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Morat ”No Termino”にしてやられた

 2021年7月にMoratの3rdアルバム”¿A dónde vamos?”が発売されました。

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パンデミック前後に発表されたシングルや、他のアーティストとのコラボ4曲を含めた14曲が収録されています。

↓Moratについてはこちらから

いつも詩的な歌詞を書くMoratですが、その中でもあっと言わされた一曲が”No Termino”です。


スタートはお得意パターンから

まず冒頭から見ていきましょう。

Te me escapaste y yo quedé indefenso
Me desarma pensar que es mi culpa que seas un recuerdo
Solo un recuerdo, pero tan intenso, oh
No saber si te volveré a ver para mí es un misterio

と、自分のせいで相手が去ってしまって後悔していることがわかります。

Nunca te pude hablar
Nunca te pude hablar
Y ya duele porque al final

ここまではMoratの十八番、もはやあるある、捨てられた悲痛な叫びパターンです。

しかしそこで終わらないのが彼ら。


関係代名詞の力


サビに入って一行目、

No quiero contar todos los besos(=キスの数を数えたくない)

の後に一瞬ポーズが入ります。
ここで「幸せだった日々を思い出すと辛いから、相手とキスした数を数えたくないのかな?」と考えていると、次の一行で「僕たちがそんな安直な歌詞を書くかよ」と殴られました。

que nunca llegaron a tu boca(=君の口に届かなかったキスの)

くあー、そっちかー。した回数ではなくて、できなかった回数の方かー。感情がすれ違ってできなかったキス、別れた後も君に届けたかったキス。このほうが、相手への未練や愛情が伝わってきます。さすがすぎる。

そして次も同じように

No quiero contar cuantas canciones (=曲の数を数えたくない)

と来てポーズが入り、「2人で踊った曲の数かな」と考えていると、

No bailé contigo por cobarde(=いくじないせいで君と踊れなかった曲の)

と続きます。痛いくらい陽気な音楽とカラフルな照明が射すクラブのフロア、その隅でグラスと彼女を交互に見つめ、手を取るタイミングを計りかねている主人公。そんな絵が浮かんできて、もどかしさや後悔がひしひしと伝わります。


この、後から説明することで予想を裏切る、という手法は日本語ではやりにくい演出です。というのも日本語では、修飾語は名詞の前に置きます。
例)(届かなかった)キス
  (家で作った)ご飯

しかし、スペイン語や英語では、関係代名詞(que, quien/which, whoなど)を使って、後ろから前の名詞を説明することができます。
例)los besos (que no llegaron)/The kisses(which didn’t reach)
       La comida (que cociné en la casa)/ The meal (I made at home)

この特性をスマートに使ってリスナーに意外性を感じさせ、その上歌詞により深い情緒を持たせたMoratさんの作詞力、恐るべしです。


なにが「終わらない」のか

タイトル”No Termino”=「終わらない」は何が終わらないという意味なのか?

サビの最後でようやくわかります。

Moratの曲はちょっとなよっとした一途な主人公のことが多いので、きっと「まだこの恋は終わらせない」という意味だろうと高を括っていたので、気持ちよく裏切られました。

No quiero contar todas las cosas 
que a final de cuentas sé que nunca hicimos 
No quiero contarlas porque sé muy bien que si las cuento
Tal vez no termino     

「一緒にできなかったことは数えたくない。だって数え終わらないから。」

置くように"no termino "と歌って、こっちが突然の伏線回収に驚いている隙に、間奏に入っちゃうんだから憎いものです。置き逃げですよ、置き逃げ。

「君とやりたかったことは無限にあるんだから数え切れるわけないじゃないか」という、主人公の少し投げやりな後悔にも感じられます。

ただ、これは曲のみを聞いたときの話。

PVを見るとかけたペンキが戻ったり、壊した彫刻が直ったりと「戻らないはずのものが戻る」姿が描かれているので、やはり「この恋は壊れたけどまだ修復できる=終わらない」という意志も込めているのかもしれません。


関係代名詞で聴き手をアッと言わせたり、まるで掛詞のように一つのフレーズで様々な情景を想像させたりする彼らの作詞力は一体どこから来るのでしょうか。もはや畏怖の念を覚えます。


詩もいいのですが、実は私がMoratの曲で一番気に入っているのは、サビに続くコーラスです。彼らはいろんな曲で同じようなコーラスを入れていますが、このどんよりとした高山都市で育った人にしかだせないような悲壮感とエネルギーの配合、一番きめが細かい紙やすりで削られるような歌声はどんな気分の時に聞いても自分のために歌われているような気持になります。

今作がエクアドルの記事で「壊れた心、恋する心のための処方箋」と評されるのも納得です。他の曲でも彼らの作詞力と歌声が光っているので、またご紹介できればと思います。

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