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世界は閉じても開いてもいいと思うのだ

自分の見えないところで起きていること
自分の周りで起きていること
自分の身に起きていること

全部、出来事と"わたし"との距離は違うのに、それによってわたしが受ける影響の大きさは全然比例していないことが多い。

遠くで起きている戦争を想って眠れない日があると思えば、反対に自分自身の病気は意外と心はへっちゃらだったりする。

"わたし"からの距離が遠いことも、近いことも、同じだけの熱で向き合うのは大変だ。"わたし"からの距離が遠いことについて考えるとき、遠くのだれかの人生も一緒に背負い込んでいる。自分ひとりの人生でさえ精一杯なのに、誰かの分まで悲しんだり喜んだりするのはとても大変なことだ。
 だから、自分で自分の世界を閉じたっていいと思う。ほんとうに自分の身に起こったことだけがわたしの人生だ、という日があったっていいと思う。遠くの国で暮らす誰かの生活に心を配ったり、周りの仲間の成功を祝福するのは、余裕のあるときだけでもいい。
 少しだけ、ひとの刺激ももらおうかな、今日は世界を広げても大丈夫だな、と思えた日だけ、他人の何かを一緒に喜べばいい。悲しさを分かち合えばいい。
それは決して冷たいわけじゃないと思うんだ、私は。
それは、唯一生まれてから死ぬまで、ずっと人生を共にする、わたし自身への愛情表現だと思う。わたしを守る術だと思う。

遠くで起きたことに心を痛めながらも、目の前の景色や香りを喜びたい。
目の前で起きたことに気を取られながらも、遠くのささやかな幸せに助けてもらいたい。

世界は閉じても、開いてもいい。
世界とわたしの距離は、わたしが決めていい。
きっと、ずっと同じじゃなくたっていいと思うのだ。

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