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サラリーマン検定の弊害、

こんにちは。私が私のために綴ったTwitterのほんの一言を振り返って思いを馳せていくことをしています。サラリーマン諸君がぶち当たるだろうセンチメンタルについてです。

感性や美意識の中でも育ったつもりだったけど、いつの間にかそうでなくなっている。なーむー

今の時代、論理的思考というのはサラリーマン界では常識となった。常識どころかこれができないサラリーマンは上司からサラリーマン検定落大の烙印を押されることとなる。できて当たり前のものなのである。書く文章についても相手に分かりやすく簡潔に、主語述語を意識して、時系列にも気をつけて、サラリーマン用語を大量に使って、それっぽく書くことが求められるのだ。
ところが今そんなサラリーマンが溢れかえって、世の中全員が同じ回答を出すようになってしまったらしい。論理的思考とはそういうものだ。算数のように正解があるものだから。
ただ、世間でその正解を求めているかというと、そこまで人間は単純にはできていない。正しい倫理感や直感的に惹かれるもの、それこそが実は求められているものだったりするらしい。それを美意識と言う。そんな本を読んだのだ。
そこで私は思った。どちらかと言えば、感覚で生きてきた私なのに、サラリーマン検定に明け暮れて論理的思考を身につけたのか、いつの間にかすげーつまんない大人になってないか?いつの間に感情に蓋をすることを優先してないか?それが大人だと思い込んでない?
昔は自分の感じたことや思ったことを文章にすることなど、いくらでもできた。今は実はあまり得意ではない。例えば通販サイトで買ったものにレビューをしようとすると、サラリーマン文章特有のお堅い自分の感情などどこにもない誰も求めていないレビューしか書けない(それを書くのも結構時間がかかる)
恐らくこれは所謂「大人になった」ということなんだろう。でもでも、大人になんかなりたくなかったのにね。労災認定されるかな?

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