時事ニュース/探偵が切る(桐島容疑者)

1970年代の連続企業爆破事件に関与した疑いで指名手配されている過激派「東アジア反日武装戦線」メンバーで、あの「指名手配ポスターの男」桐島聡容疑者とみられる男が名乗り出た直後に死亡した。組織の掟とは様相を異にするその最後の姿とは。
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1970年代の連続企業爆破事件に関与した疑いで指名手配されている過激派「東アジア反日武装戦線」メンバー、桐島聡容疑者とみられる男が1月、神奈川県内の病院で名乗り出て、直後に末期癌で死亡した。東アジア武装戦線は、8人が死亡し、300人以上が負傷した1974年の三菱重工爆破事件を始め、数々のテロ事件に手を染めたグループである。
すでに、50年以上の前の出来事だが、桐島容疑者といえば、メガネで長髪を中分にした指名手配犯のポスターに、「あの男か」と膝を打った人も少なくないだろう。仕事柄、公安筋との付き合いもある探偵だが、まさか桐島容疑者が国内に潜伏していたとは夢にも思わなかった。とっくに海外に逃亡しているか、もしくは鬼籍に入ったと考えてしまっていたのは、我ながら安易だったかもしれない。
東アジア反日武装戦線は1974年に、「腹腹(はらはら)時計」という冊子を地下出版している。この冊子、「ゲリラ兵士」の振るまいとして、「表面上は、極く普通の生活人であることに徹すること」「近所付き合いは、浅く、狭くが原則である。最低限、隣人との挨拶は不可欠である」と説いている。
ただ、名乗り出た直後から続々と始まった報道を見ると、桐島容疑者はそんな「ゲリラ兵士」とは全く異なる潜伏生活を送っていた様だ。神奈川県藤沢市の工務店に「内田洋」の名前で住み込む暮らしを数十年続け、ずいぶんと近隣に溶け込んでいたようだ。藤沢駅近くの音楽バーに通い、生バンド演奏に合わせて「イェー」と声援を送っていたという話には驚いたが、あるテレビ局が流した独自映像には音楽に合わせて酒を片手に楽しく踊る姿まで納められていたのだから、度肝を抜かれる。
もっとも、一応は捜査を警戒していたようで、健康保険証を持っておらず、歯医者に行けないため、歯は抜け落ちておいたという。最後に病院に担ぎ込まれたときも、痛みに耐えかねてか路上に倒れ込んでいたところを、通行人が救急通報して、病院に担ぎ込まれたのだという。おそらく、病院でも本人が最後まで、内田洋と名乗っていれば、誰にも気づかれること無く、行方不明者、失踪者の1人として埋葬されていたに違いない。
探偵が普段から懇意にしている公安筋の人物は「桐島容疑者より慎ましく暮らしている人は世の中に大勢いる。これだけ世間と接点を持っていたにもかかわらず、自ら名乗り出るまで全く動向をつかめなかったのは、公安警察は何をやっていたのだと言われてもおかしくない」と、がっくり肩を落としていた。
もしかすると、あなたの隣にもいるかもしれない指名手配犯。探偵は、行方不明者や失踪者の調査も受け付けている。

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