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私が資料を作りたくなるのは

新しい部署に来ると目につくことがある。
それは、既に作成された文書とか資料とか。
みんな、当たり前のように前任から引き継いで、何の疑いもなくまた然るべきときに使おうとする。

でも、ちょっと待って。
それが本当にベストなの?
もちろん、正しいことが書かれているはずだけど。
もっと読みやすい、見やすい、伝わりやすいやり方があるんじゃないかな。

(ちょっと最近は乱暴に書きすぎているから信じてもらえないかもだけど)私は文章を作るのが好きだし、得意な方だと思う。
少なくとも文章を書くことに抵抗はない。
そして、どんな文章がよいかの判断はできるつもりだ。
だから、お堅い内部の会議用文書から、外部向けの資料に至るまで、そこはまあ何でも来いという感じで少しずつ手を加えている。

そんなこんなで久しぶりにPowerPointを触った。
これがまたとても楽しくて、時間が経つのも忘れてしまうほど。
文章の方はまあ自力でも何とかなる。
しかし欲張りかもしれないけれど、レイアウトとかデザイン的な要素もいじりたくなってくる。
だから、少しデザインの参考になるものも検索したりしてこれもまた久しぶりで新鮮に感じられた。

でもここで良いデザインを求めて検索して発見したことがある。
参考になることが今の分野だとほぼ見つからない。
同じようなものはたくさん見つかるけれど、見やすさとか分かりやすさを追求したものがほとんどないのだ。
確かに、載せなければならない情報量がありすぎて改変の余地は少ないのかもしれないけれど、ここまでとは驚いた。
これはもしかしてとても難題なのかもしれない。
でも、何とかできないものか。
いや、何とかしたい。


やっぱり私は文章やデザインを考えることが好きみたい。
そしてPowerPointを操作してることが楽しいみたい。
厭わずに資料を作ることができるのは、私の強みかもしれない。
仕上がりのレベルにはまだ全然満足できないけれど、1年ちょっと前に作ったものを最近見てみたら、今ならもう少し上手く作れるかも、なんて思ったりしたから私なりに上達はしているはず。
ここでもまた、資料作りができるなら、もっといいものが作れるようになるかもしれない。


もしかして、私が資料を上手に作れるようになることに喜びを感じるのは、情報を正しく伝えたいからなのかもしれない。
正しく伝わってほしいからなのかもしれない。
見た人、読んだ人が容易に理解できて、すれ違いが起きないように、情報を求めれば確かに手に入るようにしておきたいからなのかもしれない。

だから、また明日からも資料作りと格闘しようと思う。
独りよがりに届けたというアリバイ作りのための資料ではなく、本当に正しく届いて伝わるための資料作りを目指そう。



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