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幸せじゃない時にしか頑張らないなら、いつまで経っても本当に幸せにはなれないのでは

 なかなか過激なタイトルだな〜と思ったあなた、大丈夫です、安心してください。もっと他のしっくりくる言い回しがありそうなんだけど、ぴったりな言葉が見つからなかっただけです。まだまだ、言葉と想いの間に隔たりがあるんだなぁと思いました。

さて、本題です。

 なんとなく色んなものの流れが悪くて不幸だな~と思う時って、なんとかその状況を打破したくて、自分で手を動かし頭を動かし、幸せな未来に向かって頑張ったりします。
 でも、なんとなく色んなことが上手くいっていて、ぬる〜く幸せだな〜って時は、その環境に疑いを持たずに浸かったまんま満足してしまったりします。
 これってよくない気がする。と最近思いました。

 満足して何がいけないんだ!わざわざ今の幸せな環境にいちゃもんつける必要はないじゃないか!ちゃんと幸せだと思えることも素敵だ!!

と思うかもしれないけれど、幸せな環境自体に文句を言いたいわけではなく、幸せな環境を当たり前だと思い込むことが良くない、というお話です。大体自分の場合は、環境に満足した結果、現状維持のための努力すら足りていないことに気が付かないことがあります。


 幸せだな〜と思える環境の手前には、不幸だった(と思っていた)自分の、何かしらの頑張りがきっとあるわけで。その頑張りの上で一度成り立った幸せは、掴んだ時点で、もうその後失われないものだと思い込んでいる節があります。

 たとえば、わかりやすく極端な例にすると
・楽器の練習をしてオーディションに受かった→あーよかったよかった(その先が大切なのに練習しない)
・意を決して告白したら付き合えた→やった、これで幸せだ(もう何をしてても好きでいてくれると思い込んでいる)
…みたいな。
 ここまで極端なものでなくても、ちょっと慢心みたいなものがあって、維持することにだってエネルギーが必要なはずなのに、永久の幸せを手に入れたみたいな態度をとってしまう時があります。
 そうして、幸せな環境をなんとなくただ浴びているうちに、少しずつ維持出来ずに綻びていって、不幸だなと思う環境が戻ってきたりするのです。
 で、やっぱり私は幸せになれないのかもしれない…とか思ったりする。ひとしきり落ち込んだ後、また打破しようと頑張る。幸せな環境を手にする。頑張らなくなる。また破綻する。以下、繰り返し。

これって、
幸せじゃない時にしか頑張らないから、いつまで経っても本当に幸せになれないのでは?
と思いました。

 種に水をやって、芽が出て、ぐんぐん伸びて、お花が咲いたら終わりではないのです。当たり前のことだけど、お花が咲いても水をあげなきゃすぐに枯れてしまう。お花が長く咲き続けるためには、水が必要だと思うのです。成長のためではなく、維持のためにも。
 幸せだな〜と思う時こそ、お水をあげ忘れていないか、立ち止まって確認しなくちゃいけないなと思いました。

 実際、あの時はすごく幸せだったな〜と思い返すのは、幸せにただ胡座をかいて浸かっていた時のことではなくて、自分がすごく頑張って何かを掴んだ時のこととか、幸せな環境に身を置きながらものびのびと色んなことに挑戦してちゃんと頑張っていた時のことだったりするなぁ。

結論 : 頑張ることって、やめないほうがいいみたいです。(でも無理はせず、心の声はちゃんと聞こうね◎)

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