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ある「まち」の話(vol.3)

知らぬ間に押し付けになっている期待を誰もが持っている

人は、誰かに期待している。
自分は、あまりにもちっぽけでできないことが多いから。
あるいは、
自分で動いて何かを動かしたり変えたりすることはできないと思っているから。

知らぬ間に、そこにいるだろう人に期待を持っている。

若者求む!の声が溢れている

「誰か若い人に手伝ってほしい」
「どうやったら若い人とつながれるのか」
「自分たちはもう年だから、若い人の発想がほしい」
こんな声を、「まち」の中枢を担っている人たちから聞くことがある。

ああ、また始まったよ。

そんなこと分かれば誰も苦労していない。
そもそも若い頃のあなた方は「まち」の活動にこんなにコミットしてたの?と問いかけたくなるけれど、そこはぐっとこらえる。

期待という名の風船爆弾

今、「まち」を担っているのは70代の人たちだ。
彼らのすぐ下の世代は、定年延長や年金受給繰下げとかでまだ働いている人が多い。
その下の世代は当然働き盛りとか子育て中とか。

「まち」のことに構っている余裕は正直ないのだ。

そこに期待をされても、押し付けか重圧か爆弾にしか思えない。

そう、勝手な期待は風船のようにどんどん膨らみ、恐らく、それはもう間もなく爆発するのかもしれないところまで来ている。

でも、「まち」の担い手に新たな力が必要なことは、多くの人がきっと薄々気付いているはずだ。

「若い」ことへの幻想

「若い」から違う考え、良いアイディアを持っているだろう。
「若い」から、デジタル活用なんて簡単にしてくれるだろう。
「若い」から、力仕事をまかせられるだろう。
「若い」から、仲間を誘ってきてくれるだろう。

これは、単なる幻想である。

若くても、考え方は千差万別、得意なこともそれぞれ当然違う。
デジタルなんて、その使い方は人によって雲泥の差があるし、友だちの数だってそんなの余計なお世話だ。

思い込みを捨てることから始める

勝手に期待して、つながれないことを残念がるのはもう止めにすることから始めなければいけない。
「若者」もあなたと同じ一人の人間だ。
それぞれに、異なる個性があって、主張があって、そして選択の自由がある。

まず、このことを認めて、勝手な期待は捨てなければならない。

あなたが誰かに対して真に求めていることは何なのか。
それに応えてくれる人ならば、属性は気にしなくてもいいはずだ。

押し付けではない期待を持とう

相手に正しく期待すること。
勝手に期待しないこと。
これを基本姿勢にして人と出会っていけば、つながりたい人とつながることがきっといつかできるはずだ。
自分のことを、個人として認めてくれる相手に対して逃げ出そうとする人はそういない。

さあ、この「まち」にはどんな人がいるだろうか。

続きはまた今度

カテゴリーで括られたまとまりの中に入れられるのなら、私でなくてもいいはずだ。
そう思われないように。

小さな頼みごとに大きなありがとうを添えて。
そして次の出番もお願いする。
その積み重ねで人は有機的につながっていける。

そんな「まち」が本当にできるのかどうかまだ分からないし、この「まち」で起こっていることはまだまだありそうだけど、この続きはまた今度。

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