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日々の発信はジグソーパズル

昨日noteを書いていて気づいたことがある。
きちんと私の道はつながっている。
行き先なのかゴールなのか、目指すものはまだ見えないにせよ、ちゃんと道筋はできているものだな、と思った。
私の考えや思いや行動の軌跡がこのnoteにきちんと残っていっている。

実は、毎日書いているこのnoteは下書きはしない。
書き始めるまで何を書くかも決めていないことが多くて、指の動くままに言葉を並べている。
だから、じっくりと前後関係を確認したり、以前書いたものを引用しようと決めて書き始めることはほぼない。
でも、昨日のnoteを書いているとき、思いがけず以前書いたことが頭に甦ってきた。

それは、自分でも不思議なくらい今の状況や気持ちとしっくりとハマった。
以前書いたことを普段からいちいち意識して行動いるわけではない。
もちろん、大枠ではこう有りたい、という思いを持って過ごしているけれど、細かな部分って持ちきれずにいつの間にかポロポロと落ちてしまう。

でも、気づいたことがある。
私が毎日こうして書いていることはまるでパズルのピースみたいだ。
最初は、ほんの一欠片だったものが集まってつながる。
そのピースは必ずしも順番に隣り合ったものが表れてくるわけではない。
どこに置いたらいいか分からないものもあるし、何となくここで合ってるんじゃない?というものまで入り乱れて少しずつ降ってくるのだ。
パラパラ降ってくるピースをとりあえず並べてみる。
そうすると、何かのタイミングでつながりが見えてくる。
意図しなくても、それは当たり前のように自然につながっていくのだ。

まだこのパズルがどんな大きさでどんな完成図なのかは見えないけれど、少しずつピースが埋まり始めている。
その不完全なパズルを見ながら、完成への道標やヒントを示してくれる人が現れるときもある。

自分が何を思ってどう考えたか、それを示していくことで、自分でもまだ分からないことが具現化されたり、誰かが手伝ってくれることすらもある。

だから、これからも書いてピースを拾い集める。
書くことで、ピースをはめていくと、その思いや考えはいつか意味を持ってつながっていく。
それぞれのnoteは独立したもののように見えたとしても、こうして毎日書くことで、それは連続体になり、それが私そのものになるのかもしれない。

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