人材を適宜配置する能力は皆無だ。
だけれども俺は何処へでも駆けつけて力を貸し、また別の場所へ駆けていく。
いいように使われることがリーダーからの信頼の証だと誇りに思っている。

話を戻して、社会人になってからはこの能力があまり求められていないのではないかと思う。
自分で考えて適宜動け。周りに気を遣え。
ふわっとした指示にふわっとした注意。
方針がわからないし、何もわからない新人には考えても何が正解なのかわからない。
何かしても「そんなんやんなくていいよ」「考えろ」俺の思考と現場の思考が一向にリンクしない。
それでもこの人にならついて行けると思えれば、思考をトレースしようと思えるのだが。
何かイレギュラーが起きたり、指示の不手際でチームワークが乱れた時など、本人の思うようにいかないと物にあたり「クソッ……‼︎」と暴言を吐き動作がうるさくなる。
見るからに不機嫌になるのだ。
そんな上司の姿を見て俺はいい大人がなんて事してんだよ…と脱力感に襲われる。
先輩のあからさまに毛嫌いしている姿を見せつけられると、なんでこんな人たちに貢献しなければならないのだ?と思う。
他にも、小さな会社でお昼は社長と若い衆でメシを食いにいくといった時、社長がジャンケンだと言い出し漢気ジャンケンが始まった時は本当に理解ができなかった。なぜ社長が若い衆に昼メシ代を払わせているのかと。自分の分だけでなく仲間の若い衆の分まで。これでは今日働いた何時間かはタダ働きということになってしまうじゃないか。
社員に十分な給与を与えているならば、ギリギリわからなくもない。しかし普通か普通より少ない賃金で働かせてメシまでたかるのは、あまりにも長としての姿とはかけ離れている。この一件以来一緒に昼メシに行かなくなった。そうしたら自然と仕事がなくなり解雇かな?って感じになった。最終月の給料は振り込まれず、催促の連絡を入れたら何も言われずに振り込まれた。

忠誠心の矛先を見失っている。
俺はなんのために働いているのだ?と
誰のために働いているのか?と
もちろん自分のため、金のためというのは大前提だ。自分の生活が立ち行かないんじゃどうしようもない。けれどそこで働き続けるためには、この人のため、この会社のためという帰属意識が必要なのだと思う。
そうじゃないと続けていられない。

多少苦しくても、この人となら乗り越えられる。そういった意識はどこかへ行ってしまったように思える。
これは終身雇用が崩壊したからなのだろうか。会社は社員を養うためにあり、社員は会社を存続・成長させるために働く。社員を舐めてるとしか思えない勤務体制。給与形態。
売り手よし。買い手よし。世間よし。の近江商人の三方よしの考えは何処へ行ってしまったのか。

こんなんじゃ誰も責任を取りたいと思わない。ヒラ社員で重鎮ぶって、いざとなれば同じヒラ社員で対等と曰う。そんな腐った環境でどうして貢献しようと思えるのだろうか。

ヘルプで別部署へ行った時。そこでは半年で4分の3の人間が辞めた。ヘルプでそこに配属された人も辞めた恐ろしい部署であった。
そこでの実質的リーダーの言葉は今でも忘れられない。
「俺らがこの作業した方が早いのに、お前がやってるのは他の作業ができないからだぞ。他の作業できんのか?できないだろ?」
「なんでも指示貰えると思うな。俺とお前は同じヒラ社員なんだから同等だ」
これがヘルプで週に数日しかも半日だけ来る人間へ言う言葉だろうか?
ああこれじゃあ人も辞めるな。と納得してしまった。
口を開けば会社の悪口。上司の悪口。仕事が終わり定時になったので帰ろうとすれば、残っていけ話があると1時間近く拘束される。
くだらない世間話とやはり悪口だ。そんなに嫌ならば辞めればいいのにと思うが、本人たちは「俺らこういうこともガンガン言ってくタイプだから」と何故か誇らしげであった。
待遇改善を訴えているのならわかるが、ただの愚痴じゃあ何も変わらない。上司への悪口も人格攻撃や容姿への暴言。挙げ句の果てにいつもここで駄弁って7時とか8時になってたよなと言い出す始末。
団結力は生まれるのかもしれないが、そんな団結力はいらない。後ろ向きな団結。破壊しようとする意識の共有は会社にも自分たちにも利益はない。
幸いすぐにヘルプで行くことはなくなり、元の部署に帰ってこれたが、あの部署がどうなっているのかはわからないし知りたくない。

これも会社が従業員の忠誠心を高めなかった結果起きた部署崩壊だと思う。
もっと人員を割けていれば。もっと給与を与えていれば。もっとノルマを緩く設定すれば。もっと上の人がフォローに入っていれば。
たらればを語り出したらキリがないくらいだ。
あれは会社の歪みの皺寄せが来ただけであって。誰も一生懸命だったんだと思う。
そこで折れた人たちが出てしまった。折れない人は何故折れないのかというと、それでも残るうま味があるからだ。

話を戻すが、この忠誠心を高める行動をできる人は少ないのかな。と思う。
人間誰しもイラッとする瞬間はある。何してんだ?と思うことも多々あるだろう。それでも部下をまとめて同じ方向を向かせる。各々歩幅やスピードは違うけれど同じ目的に向かって誰1人欠けることなく進ませることができること。
それが忠誠心に繋がるのかなと思う。

理不尽に怒る人がいると全体の効率が落ちる
その人がどんなに優秀で人の倍働けても全体の効率は超えることはできない。
怒りは飲み込み、不機嫌を態度に出さないことそれだけでもチームに貢献しているのだ。

まあこれだけ語ったが、要はもう忠誠心がなくなってしまったという私事でしかないのだが。
辞める理由の正当化でしかない。
年始のバタつきが落ち着いたらちゃんと転職活動をしようと思うのであった。
また明日。

2024/01/06 大沼左近

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