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萩尾望都が漫画に書いたメッセージその2~ケーキケーキケーキ

萩尾さんがローマ字等で自分のマンガにメッセージを書いているという話は以前も書きましたが、5ちゃんねるの萩尾望都スレの過去ログに新しいものを発見しました

497 名前:花と名無しさん[] 投稿日:01/12/17(月) 02:05
「ケーキケーキケーキ」は原作つきです。
コマのいたるところにローマ字で
くだらんはなしくだらんはなし・・・
と書いてあるのがすごくいや。書くなよ・・・
掲載誌も原作つき華やかなりし頃の「なかよし」だし、
編集主導の作品だったのかもね。

萩尾望都(4)
https://comic.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/1004442612/497

「ケーキケーキケーキ」(1970年)の原作者は一ノ木アヤさんという方だそうで、原作者名を探したのですが、白泉社文庫版では、見開きでタイトルの書かれたページの左下に小さく「一ノ木アヤ」と書いてあるだけ、それ以外はどこにも見当たりませんでした。これ、普通に読んでいて原作者の存在に気づく人っているんですかね?
で、このマンガですが、あちこちにローマ字やひらがなでメッセージが書いてあって「くだらん話」関連のメッセージは全部で3つありました

つまらんはなしだ つまらんはなしだ きいてあきれる きかなきゃあきれぬ つまらんはなしだ かわいそうに!

銀座より 渋谷なほうがいい くだらん話だ

和光っぽいビルが描かれているので、マンガに描かれたのは銀座ですが、萩尾さん本人は渋谷を描きたかったということなのでしょうか?意味がわかりません。渋谷に「ケーキ店」というのもあまり似合わないと思うのですが……

くだらんはなし くだらんはなし くだらんはなし~~~!!!

以上の三か所ですが、どのシーンも「くだらん」や「つまらん」を入れる必然性を感じません。とくに、三番目のシーンは、フランスから日本に来たケーキ職人アルベールが、銀座で出された店のケーキに対して、こんな菓子はフランス菓子ではないと抗議するシーンで、この物語全体に関わる「肝」と言える主張です。それなのに、彼のふきだしの中に「くだらんはなし くだらんはなし くだらんはなし~~~!!!」などと書くことはローマ字とはいえ、「ケーキケーキケーキ」原作を侮辱しているのか?と捉えられてもしかたない行為でしょう

それに「ケーキケーキケーキ」は決して「くだらん」話などではありません。少女がケーキ作りのためフランスに渡って、自分の力で努力しながらケーキ作りに打ち込む話です。恋愛色も皆無、都合のいい男性が現れて助けてくれるわけでもありません。萩尾さんの描いた「毛糸玉にじゃれないで」のように、結婚してお母さんのようになるのが夢だから、無理していい大学に行くより、いろんなことをやりたい、と言って中三の受験直前の冬に、好きになった男のためにマフラーを編み、その男と同じ二流高校(←主人公がそう語る)を受験するような、不快さもありません

余談ですが、確認のために「毛糸玉にじゃれないで」を読み返したところ、ここにもローマ字でメッセージがありました

KONO KONO KONO KONO MINNA SINE !!

「この この この この みんな しね !!」と読めますが、なぜこんなことを自分のマンガ原稿に書けるのでしょう?自分のマンガは「我が子」じゃなかったのでしょうか? ちなみに、この作品は1972年「週刊少女コミック」2号に掲載されているので、下井草の件の一年前ほどになります

話は戻りますが、確かにこの「ケーキケーキケーキ」は萩尾さんらしさがありません。テーマがはっきりして、筋道もしっかりしていて、ラストに向けて無駄なくわかりやすく話が動いていきます。そんな点が萩尾さんの「好み」ではなかったのかもしれません。でも、だからって、「くだらん」だの「つまらん」だの、読者が不快に思うようなことを書いて何がしたかったのでしょう?原作者にも非常に失礼ではないでしょうか?「ケーキケーキケーキ」は独立した小説ではなく、少女マンガ用に書かれた原作のようですから、完成されたマンガは漫画家と原作者二人の共同作品と言えるでしょう。決して萩尾さんが感情に任せて一人好き勝手に落書きしていいものではないはずです

「ケーキケーキケーキ」には他にも、メッセージが書かれていて

ここには以前も紹介した「竹宮、原田、増山、伊東、平田 少女マンガはこれでいいのか NO! やらねばならないことがあるはず それは?……」と書かれています

ここには「心の扉が“感動”で開かれているところ こんなとこまで“説明”させる気なの?」と書かれていて、当時の「なかよし」編集者への強い憤りが感じられます。でも、このマンガを描いた時点ではまだデビューしてから一年ですよ?こんな扱いにくいマンガ家だったら、干されて当然だったでしょう

「ケーキケーキケーキ」の後に、「なかよし」で萩尾さんが描いたのは「ジェニファの恋のお相手は」と「かたっぽのふるぐつ」の二作品だけで、そこには不快なローマ字の主張などは一切見当たりませんでしたから、おそらく、萩尾さんは「なかよし」編集部から厳重注意を受けたと思われます。このあたりは推測でしかないのですが、萩尾さんが「なかよし」(講談社)を離れる一因となっているのかもしれません

他にもこのマンガには、いくつかローマ字やひらがなでメッセージが書かれているのですが、「ウッドストックの若者は 今何をすればいいのか これからの世界の明日をみつめたとき」とローマ字で書いてあって、これは1969年の「ウッドスティック・フェスティバル」のことを言っているのでしょう。wikiによると、「ウッドストックには愛と平和、反戦を主張するヒッピーや若者ら約40万人が集った。」そうです。萩尾さんがこういうことに興味があるとはとても意外でした。
他には、「ちゃ~り~ブラウンだいすき」や「イエローサブマリン おもしろかった! ほんと!」などが書かれていて、「ケーキケーキケーキ」以外の他作品への愛は高らかにうたうのだな……と

しかし、萩尾さんという人は、心に溜まっているものを、世間に公表しないと気が済まない人なんだなというのがよくわかります。自分の日記にこっそり愚痴を書くというレベルでは足りないのでしょう。出来る限り多くの人に見せなければ、萩尾さんの心はスッキリ晴れないのでしょうね

他人を見ず、自分しか見えてない萩尾さんが、なぜそこまで、他人に自分の気持ちを訴えずにはいられないのか、実のところ不思議でしかたないのですが、城さんが大泉本執筆を勧めたのはきっとそういうことなのでしょう。城さんに対して、なんでそんな余計なことを提案したのだろう?と思った方は多いと思うのですが、城さんはこういった萩尾さんの性格を熟知していたから、新ポーの一族に影響が出るよりはということで、大泉本出版は苦渋の選択だったのでしょう

(追記)
1970年「なかよし」9・10月号別冊付録として「ケーキケーキケーキ」を描いた後(描き終わったのが1970年7月31日)、萩尾さんが次に描いたのは、「ポーチで少女が小犬と」で、これは「なかよし」ではなく、「COM」1971年1月号ですが、「ケーキケーキケーキ」の件を踏まえて「ポーチで少女が小犬と」の内容を考えると、いろいろ意味深な漫画だな~と感じました

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