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俳句編8 夏の季語 鬼灯市(ほおずきいち)・四万六千日(しまんろくせんにち) 慶應義塾中等部対策講座

7月9日〜10日は、東京浅草寺で鬼灯市(ほおずきいち)の立つ日です。この日にお参りすると四万六千日(しまんろくせんにち)お参りするのと同じく功徳があるとされています。鬼灯市は夏の風物詩となっており、夏の季語となっています。

例えば次のような句があります。

夫婦らし 酸漿市(ほおずきいち)の 戻りらし 高浜虚子

四万六千日 人ごみにまぎれねば 石田郷子


鬼灯(ほおずき)は鎌倉時代の源頼朝の時代から薬効があると言われており、浅草寺だけではなくこの季節は日本中の各所で開かれているようです。江戸時代には子供のおもちゃにもなったようです。

鬼灯に関しては次のような句があります。

鬼灯は 実も葉もからも 紅葉哉 松尾芭蕉

鬼灯や 清原の女が 生(しょう)写し 与謝蕪村

鬼灯や 七ツ位の 小順礼 一茶

墓べにも 鬼灯生えて からにしき 飯田蛇笏

鬼灯の 赤らみもして 主ぶり 高浜虚子

鬼灯が 真っ赤な女の 家に来て居る 尾崎放哉

鬼灯や 女学問 はやりけり 河東碧梧桐

ここまで並べてわかることですが、実は鬼灯は秋の季語です。鬼灯の実が赤いことで紅葉の実に例えているよう子に、赤さや、からにしきといった視覚的観点では秋の題材なのです。

視覚対象としての鬼灯は秋を連想させます。しかし、鬼灯市となるとこれは夏祭りで夏の風物詩です。ここには人の参拝という、観音信仰の宗教性が背後に隠れています。一字でこれだけの差が出てくるところが俳句の面白い点です。

歳時記などでは分類として、植物・行事といったカテゴリーで分けていることも多いのですが、植物の季語で植物の叙景叙述だけで終わってしまうのも何か内容的に物足りない気がします。

やはり、言葉にあらわれない言外の言葉で余情余韻をどう出すかで俳句の作り手の力量が問われるのではないでしょうか。鬼灯市の季語で俳句を作る事は、作家の力量が問われるのではないでしょうか。


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