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遠い地の名前も思い出せない少年。

7年前の話。

「僕の将来の夢は警察官。いなくなったお母さんを探すんだ。」

スタディツアーに参加した僕はカンボジアの孤児院を訪れた。そこで出会った少年が発した言葉。

カンボジアといえば成長途中の国。歴史をたどると大きな事件があり、その影響が現在にも残っている国。教育環境や働き口がまだまだ整っていない国。観光していると現地の子どもたちが集まってくる国。生まれてきた赤ちゃんのみんながみんな元気に育つことが保証されていない国。

そんな国でたった2日間しか滞在していない孤児院で名前も思い出せないそんな少年の言葉を今もずっと覚えている。


僕が記念すべき初海外にカンボジアを選んだ理由は特にない。ほんとたまたま。大学3年の夏頃にたまたまWebで見つけた少年の写真が気になって開いてみたらスタディツアーのページだった。それだけの理由。当時は友人が続々と研究室に篭り始め、僕は傷心を理由に授業もろくに行かないでバイトとパチンコの日々だったから、なんか面白いことをしてみたくなった。ただそれだけ。今思うとサークル内でお付き合いしたのは失敗だった。毎日夜中まで行っていたアコギサークルもそれ以来は全く行けなくなった。大学3年でサークル無所属で授業も行かないとなると大学生なんてほんと暇なのです。


カンボジアは良い場所だった。そして孤児院で子どもたちと遊んだ2日間は最高だった。縄跳びがこんなに楽しいことも。サッカーがこんなに楽しいことも。たくさん教わった。そして言葉を交わさなくても「遊び」さえ知っていれば子どもと仲良くなれることを教わった。

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2日目の最後のお別れ会で子どもたちが将来の夢を話してくれた。先生はそれを通訳して僕たちに教えてくれた。みんなまっすぐで素敵な夢だった。孤児院がどういう場所かは僕らは知っている。ただそこで生活している子どもたちはそれが日常であって、それを意識はしていない。そもそも意識する必要もない。他の子どもたち、日本の子どもたちと同様に真っ直ぐな夢を持って、期待する権利がある。ただ、この子たちは大学に行けるのか。ましてや中学校や高校に行けるのか。そんなことを考えてしまった。

夢もなく、大学に行っているのにただ生きている僕。

真っ直ぐな夢があるのに、学校に行けないかもしれない子どもたち。

過去を振り返って人生のターニングポイントはと聞かれたら僕はこの瞬間を答える。turning point「方向転換した瞬間」まさしくこの瞬間。子どもたちの話を聞いている最中にふと考えちゃったこの瞬間。

「僕の将来の夢は警察官。いなくなったお母さんを探すんだ。」

と少年が言った瞬間。みんなが平和で平等な世界にしたいと思ったのよ。何もしていなかった廃人が。

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その後の大学生活は少しばかり活力が出て色々な世界を見てみたいと思った。タイの山岳少数民族の村を訪問してホームステイしたり、ベトナムの子どもを支援して会いに行ったり、そのついでにベトナム縦断してみたり、地域のNPOで1年間インターンしてみたり、JICA訓練所のイベントに行きまくって隊員だった人たちと交流したり、世界が平和になるために自分に何ができるのかを模索した。

今は小さなITベンチャー企業で5年目のサラリーマン。世界平和なんて語れるほどの力は何一つないけど、僕が住む小さな世界の中で平和な世界作りに奮闘している。「若い子たちが臆せずチャレンジできる場」「頑張る人が消費されない場」そんな平和を作りたい。

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恐らくカンボジアのあの少年は今は高校生くらいの年齢になっているのだと思う。高校生だったら社会の色々なことを知り始める年頃だ。今どこで何をしているかはわからないのだけれども、どこで何をしていても、あの時の少年の言葉が僕のターニングポイントになったことに変わりはなくて、僕はこの先もその言葉に救われて生きていく。

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