最近のこと

もうすぐ95になる祖母がいる。
同じ町内に家があり、すぐに会いに行ける距離にいるのに
ここ数年で祖母に会ったのは両手で数える程度である。
会わない方がいいのではないかと思ってしまう。
ずっと凛として強く、一人で暮らしていた祖母が明らかに老いて弱ったからだ。
教師をしていて「先生」と呼ばれていた人であり、夫を早くに亡くしてからはとにかく稼がなければと男の人と同じように撚糸工場で力仕事と事務仕事を82歳まで続けた人。愛猫家でずっと猫と共に一人で生活を続けてきた女性である。
こつこつと地道に、つつましく暮らすことがとても上手い。
祖母はとても強く、健康で快活。いつも笑っていた記憶しか私にはない。
心配だからといって、私が何度も会いに行くことに気が引ける。
弱った姿を人に見られたくないのではないか。そう勝手に想像もするし、自分の祖母像みたいなものを壊したくない、近くで見るのが怖いというのが正直な気持ちかもしれない。

4年前、まだ世の中に「コロナ」というものがなかった頃、祖母は腰を悪くし、身の回りの事を自分自身ですることが難しくなった。
一人娘である私の母がその日から毎日、朝と晩、通いで食事を届ける日々が始まった。その日から一日も欠かすことなく。
その日がくるまで、私もよく幼い娘たちを連れて「大きいばあちゃん」に会いに行っていた。大きいばあちゃんの家はほの暗く、少し怖いけれど、猫もいて、お菓子もたくさんあって、娘たちも楽しそうだった。祖母はひ孫がいつ来てもいいように、裏が真っ白な広告紙や、めくったカレンダーを取っておいてくれた。祖母が昔から使っている筆入れから小刀で削られた短い鉛筆を取り出して、お絵かきを楽しんだ。

「外に出歩いて転ぶと危ないから」
「買い物も代わりにしてくるから」
祖母を心配に思う気持ちが、出来ることをひとつ、ひとつ取り上げてしまったかもしれない。
祖母は外に出る頻度が減ったせいか、また一気に老いた。
物忘れも激しくなっていった。
でも母が作る食事のおかげで、とても健康ではあった。
母だけが毎日の祖母を知っている。
母と娘、一対一。それはただ微笑ましいだけでなく、お互いを恨みあうような言葉が飛び交う日々だったと、母からよく聞いた。
憎まれ口を叩かれながらも「この家にできるかぎり居たい」と言う祖母の望みをいつでも尊重し続けた。

それがまたある日突然に継続できなくなる事態となった。
昨年の暮れに祖母が急に歩くことが出来なくなってしまった。
立ち上がれるが、足が出ない。
母はまだ仕事もしているので、四六時中祖母のそばにいることもできない。
もう通いでの介護は限界だった。
ずっと祖母を見守り、相談に乗ってもらっていたケアマネージャーの方に相談をした。
ここを離れて母と父と一緒に私の実家で生活する。
ここを離れて介護型老人ホームを探し、生活する。
祖母は後者を選択した。
色々なことを考慮して空きがあり、評判が良い、条件に見合う施設を探すのを手伝ってくださったケアマネージャーさん。
あまり時間が空くことなく、祖母が生活するホームが見つかった。
世間的に見たら幸運なことかもしれないし、この先どうしたらいいか頭を抱えていた母にとっても安堵することだったのかもしれない。
でもあまりに急でバタバタとしていたので、しっかり考えたかと言われると、きっと誰も自信はなく、本当にこれでよかったのだろうか。とすっきりしない気持ちもあったようだ。
今の家から車で30分ほどかかるホーム。
仕事の合間を縫っての引っ越し準備は慌ただしく、持ち物リストを見ながら買い揃え、書類なども沢山書く。
私と同じような気持ちでこれまであまり介護に関わってこなかった父もこの引っ越しは一緒にやり、祖母の車いすを押した。


今は新しい建売住宅に囲まれてしまった小さな家。
この祖母の家が建ったのはいつなのだろう。祖父と結婚した時か。
それさえも私は知らない。昭和20年台なのだろうか。
とてもコンパクトな平屋建て。南向きに縁側があって庭が一望できる。
祖母の家を訪れる人は皆「気持ちの良い家だね」と言っていた。
私も大好きだ。いい思い出がたくさんある。
60年70年、ずっと灯りが灯っていたのに、真っ暗になってしまった。
そんなことを思うと涙が溢れてしまう。
母はきっと私や父の知らないところで何度も泣いたんじゃないか。
祖母は悲しんでないだろうか。そういう気持ちは忘れていない気がする。
こんな風に物思いにふけっていられるのも、私が当事者でないからで、母も祖母もこんな感傷的にはなっていないのかもしれない。

母は祖母がホームに移ってから、表情が浮かない。
毎日献立を考え、食事の用意をする必要がなくなり、楽になったのに、母の表情や声は、すっきりとしていなかった。

実はあの家にはまだ老猫が一匹暮らしている。

母は祖母の家を掃除はするが、そのままにしてある。
猫が祖母のベッドで寝られるように。
猫もある日を境に祖母が居なくなったことに気づいている。
変わらない毎日を送れるように、そのままにしてある。
今も以前と変わらず1日に2回、祖母の家に行き、猫をブラッシングをして、ご飯をあげる。
そうすることが、猫の存在が、母に安定をもたらしているのかもしれない。
最近、私も母について一緒に祖母の家に行くようになった。
都合の良いもので、祖母がいないから行ってもいいような気になったのだ。
家主は不在でも、その家は温かく、まだ家だ。と感じる。
母がそうしているのだ。
この先どんどん歳月が経つと、どう変化するかは分からないが。
母は猫をパシャパシャとスマホで撮影している。
ホームに行って、「猫、元気だよ」と祖母に見せるのだそうだ。「このお菓子、おばあちゃん好きだから」とチョコのお菓子を持って、毎週ホームに会いに行っている。

祖母がホームに生活を移して1か月が過ぎた。
だいぶ顔色もよくなり、ヘルパーさんによくしてもらい、元気を取り戻したようだ。歳をとっても順応していく祖母はすごい。
母の表情もだいぶ柔らかくなってきた。
私も祖母に会いに行こうと思っている。

何もしていない孫の私が勝手に申し訳なさを感じていることも
情けない。
そんな私にもきっと祖母は笑顔で接してくれるんだろうな。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?