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経験者の話は力になる

自分のことを語るためにnoteを始めた私ですが、不登校支援の場を除くと、自分の話をほとんどしてこなかったと思います。

不登校に対する正直な思いも、活動も、身近な人にさえ話すことはありませんでした。元不登校で、不登校に関心があって、不登校といえばあの人、みたいに周囲に思われたくなかったのです。

でも今は、不登校といえばあの人。そう思ってもらえたらと思っています。


経験者の言葉に助けられた話

突然ですが、私はこれまでに2度の流産をしました。どちらも初期の流産ですが、それでも相当なショックを受けました。

1度目の妊娠の時、何度も検査してついに初めて現れてくれた縦線とエコーで見られる小さな姿は本当に嬉しくて、深く考えることなく嬉しい報告を会う人会う人にしたのですが、あっという間に残念なお知らせをすることに。

医師は「初期の流産はよくあることで、多くは受精卵の問題」と説明してくれましたが、どんな説明も励ましの言葉も、私のそばをすり抜けていったようでした。

そして、妊娠中の自分の行動をあれこれ振り返ってはだめだったところを見つけて落ち込みました。

更に、なんで早い時期に周囲に言ってしまったんだろうという後悔もありました。でも浅慮な行動のおかげで、私は救われたのです。

流産を経験した周囲の人たちが話をしてくれたことで、どう気をつけても流産してしまうことがあるということ、多くの人が流産を経験しているということが自分の中にすっと入ってきました。

流産はよくあることで、多くは受精卵の問題なのだと、100人の専門家から言われても私は受け入れられなかったと思います。膨大なデータを持っている医師の言うことだから間違いないのでしょうが、友人たちが話してくれる一つ一つの経験談の方が、私にとってはすんなり入ってきやすいもので、そのおかげで、私の心は自分の流産を受け入れることができました。

2度目の流産は、パニックになってもおかしくないような状況で起きてしまったのですが、至極冷静に対応することができました。悲しみの深さは変わらなくても、自分を責めることがなくなったことで、心への負担はかなり軽くなったと思います。

私は、経験者からの言葉に助けられました。流産って普段あまり触れることのない話題ですが、それを話し、励ましてくれた方には、心から感謝しています。

プライベートで不登校の話をするようになったのは、それより後のことで、今は、友人、知人、誰かのこの先の人生のどこかで、私の生きた道が少しは役に立つこともあるかもしれないと思っています。

悩んだときに私の存在を思い出してもらえたら。私が周囲に不登校を語るようになったのはそんな理由からです。


不登校を語れる子どもの少なさ

もう一つ、積極的に話していきたいと思った理由は、不登校を語れる子どもや経験者が私の身近にいなかったからです。

これは私の「解決」に10年もかかってしまった原因の一つだと考えています。私は不登校をひとりで乗り越えました。既に成人していた私にヒントをくれたのは、支援で関わった不登校の子どもたちです。

5年ほど前、地元で不登校などの相談に対応されている元教員の方と話していた時のことです。

「実は私、不登校だったんですよ」
「おー、そうか。不登校になった理由説明できる?」
「一言では言えないですけど、今ははっきりわかってます」
「そうか。理由がわからんという子は多いけど、君は乗り越えたね」

先生が私がそれまで思っていたことと同じようなことを言われたので、ビビっときて、今でも鮮明に、忘れられない会話です。

一つ前の記事に、私の場合の不登校の「解決」について長々と書きましたが、「理由がきちんとわかっているかどうか」。これは「学校へ戻れた」とか「進学できた」ではない本当の意味での解決へ向かうための大事なポイントであると思っています。

しかし、自分で理由がわかっている不登校は、私の体感ではたった1割ほどでした。

1割は現在の学校生活での悩みが原因となっているケースで、それが解決すれば学校に戻り、次第に以前のペースに戻ってまた前に進んでいくことができるのです。長期化することが少ないので、そもそもほとんどが不登校の定義に当てはまることがないまま終わります。

「不登校の原因となった問題が解決したようなのに行けない」「環境が変わったのに不登校を繰り返す」というパターンが圧倒的に多く、私もそうでしたが、不登校となる以前に何らかの堆積があり、そこに現在の学校生活での負担があって不登校になるというものが多いと感じます。

私も不登校だった時期には、学校の計らいで、同じく不登校である同年代達との交流もありましたが、「どうして不登校になったのか」なんて、お互いに話すこともありません。不登校になったことで自信をなくしてしまったまま停滞。私含め、ほとんどの子どもは、前に進むことができていませんでした。

一般的によく言われるように、行かない理由を問いただすことは、してはいけないと私も思います。でも、「絡まった理由をほどく手がかりが何か欲しかった」と思います。ぶっちゃけて話せないカウンセリング。「見守り」だけで、実際はほとんどひとりで過ごす毎日の連続。何者でもないまま過ぎていく10代。学校に行かない毎日をどのようなものにするのかは、とても大切なことでした。

当時子どもではあったけれど、私自身も、周りに対して何もしてあげられなかったのだと、未だに思い出すとへこんでしまいますが、それも私の原動力なのかもしれません。

不登校当時の自己評価よりも、実際に私の抱える問題は数多くありましたが、躓きが多かった私だからこそ、不登校の子どもが自分と似たところで困っていると感じればアドバイスをすることができたし、自分の経験から、子どもが持っている選択肢のメリットデメリットも伝えることができました。私の話を聞いて、確固とした希望を持ってくれた子、実際に乗り越えて前に進んでくれた子もいます。

何より「せっかくの自分の経験を無駄にしないで」と今ならちゃんと目を見て言える。
経験者の励ましの言葉が力になると気付いたからです。


次回に向けて

私の不登校を形成したもの(不登校に至るまでに絡み合っていたもの)を軽く挙げるとこんな感じでしょうか。

・持って生まれた容姿、特性、気質、体質
・家族との関わり、育てられ方、環境
・受験の色々(ストレス、進路選択、失敗)
・小学校時代のトラウマ、鬱、PTSD

一言で言えば、この4つの項目が枠をこえて複雑に絡んでいるところに、日々の学校生活で生じた悩みが加わって、行けなくなりました。

3回にわたる前置きが長くなりましたが、次回から私の不登校を形成したものについて書いていきたいと思います。

「家族との関わり」「育てられ方」は、読んでくださっている親御さんの立場からすると立ち止まってしまう言葉だろうと思うので、最後にこの部分だけ補足しておきたいと思います。

親に向けた本やSNSでのアドバイスもたくさん見かけるので気にされている方も多いのではと思いますが、少なくとも、情報を追い求めてこんなnoteにまでたどり着いてしまった親御さんが主な原因ということは、あり得ないだろうと思います。

私の場合ですが、良くない関わり方や育てられ方も無かった訳ではないですが、愛情を持って育てられました。ただ、家族の思い、関わり方や育て方が私の特性や気質とうまく噛み合っていなかったなと思う部分は結構あります。

私は、良くない関わり方については、10代の間に親から謝られました。もうそれで100%納得しています。あとは私の方でどうにかしていく問題になっています。

子育てって、親自身の育てられ方の呪縛との闘いだなと、自分が親になってみて思っているところです。

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