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子どもがいなくても幸せになれてしまうかもしれないということについて

近所に弟の家が建った。厳密に言うと弟夫婦の家だけど、私にとって、より身近なのが弟なのでそういう書き出しにしておく。私には弟が二人いる。家を建てたのは真ん中の弟だ。彼は小さい頃から赤ちゃんが好きで、5つ歳の離れた末の弟が生まれた時は、彼のことを溺愛していた。それはもう頬いっぱいにキスマークができて赤ちゃんとは思えない肌荒れを常時引き起こすレベルだった。私は引いていた。義理の妹も子どもが好きなようで、子どもの話をしていると一層柔らかい眼差しになる。なので、実家で両親と弟夫婦と食卓を囲むと当たり前のように「いつか子どもができたら」という話になる。その明るさ正しさに今日のような日は気が遠くなる。

羨ましいからじゃない。むしろ、羨ましいから、というわかりやすい悩みがあれば、もう少し話は簡単だ。わざわざ自ら言葉を捻り出さなくともネットでワード検索すれば、どこかに私の気持ちが書いてある。改めて、子ども全然欲しくないなあ気の合わない人と住みたくない結婚したくないな面倒だなそれよりもっと自分には夢中になれることがあるんじゃないかな別に労働が好きなわけでもないけど というようなことが頭を駆け巡ってしまい、しかしそんなことを口に出したら幸福な食卓に水を差すことがわかっているので黙って半笑いを浮かべておくしかないこと に、とてつもない苦痛を感じているのだ。

「子どもいらない」と言うと残酷だと思われてしまう気がする。なので「子どもは可愛いよね」という意見に留めておく。ギリギリ嘘じゃないからだ。町で子どもを見かけると可愛いと思うしできるだけ優しくしたいと思う。でもなんでみんな「いつか(自分の産んだ)子どもが欲しい」と恐れずに口に出せるんだろう。子どもが欲しいって、子どもを産むってことだし、その人を育てるってことじゃん。怖い。憚られる。計画しなくてはならない範囲が長期的すぎて眩暈がする。歳を重ねれば生殖本能が刺激されて渇望するようになるかと思ったのに全然思わない。あと彼氏がいた時は相手に「子ども欲しい」と言われるといやお前が産むわけじゃないんだからもっと言い方があるだろと腹を立てていた。こんな人は世の中にはあまりいないらしい。

好きになった人のことは大切にしたい。でも信頼してない。あなたが、私の大事なものを見抜いて、私を私のまま損なうことなく尊重できるとは思えない。それができないなら私にはあなたの存在が負担だ。それでもいいと思える期間だけ恋愛をしている。でもそのうち必ず、天秤が傾いていることに耐えられなくなる。私とあなたは違う。その違いにできれば合わせたい。でもすごくストレスだ。一人でいると退屈なのに。一人になれないと生きていけない。同じベッドにいる人に何も言わずに外に出て吸った夜の空気がこの世で一番おいしい。

子どもができたら可愛いだろう。私は私なりに大切にするだろう。でも私は一人で幸せになれてしまうかもしれない。そのことを今この時、誰も信じてくれない気がする。私が一人でいることが、私の好きな人にとって一番誠実なことであると思う。家族はきっと信じてくれない。80%の親切と20%の憐れみで「そんなことないよ」と言うだろう。私は今、一人で、仕事もあって、一緒に暮らしたい人はいないけど地獄のように苦しんではいない。ただ、私は私の家族が結婚して家を建て幸せそうに笑っていることは偽りなく嬉しい。彼らが幸せそうだから祝福したいのだ。それを洞窟の絵を見るように眺めている。


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