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【瀬戸内旅②】平和記念公園を逆にたどったら、丹下健三が憎くなった

広島駅に10時に着いてから、原爆資料館の予約時間の13時まで、こんな風に王道スポットを周ることにしました。

初めての広島、初めての一人旅、大学の実習がコロナで休みなのをいいことに平日に来た背徳感にわくわくしながらの旅のスタートでしたが…


広島城

雨の中、屋内で観光したくて来てみたはいいものの、特に何も感じなかったので写真はないです。雨でスマホが取り出しにくかったってのもあるけど。

お濠も橋も立派でしたけどね。

復元された天守閣の中は歴史に関する展示がされていて、広島を理解する手始めにはよかったかも。
体験コーナーで刀を持たせてもらって、その重さには驚きました。刃が薄いから軽いのかと思ってたけど、こんなのぶん回せないよ。帯刀を御免されても持ち歩きたくないなこれは。武士ってすごい。

天守閣頂上の景色は高層アパートは邪魔でとくに良くはなかったです。


念願のお好み焼き

お祭りで広島風お好み焼きがあるとついつい食べちゃうくらい好きだったので、google mapで評価がいいところを探してたどり着いたのはオフィスビルの地下。

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入りにくかったけど、のぞいたらサラリーマンでいっぱいだったのでこれは美味しいに違いないと期待してはいりました。

広島の人は「広島風」お好み焼きっていうと怒るって聞いていたので気を付けようと思っていたら、メニューに「広島風お好み焼き」の字が。いいんかい!

さて来ました。じゃーん!

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美味しいのこれが。麺がパリパリしてて、ソースが甘めで、めっちゃおいしい。お昼にこれ食べれるサラリーマンがうらやましい。

端の席で食べてたら、お店のおばあちゃんがこっちの席に来なよって言ってくれて、一回断ったのにまたこっちのほうが広いよって促してくれたのでお言葉に甘えました。セルフサービスのはずのお水まで注いでいってくれました。見知らぬ土地で一人だと、優しさがしみます。


爆心地・島内科医院

爆心地直下が病院だったと聞いたときから来たかった場所です。

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当時も今も、島病院。すごい根気です。
見たかアメリカ。


世界遺産・原爆ドーム

想像力のないわたしは、ガザ地区とかシリアのがれきをニュースで見ても元からそうだったような気がして、悲惨さがよくわかりません。

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でも広島に関しては「この世界の片隅に」で生き生きをした姿を見ているので、原爆ドームの曲がった骨格を見て、ひしひしと感じるものがありました。

血液内科の実習中だったので、インスタで「白血病のお勉強しに来た」とか言っておさぼりを茶化そうとしていたのに、甘く見ていましたね広島と原爆を。笑っちゃうな平和ボケした自分に。


相生橋

いよいよ、原爆投下の目標となったとされるT字の橋、相生橋を渡って平和記念公園に入ります。

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(右手が平和記念公園)

こうやって広島市を歩いていると、橋を何本渡ったんだろう、川の多さを感じます。こんなに水があるのに、たくさんの人が水を求めたというあの日の悲惨さがよくわかります。


平和の灯

公園内はさすがに修学旅行生がたくさんいました。

鐘の前でキッズたちが、これ鳴らしていいのかな?ってもじもじしていたのでお姉さまが率先して鳴らしてあげたら、わらわら突き始めてました。かわいい。

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有名な禎子像を過ぎるとようやく中心部です。

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この平和の灯は「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴らしいです。

この公園と同じ、建築家・丹下健三の作。
最近、都庁に上ってみたり代々木体育館に行き当たったり、図らずも丹下健三巡りみたいになってるなあ。

その周りは池になっていて、今日は黒くない、たくさんの雨粒が波紋を作っています。


平和記念公園慰霊碑

慰霊碑にたどり着きました。

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(正面にあるのが原爆資料館。ピロティ―がコルビジェって感じですね。)

正面からお参りしようとすると、こんな景色が見えました。

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うわ、

にっくい。

憎いよ、丹下健三。

私が今日雨の中苦労して巡ってきたところが一直線に見えるなんて、大円団もいいところだよ。ミュージカルの全キャスト総出のフィナーレかよ。

どうりで公園の軸がずれてるなと思ったら。


はあ、さすが世界のタンゲ。


石碑には「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」とある。
テレビで毎年映るやつだ。

過ちを犯したのは誰で、繰り返さないように気を付けるのは誰なんだろう。

少なくとも私は後者に含まれている気がします。


原爆資料館

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ツイッターで、音声ガイドは借りたほうがいいというツイートをみたから借りてみたけど、途中から辛くて聞けませんでした。
視覚だけでも重いのに、聴覚までもはちょっと。

解剖実習やら手術見学やらで人よりは耐性がついているつもりだったけど、目を背けてしまった写真と絵がいくつかありました。

もしその場にいたとして、自分には誰の手当てもできないと思うと、ちょっと身が引き締まりました。勉強しないとな。
東日本大震災があったから医者を目指した面もあるのに、すっかり平和ボケして忘れてました。

かといってここまで惨状を見せられても、展示の最後にあった核禁止条約批准の意見書にはサインできませんでした。結局、核の傘の下にはいるわけで、私の一存では勉強不足でよくわからなかったから。

先ほど広島城の周りにあった高層アパートは、戦後のバラックに住んでいる人たちを収容するための公営アパートだったそうです。景色の邪魔とかいってごめんなさい。

無知って、ふがいないっすね。


ちなみにわたしは公園を逆から回りましたが、正面から入ると原爆資料館のピロティが鳥居的な役割を果たすようです。これまた憎いねえ。



広島は、一人でふらっと周る街ではなかったわ、と思いつつホテルに帰って、お夕飯にお土産屋さんで買った広島県産モッツアレラチーズと広島菜のおにぎりを食べていたら、気分は軽くなりました。

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アメリカの小学校にいたとき、学校に来ていた移動本屋さんでHIROSHIMAというタイトルの絵本が平積みにされているのを見てから10数年、日本人としてこの街に来られてよかったです。
あの本を読んだアメリカ人の小学生たちはどう思ったんだろう。


テレビでミッドサマーを見つけたので見ながら寝ようと思ったら1000円だったので、貧乏学生は明日の宮島に向けておとなしく寝ることにしました。





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