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【小学3年生】暴力で教室を掌握していた教師との半年戦争

昔は先生が生徒を殴っていてもそれが当たり前だった、という話をよく耳にしますが、私もよく悪いことをして殴られてました。
ただ、殴る先生というのは、生徒が悪いことをしたから殴るという理由がありましたし、親に「殴られた」と言っても「あんたが悪いことしたからでしょ!」と逆に怒られグウの音も出ないというのが昔だったと思います。

先生が生徒殴るという行為について、ここで賛否を取り上げるのは控えますが、今回のお話は私が小学3年生のとき、悪いことをして殴るのではなく、自分の機嫌が悪くなることで生徒を殴りまくり、教室を暴力で掌握していた先生と、私と母が戦い続けた半年間について書きたいと思います。


小学3年生の2学期に、私は親が家を建てたことをきっかけに学校を転校しました。
新しいクラスの担任は、まさに顔がゴリラな30歳くらいの男性教師。
もうもう、ひと目見て、顔から「短気」っていうのが溢れ出している先生でした。

この先生、普通のときは「熱血漢だけど生徒想いの優しい先生」を演じていて、転校当初、「いい先生だな~」という印象を持ったことを覚えています。
休み時間は生徒と鬼ごっこをしたり、生徒も先生に物凄く懐いている様子で、転校して2週間位は新しい学校でも楽しい毎日を過ごしていました。


しかし、この先生の本当の姿を見たのが転校してから2週間後くらいでしょうか・・・


確か、算数の時間だったと思うのですが、ある計算式を黒板に書いて「分かる人!手あげて!」と先生の声に、生徒たちは問題が難しくて誰も分からないということがありました。

先生が「じゃあ、〇〇!答えてみろ!」と何人かの生徒を名指しで当てていくけど、誰も答えられない。

だんだん、生徒たちの顔が暗くなり、教室全体も重苦しい雰囲気になっていくのが肌で分かりました。

すると、


急にドカーーーーーン!!!!!という爆発音。


何が起きたかと先生を見てみると、それは先生が教卓を思いっきり殴る音でした。

「〇〇!!黒板の前に出てこい!!!!!!」と怒鳴りつける声。

恐ろしさのあまり出れないでいる生徒の腕を引っ張り、黒板の前に引きずり出す先生。

「なんでこんな問題が分からないんだ!!!!!」

「〇〇が分からないのはお前ら全員の責任だ!!!!」

そう怒鳴りながら、廊下側の一番前の生徒から順番に一人ずつ頭を殴りだしました。


途中からこのクラスにやってきた私には、一瞬、何が起きたのか理解できませんでした。
生徒想いの熱血漢な先生だと思ってたのが豹変して、自分の機嫌がちょっとでも悪くなると理不尽な暴力を振るう先生になったんですから・・・


一通り、殴り終わり、授業が終わると職員室に戻る先生。

そして、このあと更に驚いたのが、何事もなかったかのように普通に過ごす生徒たち。

仲良しになった生徒が「この教卓、穴開いてるでしょ?これ、先生が殴った痕なんだ!」と笑いながら話す友達。

小学校3年生ながら、私は思いました。


「このクラスは、おかしい」


こんなことが、先生の気分次第で週に1~2回。時には毎日のように起きていました。

こんな暴力教師と過ごさなくてはいけない学校生活が本当に嫌だったんですが、他の生徒は誰も文句も言わずに学校に来ている。怒って殴った後はスッキリするのか、次の時間はご機嫌の先生。そしてまた仲良しクラスになる友達。

嫌なのは自分だけで、自分がおかしいんだろうか?と思い悩みだし、ある日、学校に行けなくなりました。

自律神経失調症による登校拒否の始まりです。


学校に行こうとするとお腹が痛くなり吐き気がする。

最初は母も病気を疑っていたんですが、あまりにも頻繁に起きるので「学校で嫌なことあったんじゃないの?」と問いただされ、このとき初めて先生の暴力について母親に告白しました。

ただ、自分では「自分がおかしい」のであって、先生の暴力は正しいという思いがありましたから、母に言えば怒られるのではないかという恐怖もありました。


しかし母は

「よし分かった」と言い、

「留守番しててな」と私を家に置き学校に行きました。


学校で母が何をしたかは定かではありませんが、その日の夕方、担任と教頭が自宅に来て、母と私に頭を下げました。

先生が「本当に申し訳なかった!」と私に謝ってきたので、やっぱりこれは、おかしいことだったんだと理解でき、心からホッとしました。

そして先生が「もう殴ったりしないから、明日から学校来てくれるか?」と言うので、喜んで「うん!」と返事をしました。

そして、翌朝、心配もなくなり学校に行き、それからは幸せな学校生活を・・・


いえ、ここからが戦争の始まりだったんです・・・


学校に行き、しばらくは和気あいあいとした授業で楽しく過ごしていた記憶があります。
しかし、その日最後の授業のとき、一人の生徒が簡単な問題に答えられずにいると、先生ブチ切れました。
そして得意の全員連帯責任からの全員殴打。

私が殴られる番になり、先生が言った言葉


「お前、今度お母さんに言ったらぶっ殺すからな」


次の日から自律神経失調症がぶり返しました。
しかも、今度は母に言ったら殺されます。
無理にでも学校に行かなくてはなりません。
正直、この辺から、あまり学校に行ったときの記憶が無いんですよね。
ただ、なんとなく記憶してるのは、先生からしてみると私は唯一、親に自分の暴力をチクる生徒で、物凄いマークされてた気がします。
時には殴り、時には優しい言葉で釣り、まるでDV夫のような態度で私に接していたと思います。
なんとか、支配するために・・・

そうなんですよね。この教師は、DV夫のように暴力で支配しつつ、時折見せる優しさでクラスを統率していたんです。
生徒たちが暴力教師でも親しげにいたのは、恐怖で支配されてるがゆえに、言いなりになり、先生のご機嫌取りをしていただけだったんです。
小学3年生。わずか9歳の子どもたち全員がです。

ただ、私は途中からこのクラスに入ってきたということもあり、この洗脳にかからなかったんだと思います。
無理に学校に行ってる間は、洗脳されつつあったのかもしれませんが、ついに体も心も壊れ、学校に行けなくなる日がやってきました。


母は驚いた様子ですが「また、あの先生?何があった?」と言うので、言いたくなかったんですが勇気を振り絞って「先生に殺される」と伝えました。


「分かった」の一言で母は家を飛び出しました。


大学生くらいになって、このときのことを母が教えてくれたんですが、学校に着くなり、窓から母を見つけた担任は慌てて玄関に飛び出してきて「申し訳ありません!!」と謝ってきたそうですが

「やかましいわ!!!!校長どこだ!!!」

と、土足で学校に乱入。

他の先生方の静止を振り切り、学校で大騒ぎしたそうで、この母じゃなかったら私は引きこもりにでもなってたんじゃないかと思ってしまいます。

このときも、担任が自宅に謝りに行くような話が出たらしいんですが、母が「来るな!」と一喝して、「息子が行きたくなったら学校に行かす!」という話をまとめて帰ってきました。


私の自律神経失調症ですが、病院に行ったりもして、けっこう酷かったみたいで、確かに私も3年生のとき、学校に行った記憶がないというのは、本当にあまり行ってなかったんだと思います。
それでも、やっぱり友達に会いたいという気持ちが出てくるもので、調子が良くなると、学校に行ったりしたみたいなんですが


この先生、顔はゴリラですが、猿でもできる反省もできない人間でして。


学校に行くとしばらくは機嫌いいんですが、私という暴力を奮ってはいけない存在がストレスになるんでしょうね。やっぱりしばらくすると、暴力の再開。そしてまた私が学校に行けなくなる。そして母が学校に怒鳴りに行く。先生が謝りに家に来る。

この繰り返しでした。


しかし、3学期のある日を境に、この先生の暴力がピタッと止まったことを覚えています。

理由は、母が傷害事件として警察沙汰にする旨を伝えたことと、この先生の他の学校への異動が決まったことでした。
どうも、私が登校拒否になったことをきっかけに、他の保護者も騒ぎ出したらしく、そんな暴力教師を置いておくなという声が高まり、田舎の学校への転勤が決まったらしいです。


3年生最後の終業式。

体育館で異動する先生が紹介され、生徒全員が知ることとなりました。
クラスに戻り、私はこれで暴力が無くなると思いホッとしてたんですが、他の生徒たちは「先生行かないで!!」と全員が号泣。先生も号泣。

生徒たちの洗脳が最後まで解けることはありませんでした。

全員が号泣するのを見て、私のせいで先生がいなくなってしまい、みんなが泣いているのか・・・と、ちょっと別な意味で悲しくなったことを覚えています。決して正常なことではないのですが、集団の中にいると、正しいことも間違いのように錯覚し、自分だけが悪者になってしまうのです。

学校という閉鎖された環境には恐ろしさがあります。

学校のいい面も、もちろんたくさんあります。
必要最低限の学習を平等に受けられ、友だちを作り集団生活のルールを守る大切さを学べます。
しかし、狭い世界に閉じ込められ、集団心理で悪いことでも従ってしまう人間をいともかんたんに作り上げてしまうことができるのも学校です。

この事件を境に、自分は「集団」に属することが苦手になりました。
群れることの恐ろしさを9歳で学んでしまい、なんとも変わった人間の礎がこのとき作られたんだと思います。

さて、この後、この生徒たちはどうなったか・・・

実は小学4年の1学期で、また親の都合で転校したので、全く分かりません。
思春期のスタートを迎えるときに、この暴力教師に支配された生徒たちは、心に影響を残さなかったのか・・・気がかりではあります。

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