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ミルと福澤 小泉信三『読書論』(岩波新書)

慶應義塾の塾長であり、経済学の著書もあった小泉信三さんの「読書論」には、福澤諭吉が「J・S・ミルの『功利主義』をどれだけ熱心に読んでいたか」紹介している箇所があります。

慶應義塾には、福澤諭吉が読んで書き入れをした、ミルの「功利主義」1874年刊第5版本が貴重本として保存されている。それを見ると、福澤が如何に熱心に読み、また如何に一読よくミルの真意を掴み得たかを窺うことができる。

『読書論』小泉信三著・岩波新書P.51「第5章 書き入れおよび読書覚え書き」

第三章「制裁論」の所感として、福澤による次のような「書き入れ」があります。

宗旨(宗教)と云ひ輿論よろんと云、耻辱ちじょくと云ひ栄誉(誉)と云ひ、皆是外物なり。『誠意誠心世の裨益を謀るは天帝の命ずる所。衆人の称する所なるが故に之を行ふものなり。之を天命、人心に従ふと云ふ。』此説は所謂他力の誠心なり。かんがえは之に異なり。如何いかにも此説の如く上帝のめいを現にあるものとせん歟獣類はえに従ふて同類の裨益を謀る心に乏し。唯人にして始て然るを得るは何ぞや。之を人力と云はざるを得ず。人力を以って十全に達す可きなり。或は云はん、人力を附与するものは上帝なりと。されば、こたえて云はん。此賜 たまものうけてよく処置するものは人なり。結局際限あるべからず。モラルサンクションは人にして人なりと思ふ一点にして沢山なり。上帝論の極意は賞罸の外ならず。賞罸の性質たるや決して美に非ず。余輩の心を動かすに足らざるなり。
明治九、四月十三日 諭吉誌

『読書論』小泉信三著・岩波新書より

いわゆる「人事を尽くして天命を待つ」のことを言っているのでしょう。
「天命を待つ」という言葉には、日本人特有の「タナボタ式」あるいは、わらしべ長者のような「ありえない奇跡を期待する」ニュアンスが含まれていると思われます。
福澤は、そのような「ありえないミラクル」を否定したかったのでしょう。それよりも、「人間的努力を極限までやれ」と言いたかったのではないでしょうか。

小泉信三さんは、福澤の「書き入れ」について、次のように記しています。

福澤が如何なる場合にもこれ程熱心に書き入れをしたとは思われぬが、何分なにぶん相手はジョン・ステュアート・ミルで、しかもその書は福澤も最も共感し易い『ユティリタリアニズム』である。当年四十三歳の福澤がこの小冊子と、いわば正面から取り組んで、幾たびか首肯しつつ毛筆を執って会心の箇処に所感を記したその様は、この書き入れによって吾々にも想像することができる。

『読書論』小泉信三著・岩波新書P.54~55

小泉信三さんは、読んだ本を記憶するために、アンダーラインを引いたり、書き入れしたりすべきだとしています。その一例として、福澤諭吉も書き入れをしていたことを紹介しているのです。
これは、小泉信三さんだけでなく、「読書力」(岩波新書)を書いた齋藤孝さんも勧めていることです。

福澤も熱心に書き入れをしながら読んだJ・S・ミルの「功利主義」は、岩波文庫から出版されています。
あなたが、慶應高校や慶應大学を受験するようなら、この本をできるだけ早く入手して、福澤諭吉のように「書き入れ」をしてみるのもよいでしょう。
きっと、今までとは違った「読書」が味わえると思います。

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