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原因をつくって結果を出した事例/下野新聞1面のコラム

著書『まずは小さくはじめてみる』が12/13に出版されました。
その約3週間後の2023年1月10日。
ふるさと栃木県の下野新聞・1面にて、著書と私の活動が、画像のように紹介されました。
掲載は「雷鳴抄」というコラム欄。
朝日新聞では天声人語にあたる場所です。
ちなみに下野新聞は、栃木県内で50%以上を誇るトップシェアの新聞となります。
 
私は、物事には「原因があって結果がある」と考えています。
そのため、結果が欲しければ、その原因をつくること。
果実を得るための種をまくこと。
それを常に心がけています。
この新聞掲載。たまたま記事になったわけではありません。
これまでの小さな積み重ねの成果だと思っています。
 
そのプロセスといいますか、原因となったものたちを、丁寧に紐解いていきたいと思います。
結果を生み出す原因づくり。
そのイメージを持っていただくためのヒントになれば幸いです。
 
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2023年1月10日(火)。
下野新聞の1面「雷鳴抄」で、著書と私の活動が紹介されました。
WEB版でも紹介。
 
2023年1月5日。
下野新聞の記者さんから電話で追加取材を受けました。
原稿作成のため、細かいことをいくつか確認したいとのお話でした。
※この時点で、近日中に記事になることがほぼ確定。
 
2022年12月27日。
メールで、記者さんに年末のご挨拶。
本の発売後、著書が読者から好評だとの一文もつけ加えました。
読者からの感想コメントを丁寧に記録していたことが役立ちました。
 
2022年12月23日。
この日はラジオ番組にゲスト出演のため、栃木県宇都宮市へ。
せっかくなので、下野新聞社で窓口となっていただいた記者さんにご挨拶をしたいと考えました。
記者のお名前はMさん。過去にいただいたメールから電話番号を調べ、突然のお電話。
失礼とは承知の上で、「当たって砕けろ」的な行動でした。
ありがたいことに電話でM記者さんとお話ができ、その日の昼過ぎにお会いすることができました。
そしてインタビューを行っていただくことができました。
M記者さんと対面でお会いするのは、これがはじめて。
インタビューの中で、私のこれまでの栃木県関連の活動に関心をもっていただきました。
 
2022年12月上旬。
下野新聞社のM記者さんに、著書『まずは小さくはじめてみる』を献本させていただきました。
本が届いた後、Mさんから「本が届きました」とのメールをいただきました。
その返信メールに、試し読みしてくれた読者からの感想コメントを添付ました。
 
2022年11月中旬。
著書の献本リストを出版社さんに提出。
その中に、下野新聞社のM記者さんの名前を入れました。
 
2022年11月上旬。
本の出版社から「献本リストを出してください」と依頼されます。
その時、ふるさとのトップシェア新聞・下野新聞に著書の献本ができないかと考えます。
目的は、紙面で著書などの紹介をいただくためです。
実は2017年に、下野新聞で全6回の連載を持たせていただいたことがあり、その縁を頼ることにしました。
思い切って新聞社に電話をします。
しかし当時の担当記者は、本社から地方の支社に異動。
電話に出た方に、「過去に連載を持っていた」ことを伝えると、関心を持っていただきました。そして「著書は私に送ってください」とご返事をいただきました。
新たなご縁がつながった瞬間です。それがM記者さんになります。
この小さな種まきが、1月10日の新聞掲載につながることになったと考えています。
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さて、この種まきの「前の実績」も、今回の掲載に影響を与えていたように感じます。
では具体的にどんなことを行っていたのか。かなり時間を遡ってのお話になりますが、参考としてご紹介いたします。

2017年2月~7月。
下野新聞の「日曜論壇」というコーナーに、月イチで全6回の連載を持たせていただきました。
主に、東京で行っていた出身者を集めての活動などを紹介する内容でした。
日曜論壇で連載を持つのは、主に県内在住者。そのため出身者である私が連載を持つことは、当時としては異例のことだったらしいです。
 
2016年11月ごろ。
栃木県のブランド向上会議が開催されました。
委員の1人である私は、会議の中で、「県のブランドのあり方」について熱いプレゼンを行いました。
何ページにもわたるプレゼン資料をつくり、それを参加者に配りながらのプレゼンでした。
委員の中でそんなことを行うのは、私だけでした。会議は基本的に、事務的に淡々と進むことが多かったのです。私はそれが嫌でした。
会議の後、下野新聞の論説委員さんから「大木さん、あなた面白いわね。良かったら、下野新聞で連載を持ってみない?」と言われました。
新聞で連載を持つなんて、はじめての経験でした。怖さもありました。しかし、せっかくの貴重な機会です。お受けすることにしました。(原稿執筆は、かなり苦労しました)
 
2016年夏ごろ。
栃木県庁から、栃木県ブランド向上会議の委員に任命されました。
東京で行っていた「出身者を集めての活動」が評価されての任命でした。
少し前に栃木県知事から、「とちぎ未来大使」を委譲されたことも影響していました。
 
2014年~2016年ごろ。
東京で、栃木県出身者を集めての交流イベントを企画し、開催しました。
自ら発起人となり、チームをつくっての開催でした。
今で言う「交流人口づくり」の先駆けのような動きでした。
トークイベントや食事会、飲み会などを10回程度開催。
多くの仲間ができました。
https://www.facebook.com/tochigiday/
 
2014年3月ごろ。
栃木県庁で、UIターンをテーマにした勉強会を企画し、開催。
ゲストは、山形県でUIターン者のコミュニティを作っていたTさん。
当時はUIターンをつくる動きは県内になく、実験的な勉強会でした。
この勉強会が、東京での出身者コミュニティづくりのきっかけになりました。
  
2011年12月~2012年12月ごろ。
東京にて、「都市と地域の人をつなぐ」をテーマにしたプロジェクトを発足しました。
名前は「里都(さと)プロジェクト」。
首都圏在住者と地方のコミュニティリーダーをつなぐことを目的としたトークイベントやツアーを開催。
イベントやセミナー開催の経験を少しずつ蓄積することができました。
https://www.satopro.jp/
 
2011年6月。
岩手県陸前高田市に訪問。
東日本大震災で甚大な被害を被った地域。
あまりの衝撃に、価値観に大きな影響を受けました。
これが私の「活動の原点」となりました。 
 
以上のような実績も、下野新聞社のM記者さんに関心を持っていただけたように思います。

これらの振り返りを通し、あらためて思います。
待っているだけでは、成果は生まれない。
原因をつくる動きなしでは、結果は生まれない。
だから、まずはとにかく動いてみる。
小さくてよいから種をまいてみる。
コツコツを動き続けていれば、それがいつか大きな成果となっていく。
それをあたらめて確認できたような、今回の朝刊1面での記事掲載でした。
ご参考まで。

ちなみに、2023年1月15日(日)には、下野新聞紙面にて、下の情報の掲載もいただきました。
ご担当いただいた記者さまには、心からの御礼を申し上げます。
ありがとうございました!


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