辛さの押し付けという「甘え」

まず第一に他人の"辛さ"に対してどうこう言うべきでは無いと思っている。人には人の辛さがある。どうしようもなく辛い思いをしてる事だってある。

だが「辛さ」を盾に他責的な行動をとる、他人を攻撃して自分が被害者ぶる。これは僕がやってしまった人生での大きな失敗だ。これは「未熟」、「甘え」に他ならない。

僕はバンドを組んでいた時に大きな失敗をした事がある。3年前にバンドを辞めたがそれはひとえに自分の甘えから起こった事であった。「分かってくれるはず」「理解してくれている」という驕りからのコミュニケーション不足も一因である。色んな人を失望させ悲しませた、それが今もずっと頭から離れない。

大人は「甘え」を許してはくれない。当然だ、その方がよっぽど健全だ。「俺はこんなに辛い思いをしているのに…!!」と吐き散らす人間を誰が受け入れてくれるだろうか。どうにもならない辛さがあったのとして、それは免罪符にはならない。

二度と同じ過ちを繰り返したく無いと思っている。自らの甘えから周りの人の信頼を失っていく人、結構見てきた。「大人になりきれてない大人」である。甘えた大人はどんどん周りから人がいなくなる。福岡に来てから二年半が経とうとするが、それにようやく気付いた。

今僕を好きでいてくれる人、応援してくれる人、関わってくれる人、接してくれる人。大事な人たちだ。自分を傷つけ他人を傷つけ周りから人がいなくなる、そんな事はもう二度としたくない。

俺は今の自分が好きだし、今見ている自分の世界が好きだ。「甘くない世界」、でも人は優しい。甘やかす事と優しさは違う。世界を憎む前に自分が甘かったとハッキリ分かった。人たちは僕のパパやママでは無いんだよ、分かるかい?もっと悪い見方をすれば甘い人間は搾取される。悪い大人に目を付けられる。これもまた当然かと思う。

やれるべき事を一個ずつやっていくしかない。悔やみきれない思いを噛み締めながらより良い方向に歩みを進めていくしか無いのだ。


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