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萩尾望都が編集の山本氏に送った絶縁状と「メッシュ」

大泉本の中で「排他的独占領域」に関して

 何があちらの排他的独占領域に触れるかわからないので。
 なるべく同じ雑誌に描かないようにしたり、かの先生方が○○が好きだと聞いたものには近づかないようにしたりしました。

と書かれているのですが、竹宮さんと「同じ雑誌に描かない」ってどういうこと?と長い間疑問でした

というのも「プチフラワー」でも「ASUKA」でも、萩尾さんと竹宮さんは同時期に描いてるし、「ASUKA」なんて創刊号の表紙に、二人の名前が並んで載っているんですよ?

で、萩尾さんの何を言ってるんだか意味がわからない記述は、大抵、「言い訳」もしくは「他者への批判」である場合が多いのですが、これはどうやら「言い訳」のほうで、山本氏が初代編集長となって創刊した「ビッグコミックフォアレディ」に萩尾さんがマンガを描かなかったことについて語ってると思われます

というのは、「<わたし>を生きる――女たちの肖像」(島崎今日子)という本が紀伊国屋書店から出ているのですが、萩尾さんのインタビューも入っていて、その中にこんな記述があるんです

その頃、こういうテーマで描けばいいと助言してくれる人もいた。けれど、萩尾は、漫画の世界だけは誰にも支配されたくなかった。後に山本が新雑誌を創刊したとき、萩尾に対して強引に執筆を迫ったことがある。萩尾は絶縁状を寄こした。山本は「編集者の驕りを諫められました」と振り返る

で、山本氏が編集長として創刊した「ビッグコミックフォアレディ」には竹宮さんの「私を月まで連れてって」が創刊時から載っているのです

つまり、萩尾さんは山本氏から「フォアレディ」に漫画を描くことを依頼されたけれど、竹宮さんと同じ雑誌に描くのは「排他的独占領域」に反するという理由で断ったのだと、大泉本で匂わせているのだと思われます

正直、今まで、萩尾さんが「排他的独占領域」に反しないよう、本気で行動を変えることなんてあったんだろうか?と疑問に思っていたのですが、これは(私の知る)初めての適用例なのかもしれません

しかし、竹宮さんと同じ雑誌には描けません!なんてことが、萩尾さんにとって大恩人の山本氏の依頼を断る理由になるというのも、腑に落ちませんし、絶縁状の件が不可解です

山本氏への絶縁状に関しては、5ちゃんねる大泉スレ初期から話題になっていました。実は私は、山本氏が創刊した雑誌というのは「プチフラワー」のことだと思っていて、山本氏は「プチフラワー」に「メッシュ」を載せたくなくて、率直にそのことを萩尾さんに伝え、萩尾さんの怒りを買い、絶縁状が送られたのではないかと考えていました。
しかし、山本氏はプチフラワー創刊時の編集長ではなかったので、この説は誤りでしょう

ただ、私がなぜそう推測したのかというと、「メッシュ」みたいな作品は、萩尾さんに最も不向きなマンガだと思うからです

おそらく萩尾フィルターを通すからなのでしょうが、登場人物のほとんどに共感を覚えないんですよ。とくに主人公メッシュ!
キャラが「薄い」だけならまだしも、どこか歪んでる……

佐藤史生さんが「ペーパームーン・少女漫画千一夜」(新書館)で「モーさまはユニークな考え方をする人だから、あたりまえのことを見てもユニークに見ちゃうという特技を持っている(笑)……。」と語っているのですが、こういうタイプの人には、普遍的な人間感情についての理解を必要とする、人間主体の漫画は厳しいので、物語や雰囲気主体のマンガを描く方が向いていると思うのです。ただ、萩尾さんは物語のストーリーも弱いんですよね

「メッシュ」のストーリーの柱になっている父親に対する憎悪も、あれではテーマを回収したとはとても言えません。メッシュが父親のただ一人の実子だからって一体なんだっていうのでしょう?そんなんで何か描いているつもりになれるのが信じられないし、そもそも、なんでそこまで父親を殺したかったのかも、はっきりしないというか、どうしてその程度で殺したいと思えるのかさっぱり理解できないんです

ここは当時の萩尾さんの実父への感情が込められているらしく、だから萩尾さん自身はあの描写で十分満足なのでしょうが、マンガとしては客観性がなさすぎです。商業誌に載せるマンガは萩尾さんのための認知行動療法ではないのですから

実際、「メッシュ」は漫画専門誌「ぱふ」のベストテンで

1981年 長編5位
1982年 長編8位
1983年 不明(10位以内に入ってない)
1984年 長編70位

となっていて、年々、順位が下がっていくのがわかります。一方、同じ時期の山岸凉子さんの「日出処の天子」は1981年から1984年にかけて、1位→1位→2位→3位と、順位をほとんど落としていません

当時の「ぱふ」読者にはかなり多くの萩尾ファンが存在したことを考えると、「メッシュ」が萩尾ファンからも期待外れだったことが伺えます

そういうわけで、私はやっぱり、「フォアレディ」にマンガを描かなかったのは「排他的独占領域」だけが理由でなく「メッシュ」について、山本氏から何か言われたんじゃないか、「排他的独占領域」云々なんて大泉本でわざと書いているだけで、「フォアレディ」に描かなかった一番の理由は、「メッシュ」を批判されたことにあると思ってしまうのです

時系列でみると

1980年 「プチフラワー」創刊 夏の号から「メッシュ」連載開始
1981年 「ビッグコミックフォアレディ」創刊

ということで、「フォアレディ」が創刊されたのは、「メッシュ」連載が始まった翌年なんですよ

それで、山本氏は当時連載中の「メッシュ」について、率直に、批判点を萩尾さんに語り、同時に、萩尾さんにはこういったテーマは向いてないから別のテーマで「フォアレディ」に描いてほしいと頼んだんじゃないかと思います。

このことが

その頃、こういうテーマで描けばいいと助言してくれる人もいた。けれど、萩尾は、漫画の世界だけは誰にも支配されたくなかった。

であり、絶縁状を受け取った山本氏にとっては

山本は「編集者の驕りを諫められました」と振り返る

であったのかな、と思います。単に「フォアレディ」に「強引に執筆を迫った」という話だったら、「絶縁状」を書くこともなかっただろうし、「編集者の驕り」という表現にまでは至らないでしょうから

萩尾さんは自分自身あるいは自分の描いたマンガを否定されることが、一番の「地雷」だと思うのですが、山本氏はそれを踏み抜いてしまったのでしょう

今回、話を単純化するために「メッシュ」のみを取り上げましたが、べつに「メッシュ」である必要はなく、山本氏が「ゴールデンライラック」等の他作品を批判した可能性もあるでしょうし、あるいは萩尾さんに対して、はっきり「お前にはこのようなテーマは無理だから、こういうテーマにしなきゃだめだ」と語った可能性もあるでしょう。
萩尾さんは、描けるマンガの範囲が実はかなり狭い人だと思うので、山本氏がその点を指摘するとしたら、編集者としては当然だと思うのですが……

いずれにせよ、城さんいわく「ただの1コマの疑問でも、自分のマンガを100%否定されたんだと受け取りかねない人だった」萩尾さんにとって、絶縁状を渡すのに十分な理由だったのだろうと思います

「漫画の世界だけは誰にも支配されたくなかった」という萩尾さんは、おそらく山本氏へ絶縁状を出したこと自体は後悔してないと思います。山本氏ですら何も言えなくなったとしたら、以後、誰も萩尾さんにマンガの中身について口出しできなくなったでしょうから、さぞ仕事がやりやすくなったことでしょう

ただ、山本氏が創刊した「フォアレディ」にマンガを載せなかったことは、萩尾さんも疚しかったのでしょう。山本氏あっての萩尾望都と言えるくらい、山本氏には恩を受けていますから

それで、大泉本には、「排他的独占領域」を理由として、竹宮さんとは「なるべく同じ雑誌に描かないようにしたり」と書いたのだと思います
とても萩尾さんらしい言い訳ですね

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